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草野心平(1903-1988年)という名前は、この人物記念館めぐりではよくでてくる名前である。
高村光太郎の高村山荘の入り口の書が草野心平の書いたものであったし、宮沢賢治の発見者としても名前が残っている。またこの人の書いた詩として私が唯一覚えていたのは、「ゴッホにはならずに、世界のMunaktaになった」という棟方志功を語った詩である。 ---------------------------- 鍛冶屋の息子は 相槌の火花を散らしながら わだばゴッホになる 裁判所の給仕をやり 貉の仲間と徒党を組んで わだばゴッホになる とわめいた ゴッホになろうとして上京した貧乏青年はしかし ゴッホにはならずに 世界の Munakataになった 古稀の彼は つないだ和紙で鉢巻きをし 板にすれすれの独眼の そして近視の眼鏡をぎらつかせ 彫る 棟方志功を彫りつける ---------------------------- 同時代の様々な人たちがこの詩人と縁を持っている、このことに興味がいつの間にか湧いてくる。 草野心平記念文学館は、福島県いわき市小川町に独特の雰囲気を湛えて建っている。 1903年生れの草野心平の生涯を暗いドームの中で7つの時代に分けて、代表的な詩集や直筆の詩の原稿、そして写真、映像などで紹介している。 野生児の激しさをもった天衣無縫な少年時代、 中国・嶺南大学(中山大学)に留学して広東で勉強し同人誌「銅鑼」を創刊した青春時代、 放浪と貧困の連続の中で詩集「第百階級」を書いた疾風怒涛の二十代、 詩誌「歴程」の創刊、詩集「母岩」「蛙」「絶景」「富士山」「大百道」を出して中国南京政府に協力した30代の開花の時代、 東京での居酒屋「火の車」の開業と詩集「日本砂漠」「牡丹圏」「定本蛙」を立て続けに出版し読売文学賞を受賞した蘇生の時代、 各賞の選考委員や日本ペンクラブ理事、日本現代詩人協会会長などをつとめながら詩集を出版する爛熟の時代、 晩年の13年間に12冊の年次詩集を刊行した生の充溢期。 この詩人は、詩もいいが、人物としても興味深い。国内だけで転居32回、様々な商売を手がけ居酒屋「火の車」を開業し包丁を握り奥の四畳半で健筆をふるった。間口一間半、14席のこの居酒屋のお品書きを自ら命名している。悪魔のこまぎれは酢だこ、白は冷や奴、天はと特級酒、耳は一級酒、鬼は焼酎、麦はビール、炎はウイスキー、泉はハイボールなど、詩人としての才能を発揮して名前をつけているのも愉快である。ここでは、文学者仲間との怒号と議論、客との喧嘩などもあり、心平の戦後蘇生期を語るときに欠かせない場所である。文学館には、この居酒屋がつくってあって見学者の目を楽しませてくれる。そして当時の車や電車の音や人々の声などが聞こえてくるという凝った趣向など臨場感あふれた空間展示である。 石ころコレクションの展示がある。友人たちが世界各地から石ころを土産に持ってきてくれたものである。遠藤周作はサマルカンドの石、武田泰淳はサハラの石、団伊球磨は北京、植村直己はエベレストとグリーンランド、吉田直哉はアマゾンといった具合だ。 晩年の動きを見ていると、詩人としての仕事以外にプロデューサーとしての才能を十分に発揮しているように見える。世話好きで人から親しまれる人柄であったようだ。心平は友人・知人が多い。詩人、小説家、評論家、画家、音楽家、彫刻家、写真家、冒険家など、様々な個性豊かな人たちをひきつけている。彼は、有能なオルガナイザーだったのだ。 友人たちの草野心平評が人となりを伝えているようなので紹介しておきたい。 埴谷雄高「天衣無縫な東洋的大人」 那珂太郎「正直さと動物的直観力」 中村稔「才能を見出す天才の人」 高内壮介「人間を放下させる一人のあらえびす」 河上徹太郎「得意な風格を持つ国際人」 大岡信「司祭」 入沢康夫「片方で、すごく豪放磊落ででたらめで暴れ者で酔っ払いだというイメージがあり、片方では、すごい営利で繊細で宇宙のいちばん深いところまで根がおりているという感がある」 文学館を入って正面の窓ガラスに詩が書き込まれている。空に詩が浮かんでいるようにみえるしゃれた趣向である。その詩のタイトルは「猛烈な天」だった。 血染めの天の。 はげしい放射にやられながら。 飛び上がるやうに自分はここまで歩いてきました。 帰るまへにもう一度この猛烈な天を見ておきます。 仮令無頼であるにしても眼玉につながる三千年。 その突端にこそ自分はたちます。 半分なきながら立ってゐます。 ぎらつき注ぐ。 血染めの天。 三千年の突端の。 なんたるはげしいしづけさでせう。 「第百階級」の「秋の夜の会話」 (第百階級とは末端階級としての蛙のこと) さむいね。 ああさむいね。 虫がないているね。 ああ虫がないているね。 もうすぐ土の中だね。 土の中はいただね。 痩せたね。 君もずゐぶん痩せたね。 どこがこんなに切ないんだろうね。 腹だろうかね。 腹とったら死ぬだろうね。 死にたかあないね。 さむいね。 ああ虫がないているね。 帰り際に、停めてあったタクシーの運転手が写真を撮ってくれた。その人はこの文学館のお客を案内しているといって、「大岡信先生が見えているんですよ」と教えてくれた。館内から出てきて車に乗ったのは、「折々のうた」の大岡信その人だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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