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2008年11月02日
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常識的には、「国家社会主義」という政治思潮は新しいものであって「国家主義」的な動機を擁している旧来的な政治基盤に新興思想である社会主義が改良主義的に取り込まれたなどという把握がなされていて、そのように学んだ記憶もある。



つまり、近代において勃興した重商的な国民国家の形成に成功しつつも中央集権化を一層高度化して王政を極度化するまでの国富拡張をとげた王権を下に形成された「国民国家」が前提となった政治思潮であると尋常には理解されているのではないか。


一国の国民経済においては、概して一次産業的なものから二次産業、三次産業などへの構造変化が生じており遠隔地公益はすでに国家基盤の一部をなして伝統的な民族国家という色彩をややもすると押しやりむしろ巨大な官僚機構が複数の民族的な系統を軍事的に物理封殺しつつ国家の高度形成に向かっているものという風に読み解ける。これは世界史などに登場する近代における定着した通俗的な理解ではないだろうか。すくなくとも20世紀初頭に勃興したソビエト政権以後の「社会主義体制」とは異質なものと把握されがちだったはずだ。異質であるがゆえに、社会主義の国際的な影響力が高揚した時代において批判摂取され「国家社会主義」が補完的に形成されると教えられたように思う。



ところが、現実にはそこには「国家主権」についての素朴な同伴行為、もしくはイデオロギー的な渇望から「民族的国家」への追慕とでも呼ぶしかない偏狭なるナショナリズム傾斜などがみられ、それとは隔絶する冷徹な行政組織を前提とした「国家主義」の取り違えすらも頻発していて、錯誤ともいえるカルト的なまでの偏狭な愛国主義の貌で無知を披瀝するものが少なくない。まして「国家社会主義」を分析する視点を一切持ち合わせずに高度資本主義の転形期に雨散霧消したものと無造作に理解してきた。他ならぬわたし自身の理解は、その程度だったように思う。



これを、まず最初に違和感を抱いた十代。それはほかならぬ同世代らの狂奔疾駆するあの学生叛乱期にいたずらなまでに濫造された「歴史認識」のナンセンスさ。それらへの失望感に発するものだった。















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最終更新日  2008年11月03日 05時38分01秒
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