深川七福神・深川神明宮へ
先日、卒業した会社を訪ねる必要がありましたが、午後からで良かったので午前中は深川七福神巡りに行ってきました。きっかけは、正月にテレビ放映が行われていたのも動機の一つ。湘南新宿ラインで新宿へ、そして地下鉄都営新宿線で森下駅まで。そsこから徒歩にて数分で深川神明宮へ到着。鳥居には「深川発祥の地 深川神明宮」の横幕が。徳川氏の関東入国から間もない慶長元年(1596)、徳川家康が当地を巡視されたおりに、深川八郎右衛門を呼びよせ、地名を尋ねたと。「まだ住む人も少なく地名もない」と応えると、家康は八郎右衛門の彼の姓「深川」を地名とするよう命じたのだと。 深川の地名の発祥は、神明さまの鎮座する実にこの地。以来、深川の地は江戸の繁栄とともに賑やかな町となり、深川氏は開拓の功績により代々深川二十七ヶ町の名主を務めたと。 鳥居の脇に由来記なる石碑が。今から凡そ四百余年前、ここ深川の地は葦の茂る三角州。いるのは狐狸や野鳥ばかりの、住む人もいない荒れ地。そこへ深川八郎右衛門という人が、一族を引き連れやって来て開拓を行ったのだと。この深川八郎左右衛門は滅法信心の深い人物だったようで、開拓民の安寧と当地のますますの発展を祈願するため、以前より崇敬する伊勢皇大神宮のご分霊を賜り、屋敷の一隅にお祭りしたのが、この深川神明宮の初めなのだと。 深川神明宮と刻まれた石碑。 日本画家・伊東深水は、明治31年(1898)2月4日、深川西森下町のここ深川神明宮門前で生まれたのだと。深水の雅号は、深川の水にちなむものであるとのこと。日本の女優・タレント・歌手の朝丘雪路は伊東深水の娘。最近、ほとんどテレビで見ないが元気なのであろうか・・・・・・。参道の両側に並ぶ神輿庫とその扉には例大祭の様子が描かれていた。 例大祭は毎年、8月17日に近い日曜日に行われると。手水舎。 深川七福神巡りの新年御開帳期間はこの日が最終日。二月三日の節分・豆まきの案内も。 神明宮本殿。創建年代は慶長年間(1596~1615)以前とのこと。深川において創立の最も古い神社。 ご祭神は天照大御神、伊勢神宮の分霊を祀る。 福徳は延命長寿とのこと。寿老神社。深川七福神の寿老神を祭る。 寿老神は、寿老人とも書き、中国道教の神。また中国の老子の化身の神とも。寿老神は、白髪長寿の老人の姿をして、杖を手にし、杖には人命の長寿を記した巻物を吊し、鹿を伴っている。鹿は、長寿を司る寿老神の神使とされていると。寿老神は、人に延命長寿の福徳を授ける福神として、信仰されて来たのだと。 境内の白梅も既に満開に近かった。 例大祭の写真集も好評発売中とのポスター。 和合稲荷神社。古くは神域内の各所に各々に祭っちていた十一柱(和合大神,稲荷大神,浅間大神,厳島大神,疱瘡大神,鹿嶋大神,大国大神,御嶽大神,金比羅大神,道祖大神,北野大神)の神々を昭和に入って末社として合祀し、和合稲荷神社となったのだと。 深川発祥の地・神明さまの境内に並ぶ十二の町神輿を納めた神輿庫の扉に、各町自慢の神輿を描いた神輿絵が奉納されているのであった。 躍動と静寂、興奮と緊張が十二の画面の中で、見事に表現されていた。 寿老神の御朱印を頂きました。そしてこの深川神明宮をスタートとし深川七福神巡りを楽しんだのであった。