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これでもかこれでもかと病気が襲ってくる中、今もベッドで、まだ 最後まで見てないのだが、ぼくはDVD「仁」というドラマの最終編(第2部)を見ている。タイ語の字幕(サブタイトル)がついている。 第1部はずっと前に見た。この編はどうやら2010年(平成22年)の10円硬貨がでてくるから、その頃の作品だと思う。<ちなみにタイランドの年号で今年は2555年である。タイ語でソン・ハ・ハ・ハと大笑いの音に似ている。タイ人はブログやツィットなどで笑を入れるとき555と書くのはそのためである> このドラマのテーマは最後まで見てないから、最終的に分からないのであるが、ぼくがこの国に来て感じている自分自身の像と「仁」の主人公の仁と二重写しになって仕方がなかった。仁は2010年ごろの日本の若き外科医である。それが、恋人の死(脳腫瘍かな?)を救えず、死なせてしまうところから、タイムスリップして、江戸末に行ってしまう。そこでサチという若き旗本の妹と出会う。サチをはじめ数人の弟子ができる。そして、早い時期に坂本竜馬と接触する。彼は、麻酔やらペニシリンやらを用いて、奇跡のような手術を行う。だからと言って、簡単に歴史は動かせない。竜馬も最終的には救えなかった。 ぼくは、この国に来て、この国を遅れていると思ったことがない。この「仁」は時間的に145年ほど前のことを描くが、医療技術については移転の要があっても、その当時を主人公は違和感なく受け入れている。Nさんという妹とも娘ともつかない家族ができて、彼女の親族を通じて、彼らの生活文化について、若々しい発展途上国の特有のエネルギッシュな特徴を備えているとは思っても、後進国とはとうてい思えない。 もちろん、いらだつことも多い。たとえば、掃除機が買ってすぐに壊れた。もちろん保証期間内である。で、買った店(ザモールのホームプロという大きな家具店)に持っていくと、ここは売るだけの場所だから、文句があるなら、工場を持って行け、という。ぼくは、売るとき性能について推奨の説明をした責任はどうすんのよ?と言っても、ここでは修理できない 工場を教えるからそこへ持って行け の一点張りである。Nさんが、幸い工場は近くなのでそこへ持って行った。工場では、ご一報をいただけるなら 私どもが出向いて出張修理を行うか、職員が持ち帰って工場で修理いたします そういうことは ホームプロさまには 言ってあるはずですが・・・という。要するにこういうことで、消費者主権ではなくて、工場の一歩手前の販売代理店主権なのである。 道路や駐車場でも、安心して歩けない。車主権が圧倒的なのである。その辺を歩いてひかれたら、歩行者が悪い。だから、Nさんは、いつもおどおどしている。ぼくが駐車場をぶらぶら歩くと、腕を強く引っ張られて、ひっかるぅ ここは歩行者主権の日本とちがうのよ!と、いっつも怒鳴られる。ものを買うと、必ず一度は販売店にもどってクレームをつけることが日常である。これらは発展途上の資本主義の病理なのだから、治療を要すると思う。 しかしながら、未来社会を異質の社会として見るならば、ぼくは、異質の社会から、この国に降って湧いたかのように現れてしまった、というとまどいがどうしても憑きまとう。これをネガティブな「違和感」とも違う。ぼくはこの国の笑顔が好きだ。陽気に笑いあう会話が好きだ。「仁」には主人公からそういうせりふが出てくる。36.5度の人間関係が濃密にある。 [写真:昨日、ムラのおまわりさん(ぼくの呼称)に日ごろのお世話になっているお礼にクッキーを贈呈した] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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