長野巡り
善光寺を後に、この日の挨拶巡りにレンタカーを利用して出発。長野道・姨捨サービスエリアからの善光寺平。中央を流れるのが「千曲川」、画面右が上流。「棚田」が有名な場所だがこの時期は雪の下。車窓からは遠くアルプスの白き山々が見えた。高遠城址に立ち寄る。伝、高遠城大手門。勘助曲輪の道向かいに建つ。この門は高遠高等学校が、この地にあった昭和59年まで正門として使用されていたと。高遠城跡から望む高遠の町並みと中央アルプス。高遠町歴史博物館。平成8年9月にオープンした高遠町の歴史や人々の暮らしをテーマ毎にスポットを当てた展示館。また「高遠探訪」「桜」のマルチメディ ア情報検索コーナーやハイビジョンによる「心の賛歌・信州高遠コヒガンザクラ」を上映する桜シアターなども備えた博物館。名君保科正之公とその生みの親お静の立像。保科正之は、江戸時代のはじめに2代将軍徳川秀忠のご落胤として生まれ、7歳のときに保科家の養子となって信州高遠に来たのだ。成人して3代将軍家光の異母兄弟として知られるようになり、26歳で出羽国最上(山形)藩20万石の大大名となるまで高遠城に暮らしたとのこと。その後、会津藩23万石の藩主に出世し、さらには幼い四代将軍家綱の後見人としてかじ取りをした素晴らしいリーダーとなったとのこと。高遠町では、「保科正之公」の生涯を大河ドラマ化しようと、9年前から運動を続けていると。桜の木々が広がる山の上には天守閣のようなものが。高遠の桜は、コヒガン桜という種類で、ソメイヨシノより少し小ぶりで赤みが強くいと。1500本以上あり、古くから「天下第一の桜」と称されて全国的に有名で、「さくら名所100選」にも選ばれているのだ。満開時には公園全体が薄紅色に染まり、白いソメイヨシノとは一味違った桜を楽しめが、全国からの多くの観光バスや観光客で混雑すると。昼食は高遠そば『入野家へ』 。高遠そばとは、辛味大根をおろした絞り汁に、香ばしい焼き味噌を入れた"辛つゆ"で食べる蕎麦。その歴史は古く、江戸時代の高遠藩主・保科正之公も好んで食ていたとのこと。まだ醤油が無い時代のこの地域のお蕎麦の食べ方。保科正之は高遠藩から福島の会津藩に国替えになり、その時、すべての家臣と一部の町人なども会津に移り住んだと。それにより、色々な文化が伝わり高遠そばもそのひとつ。現在でも会津には高遠そばがあるとのこと。辛み大根の絞り汁と焼き味噌と薬味のネギ。焼き味噌を絞り汁に入れ箸でかき回して準備完了。のど越しの良い7割蕎麦?ボリューム一杯。大きなエビの天ぷらを塩で。そしてキノコの炊き込みご飯も小鉢に。漬け物も美味。昼食後は再び車を伊那市役所へ。 伊那市役所内にあった「伊那の勘太郎」人形の実物大。でも「伊那の勘太郎」と言っても、「なに? それ?」と首を傾げる人がほとんどでは?「戦時中に大ヒットした映画の中のヒーロー」で実在した人物ではないのである。よってこの名を懐かしく感じた人は確実に私より先輩の方々。市役所内には別の彫刻の2作品も。 仙丈ヶ岳。長野県伊那市と山梨県南アルプス市にまたがる南アルプス国立公園内の赤石山脈の北部にある標高3,033 mの山、と蕎麦屋の店主から。そして年始挨拶は続き、浅間山が見える小諸に到着。 帰路は長野新幹線佐久平駅から。夜になるとイルミネーションが美しく輝くとのこと。そして漸くこの週の挨拶回りを終え、東京駅から家路についたのであった。そして次週も再び青森、秋田への旅が。