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数日前、王子さまがTVで言っていた。わたしのパレスのことはどうでもいい。そこに割く人員・資材があったら、他所に使ってもらいたい。一昨日王女さまも言っていた。わたしの家はほうっておいていい。もしわたしの家が守られるなら、その水は他所に行って人々を苦しめる。自然に任せてください。16年前、王さまが閣僚と会見している様子が繰り返しチャンネル3で流れていた。治水のための施設、たとえばダムは当座はいいが、やがて災害の元になる可能性があると。 上の王族の発言は、きわめてもっともである。たとえば、サンドバッグで水の浸入を阻止したとすれば、阻止された水はそれより上流または脇の地区を浸すのである。サンドバッグで小さな重要施設を守るということはいいが、広範囲のサンドバッグは、その累が必ず他に及びそこにより大きな被害をもたらす。たとえば、バンコク中心街を政治経済文化の中心であるから、保護する目的で、施設をフル活動させて、脇の地区に流すと、そこに災害が及ぶのである。 タイ国では、略奪がほとんど報告されていない。軍などの支援物質(外国からのものが含まれている)は整然と受け取られている。奪い合いになることはない。この点は、タイ人は日本の大災害の時のひそみに倣っている。しかし、サンドバッグが一部の住民の怒りを買って、撤去されているのが報告されている。自分の工場さえ守られれば他はどうなってもいいというのか!というわけである。そのサンドバックは敷地以外の住宅の水深を深くしているからである。バンコクポスト(この二日間来ていない)の経済面でも、特定の寄稿者の名前で、ダムの功罪について論じていた。 なお、ある場所で親しい友人が疑問を呈していた。いったいタイ国は洪水の多いところで、歴史上洪水が繰り返されている。それなのにこの大きな被害は、歴史的に洪水対策を国が怠ってきたのではないか?政府の責任は追及されているのか?今回の災害はタイ政府の怠慢の結果であり、自業自得ではないかと。当然の疑問である。ぼくは思うに、バンコクに限ってみて、運河が縦横に走っているのは、洪水に対する放水対策の一つである。決して十分とはいえない。そしてダムや森林の伐採や護岸工事の思想の誤りなどなどが指摘されている。しかし、この友人が気づかずに忘れていることは、日本は地震列島である。そこに、地震対策がほぼゼロの原発(アメリカから輸入)が54基建っている。福島原発NO1を廃棄するのに30年もかかる。日本の「ムダなダム」に至っては何をかいわんやである。こういうことは日本人はいかにバカであったし、あり続けているかの証明ではないか。べつにタイ人やタイ政府を擁護するわけではないが、日本人が自らの人類史的犯罪を棚に上げて他を批判する例として挙げておきたい。 PS 17.45現在、わが家の一階のガレージを含めて各ヤードにおいて、乾燥しているところがなくなった。すなわちすべて冠水した。まだ激しい勢いで増水している。 【様変わりしたわが家:わが家の前庭。家の地下から激しく水が噴き上げて、ガレージもほぼ全面的に浸水した。西側ヤード。ほとんど池の状態である;ほぼ水没して放棄された運河向こうの部落】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.11.04 20:05:02
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