房総の生物愛好会 大貫古道ハイキング
今回の観察会なぜか観察会という趣旨とかけ離れたハイキングでした。館山市と千倉町とを結ぶ県道ができるまで利用された山道の大貫古道保存会のメンバーの案内でスタートしましたが、植物を観察する時間はなし、ちょっと立ち止まって花を探していると立ち止まらないで進んでくださいと・・会の趣旨と違うと会長も嘆いていましたが、初めての場所、ひとりでは行けない場所なのでハイキングとしてそれなりに楽しむことができました。小松寺からスタートして戻ってくる周回するコースです。南房総市千倉の小松寺仁王門718年に役小角(役行者)によって創建されましたが焼失920年安房守によって再建されましたが焼失現在の建物は1855年に再建房総の紅葉の名所になっています。 本堂薬師堂鐘楼小松寺が焼失した後、安房守が再建した際の祝いで稚児舞を舞っていた嫡男の千代若丸が天狗にさらわれ伊予ヶ岳麓で殺されたのを忍んで奉納されたものだそうです。見ごろの池の紅葉今回の参加者は39名参加して初めての準備体操あとになってわかることですが、観察会ではなくハイキングのための準備体操でした。乙王ノ塚を目指します。観察会と思って歩き出すとどんどん進んでいきます。周りをゆっくり見る時間なし・・・房総を何度も襲った台風の被害はあちこちにありました。「大貫古道保存会」の方たちが歩けるように修復したそうです。乙王ノ塚入口急斜面の山道を登ります。倒木は片づけてありますが道は荒れていて歩きづらいです。木の根がむき出しいかにも古道です。館山方面急斜面を登りきったら乙王ノ塚乙王ノ塚千代若丸の従臣だった乙王は、千代若丸の死を悲しみ、自らの責任を取って滝に身を投げたという伝説今はその滝は埋没して見られないようです。小松寺には「晴天の雨」という伝説があり、2月15日は晴れた日であっても必ず雨が降るといわれ、千代若丸と乙王を忍ぶ雨として昭和初期のころまで小松地区の人たちは仕事を休んでお参りしたといわれています。乙王ノ塚から伊予ヶ岳方面乙王ノ塚で休憩後、急斜面を下ります。画像のロープは通常張られているものですが、頂上直下はかなりの急斜面で天気が悪かったら危険かな?と感じるところに会員の方がもう1本補助ロープを張ってくれました。(山歩きに慣れていないかたも参加していました)この上も急斜面館山湾と市街地マテバシイの林の中を歩きます。祠これが浅間さま?古い道標がありました。「西すぎもとゑ」この方向には館山の杉本山観音院があるそうで巡礼の道だったことが推測されるとか笠を冠った旅装束の民が指差ししています。炭焼き窯跡マテバシイの大木林を通り、孟宗竹林を経て小松寺に戻ってきました。