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久恒啓一

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1942年のミッドウェー海戦の大敗北から3年後の1945年2月、硫黄島を守備する2万千人の日本軍は、6万千名の米軍上陸兵力の総攻撃を受ける。5日間で終わらせるつもりだった米軍は36日間という予想外の時間をかけることになった。この間、日本軍は約2万人の損害を出したが、米軍は約2万9千人の損害(戦死者5500人)を蒙った。これに引き続く戦いとなった沖縄では米軍は4万9千人の大損害を出す。この二つの猛烈な日本軍の戦いが、100万を超える米軍犠牲者の予測を生み本土上陸作戦を思いとどまらせたのである。

最も過酷な戦闘を戦った将兵たちは、会えるはずのない内地の家族に宛てて手紙を書く。その数百通の手紙は最後の突撃にあたって砂に埋められる。その手紙が60年後に発見されるところからこの映画が始まる。

東京から1250キロの位置にあり、中継基地としての利用が可能な硫黄島が落ちると、マリアナから米軍によるB29による東京空襲がしやすくなるため本土が危なくなる。指揮官・栗林忠道中将は、持久戦を選び米軍に大きな損害を与え続ける。ラストサムライで西郷とおぼしき人物の名演技で有名になった渡辺謙が演じる栗林は実に魅力的に描かれている。
「大本営は国民をあざむくばかりか、われわれもあざむくつもりか!」と憤慨しながら、「予は常に諸子の先頭にあり」という言葉を何度も口にし最後まで兵の士気を維持し続ける。
栗林は「我等は各自敵十人を倒さざれば死すとも死せず」「我等は最後の一人となるも「ゲリラ」に依って敵を悩まさん」という「敢闘の誓」を部下に叩き込んでいる。
陸軍と海軍の連携の悪さ、旅団長や参謀の立てた作戦の大幅な修正と反抗に遭いながら、「我々の子供らが日本で、一日でも長く安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る一日には意味があるんです」と、自らの信じる作戦の目的とそれを実現するための作戦とその実行に立ち向かう。

栗林の訣別電報は大本営によって改ざんされる。武器弾薬にも事欠く状況をあらわした「徒手空拳」という言葉は削除された。また「国のため重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」は、末尾を「散るぞ口惜し」に変えられたという。
梯久美子が書いた「散るぞ悲しき」という本があり第37回大宅壮一ノンフィクション賞をとっている。帰りに寄った書店で購入した文藝春秋にも、「硫黄島 栗林中将 衝撃の最後」というこの作家の文章が載っていた。このタイトルには「ノイローゼ、部下による惨殺説の深層」という注がついていて驚いたが、筆者の梯久美子はそういった説を否定している。この文春2月特別号には「ヤクルト400」という飲み物の広告が出ているが、キャラクターは渡辺謙だったので、驚いてしまった。

監督は76歳のアメリカ人のクリント・イーストウッド(「ミリオンダラー・ベイビー」などの優れた映画監督作品でアカデミー賞を受賞している)だが、主役の渡辺謙は「僕自身は、この作品は日本映画だと思っています」とインタビューで語っている。

アメリカ映画らしく戦争シーンは迫力があるが、この映画の真骨頂は日本軍の将兵と米軍の兵士の故郷に残した家族に対する愛情の物語である。反逆あり、死への恐怖あり、犬死あり、裏切りあり、投降ありという物語の中で、二宮和也演じる兵士・西郷と指揮官・栗林との幾度かの交流のシーンが縦軸となって展開していく。司令部で育てているヒヨコの成長を娘に書き送ったりする栗林の姿が何度か描かれているが、内地に残した家族とのきずなを感じさせるシーンだ。

映画の中で兵士たちが語った言葉をいくつか。
「国のために尽くすが、無駄死にはしたくない」
「靖国で会おう」
「どっちが陛下の御ためか」
「墓穴を掘るのかな、俺」
「米軍は腰抜けだと聞いていた。しかし違った。鬼畜米英と教えられた。
 しかし母からきた文面の内容は私の母と同じだ」

ロッサンゼルスオリンピックの馬術で金メダルをとった西武一が捕虜にしたオクラホマ出身の米軍兵士と英語で語り合うシーン、栗林の米国駐在時の回想シーンなど、、、。

映画館で買ったパンフに「未だ故山に帰れぬ1万3千余柱の慰霊の島」という元北硫黄島主舞台指揮官のインタビューが載っていた。経歴をみると大正12年生まれだった。そうすると6年前に亡くなった私の父と同じ年ということになり感慨を覚えた。もう80代半ばになるこの遠藤喜義氏は、硫黄島協会を設立し戦死者の遺骨収集、遺品返還、硫黄島渡島慰霊追悼式などの責務を果たしている。

硫黄島にはいまだ1万3千名の遺骨が眠っているそうだ。現在は海上自衛隊管理の航空基地が設置され、一般人は許可なく島に立ち入ることはできない。最初のシーンで、「岸信介」という名前がプレートに書かれていたように思うが、戦後の内閣総理大臣として岸が掲げたものだろう。

「硫黄島からの手紙」は日本人にもアメリカ人にも、そしてあらゆる国の人にも深い感銘を与える映画だと思う。
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「U7」という雑誌がある。「学士会」(旧7帝大の卒業生の会)が若い対象者向けに出している。そこから取材依頼があって3月号に出ることになった。見本が届いてみると、硫黄島のことで2006年度の大宅壮一ノンフィクション賞をとった「散るぞ悲しき」の著者の梯久美子(北大出身)さんがインタビューを受けていた。この人はアエラの「現代の肖像」の常任ライターでもある。この欄のライターは力のある人しかなれない。
・丸山健二さんから「梯さんみたいな人が、栗林中将のことを書けばいいんだけど」と言われる。
・あそこで亡くなった兵士は、間違いなくここで生きていたんだということを実感できた
・亡くなった人を書いたのはこれが初めて。というよりすでに死んでいる人を好きになったのが初めて、と言ったほうがいいのかな。
・本にした内容は取材したことの10分の1程度
・テーマとしては、しばらく亡くなった人に会いに行き、知り合いになる旅を続けてみたいと考えています。(1月15日追記)








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Last updated  2007/01/14 10:35:07 AM
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