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テーマ:楽天写真館(354421)
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Nさんが、ヤワラー(都心のチャイナタウン)にあるごみごみしたオーサヤム百貨店で買い物(アセアン祭に向けてニックのフィリピンの民族衣装を買う)があるので出かけるという。なぜ おれを連れて行かないのか?というと、狂ったように喜んで、ぼくの健康を慮って言い出しかねていたという。ぼくは、こういう付き合いを一切断ってきたので、こんなに喜ばれるなら、申し訳ない気持ちになった。 ここから先がNさんらしいところで、じゃあ、彼女の大学時代に1年先輩(こういう英語は存在しない。単に年上というだけ)の女性の息子(15歳)が、先天性の脳血管の奇形が見つかって そこに血腫ができて割れるような頭痛に悩んでいる 昨日(今からでは一昨日)脳外科の手術を受けたので ついでにその息子を見舞いに行きたい。乗りかかった舟。ぼくは、応諾した。手術前に一度彼女は見舞っている。 なぜぼくが・・・とこういう時いつも戸惑いをおぼえるのだが、その母親が一人で息子を看ている疲れ切って夜遅く帰宅するので、食うものも食ってないというので、ヤワラーに着いてから、大きなクッキーの缶を買って、夜帰宅したら母親への手土産にと思ったからである。 オーサヤムに駐車して、そこからタクシーで渋滞の中1時間以上かけて病院に行った。脳外科の病棟の8人部屋に入って、患者と面会した。手術翌日で、平日なのに大勢の人が見舞っていた。患者の少年の父親を始め、患者の実のおばさん、おばさんのご主人、そのご主人のお母さんの3人が遠くの県(チョンブリ県のパッタヤー)からかけつけていた。患者の母親の大学時代の男の友人、そしてNさんとぼくである。 患者ははっきり意識があり、言葉は出ないけど、目つきやうなずき、横に振るなど応答がはっきりしていた。前頭葉あたりからかなり奥深く患部があって、難手術だったとのこと。脳外科の手術後の部屋なので、見るからに重症患者が横たわっていた。ぼくは、Nさんの通訳で、もう頭は痛くないの?と聞くと、はっきり横に振って否定した。よかたね?食事は自分で食べられるの?はっきりうなずいた。ああ、もう大丈夫だね。Nさんが、はやくよくなってね よくなったら 教授(ぼくのこと)と一緒に日本に行こうねと言うと、笑いこそしないけど、目を大きく開けて熱心にうなずいていた。(タイ人が日本に渡航ビザは3週間以内なら不要になった!) 患者はよく分からなかったが、母親はぼくの来訪に非常に驚いて、母親が一人孤独に息子と向き合っていたのだから、日本からはるばる来てくれたことに素直に喜んでくれていた。ぼくは全員初対面であった。が、包み込まれるようにぼくにはいつしか違和感なくそこに溶け込めた。 この少年を囲む人々の関係の濃さ近さを改めて実感した。Nさんは、少年の足をさすったり、手を取ったりして話しかけていた。 ヤワラーのオーサヤムから病院まで往復タクシーを使ったのだが、1時間以上かかったのに、100バーツ(270円)という安さである。Nさんはの運ちゃんとの会話の弾みは、健在であった。運ちゃん(別のタクシー)も往復とも笑ったり、笑わせたりしてNさんに負けていなかった。タイ語の会話はうるさいくらい大きな声でやる。顔中の筋肉を動かすようにしてしゃべる。ふと、往きのタクシーの窓を見ると、なにやら禁止事項のマーク(乗車拒否していい)が貼り付けてある。ぼくには分かるのだが、日本の皆さんには理解できない禁止マークがあると思う。一つはちょっと顔を赤らめるものもある。しかし、ぼくはどうしても分からなかったのが一つだけあった。 さて、あなたは分かるでしょうか。これは何の禁止条項か? [写真:チャイナタウン(ヤワラー);脳外科病棟の入り口にて;とあるタクシーの禁止事項] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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