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Day by Day(その日 その日)

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2010/08/27
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今年の正月早々、高校時代の友人K君から40年ぶりの年賀状が届いたポスト

高校3年間のうち2年生でしか同じクラスでなかったのに妙に気が合ったダブルハート旧友の一人である。

休憩時間、放課後、映画(当時は祐次郎ブームであった)、夏休みキャンプ等当時を思えば鳥肌が出るほど懐かしいグッド

     カメラ2人が写った当時の秘蔵写真マル秘をお見せしましょう
写真00021.jpg

K君は右端、小生は学生帽子  どきどきハート女性はクラスメートですどきどきハート

50年前の写真です誰もわかっちゃーいないからプライバシー**には触れません(笑)

卒業後の数年は手紙で連絡をとりあっていたが(家庭内には電話が普及しておりません)就職、結婚等人生の曲点以来自然と疎遠となってしまった。

毎年、年賀状を書く頃になると「あいつ何をしているかなあ?」気にはしながら数十年・・・・・きみまろ氏の語りみたいどくろ

毎年の同期生会にも返事が来ないので幹事長も所在不明として放置していたらしい。

音信不通のまま数年、数十年が経った・・その間は高度成長時代、オイルショック、バブル崩壊、昭和時代の終焉・・・・

歳月は慌しく過ぎ去っていきました・・そして誰も歳を重ね・・・やがて還暦、退職!

      それが冒頭の年賀状なので驚いてしまったびっくり

慌てて年賀状の住所、小金井市に電話をしたのが正月4日・・・・

K君は大学卒業後Y新聞社記者として関東、信州、信濃、越後、東北、近畿と慌しく各地を転勤しながら世情、世相を伝えてきたが今年退職する事となったという電話ノートえんぴつ

  日本史上かってない慌しかった時代を・・誠にご苦労なことであったりぼん

          <詳細も概要も省略>

  そうだったのか、新聞社か・・それも柄でもなく新聞記者か!?

年賀状以降何回か連絡をとりあってはいたが一端単身帰省するから「会おう」ということとなった。

まだ小生の事を覚えていてくれたという喜びと長年の希望が叶えられる期待とで妙に数日間は当時を思い出してばかりいた月

そして26日(木)実に45年ぶりの再会であった号泣

    再会は我家で行った、そのほうが何かと便利で寛いで話せるからだOK

聴けば現在も生家は現存しその敷地内の別棟で姉夫婦、隣家で妹夫婦が住んでいて生家、墓地に至るまで兄弟に維持してもらっているとあった(K家は土地持ちの分限者であった)

      要するに<姉ー本人ー妹>の跡取り息子であった

中学生の頃、母を亡くし姉は結婚し他郷へ嫁ぎ父、妹での3人生活だったが大黒柱の父が結核を患い長期療養生活を余儀なくされた。

その頃が高校生時代であった、妹と2人の貧乏家庭で「淋しい10代であった」というから余程小生との間柄を心の糧とし大切にしていたものと思える。

ごく普通に交際していた筈なのに「随分貴君には励まされた」というのだが私はその記憶は薄い。
   
    ※父は病気回復後昭和の晩年まで一人暮らしで75歳で亡くなった。

そんな事が高校生時代であったとは少しも存ぜぬ自分であったから思わず絶句!・・K君涙ぐむ涙ぽろり

<その頃の私は>
祖母、両親、3人兄弟(やがて早々姉は嫁いだが)5人の農家の家庭環境でその頃は空腹を満たすのが一番の幸せの時代であったし、また家庭の悲哀を味わった事もなかった。

機械化が導入されだすのはまだまだ後世の事で牛馬、大八車の時代であって高校生といえど一人前の家内労働者であった。

辛かったのは肉体労働だけでK君のような精神的苦痛を味わう事がなかったのは幸運であったと今になってしみじみ思うのである。

<Kの話に戻します>
定年も過ぎ第2就職も終えた今、余生をここ米子の生家で送る事を決心したという!

暗くなるまで話題は尽きない、今回居候している姉夫妻宅まで田舎のベンツで送ったが帰路途中、大山と日野川堤防に沿って走ったが故郷の山河に接ししきりに懐かしがるK君!

到着すると姉さん、妹さんにも面会する事が出来て丁重なご挨拶を受けたスマイル

空家となっている生家の解体、新築、引越し作業・・・彼は第2の人生設計が始まったばかりだ

彼の前途は厳しいものが山積しているに相違ないマラソン

在郷の同級生に呼びかけて力にならなければと思いつつ彼の健康と幸運を願った次第である。

      最後に大好きな詩を載せ彼の心境に迫りますメールする

   
   ※不世出の名馬シンザンをモデルにした競馬長編叙事詩

         <叙事詩:さらばサラトガ>  寺山修司作

血が冷たい鉄道ならば

走り抜けていく汽車はいつかは心臓を通ることだろう


同じ時代の誰彼が地を穿つ寂しい響を後にして

私は汽車で帰って行く


サラトガを積んだ貨物列車の最後便

病んだ妻と二人で一頭の馬に教えてもらった

雄姿の故郷の唄を歌いながら私は帰る


たぶん、競馬は人生の比喩ではないだろう

しかし人生は実に競馬に似ている

川が港、海へ注ぐように人は皆、淋しい心臓の荒れ野を通って

故郷へ向かって帰る事を繰り返すのだ
         

 ※同じ牧場で生まれたサラトガとその牧場主の息子である一人の男との数奇な運命を、哀感 たっぷりに描いた寺山流競馬ワールド(昭和42年1月 NHKラジオ放送)





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最終更新日  2010/09/06 04:26:26 PM
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