格安航空券の歴史―輸入航空券が正規運賃を崩した
高い水準で固定されていた日本の国際航空運賃を崩したのは、80年代後半に現れた「輸入航空券」でした。世界の航空運賃は、ジャンボ機の導入と航空自由化で70年代に急速に下がったものの、日本発の国際運賃は一向に下がりませんでした。しかも、80年代に入って日本の円高は急速に進み、内外価格差は一気に広がりました。海外旅行のたびに世界の航空運賃の安さに驚くとともに日本ではなぜその恩恵が受けられないのかとの不満が高まりだし、格安券へ流れる消費者が増えました。それでも日本で国際航空運賃が高値を保ったのは、当時の運輸省の航空政策と、JALによる国際線独占のためです。日本は海に囲まれて他国から完全に隔離されており、自立した政策を取りやすい面があります。陸地でつながっているヨーロッパなどではありえないことです。行政当局の政策で航空業界を左右できるだけに、エアラインだけを擁護し、国民の利益をないがしろにしていた行政の責任は重いといえるでしょう。同時に国際線を支配していたJALの責任も大きいと思います。JALは国際カルテルとの批判も多いIATAと連携し日本市場の運賃水準を高く固定させました。日本人が海外の事情に疎いことを利用し、運賃水準の低下を阻んでいたのです。一方、日本の円高はますます進み、85年の主要5か国蔵相によるプラザ合意の声明を受けて、円は一気に上昇します。声明当時、1ドル240円台だった円は、1年半で140円台にまで急騰しました。日本人は輸入品の価格が月ごとに下がるメリットを喜びましたが、国際航空運賃の価格はなかなか下がりませんでした。JALが値下げに消極的だったので、IATAが運賃改定に積極的取り組まなかったことと、JALが為替レートの「調整金」なる仕組みを隠れ蓑にして、利益を溜め込んでいたからでした。これによって「方向別格差」が顕在化しました。日本発海外行きの運賃と海外発日本行きの運賃に差が生じ、その格差がエコノミー運賃でも10~15万円に達したのです。格差是正を望む声に対して、当時の運輸省は、「格安券の攻勢などで国内航空会社の経営状況が厳しい中で、方向別格差を是正するのは難しい」放置しました。格安券の勢いはますます増大していましたが、JALは一向にこたえていませんでした。格安券には「不正」のイメージがつきまとい、最大の収益源であるはずの企業が利用をためらっていたからです。格安券の供給は、一部旅行会社がやっている「パッケージ旅行の座席のバラ売り」にとどまりませんでした。内外価格差で利益を得たエアライン本体が旅行会社に、販売手数料とは別に、安売りの原資となる「キックバック」(販売奨励金)をチラつかせながら、座席の販売拡大にプレッシャーをかけていたからです。その額はJALだけでも年間2000億円にのぼっていました。ところが80年代後半にこの間隙をぬって新たな商法が現れました。内外価格差を利用し、海外都市を発地にして日本を経由する正規航空券を発券し、日本の依頼主に届ける「輸入航空券」を販売し始めたのです。米国行きを計画している日本人に、香港などから日本往復の航空券を加えて発券し、香港-日本間のチケットを捨てて、日本-米国間のチケットを使用するのです。重要なことは、これは立派な正規航空券であるということです。企業はこれに飛びつきました。あわてたエアラインは対応に苦慮したあげく、一部のエアラインが「違法」を理由に搭乗を拒否しました。根拠はIATAの運賃規則では「一連の航空券はつづられた順番通りに使用する」ことが決められており、2枚目からの使用は不正使用にあたると主張したのです。しかも、監督官庁の当時の運輸省はためらうことなくエアラインを擁護し、JALは過去最高の利益を謳歌していました。これが利用者の不満に火を付けました。「内外価格差を還元せずに利益をむさぼって、輸入航空券の利用者を犯人扱いするのはおかしい」との声が上がり、マスコミもこぞって批判しました。円高に苦しむ企業を多く抱える財界からも、エアラインの姿勢を批判する声が噴出しました。輸出企業は円高で採算が悪化し、血のにじむような努力で利益を何とか出しているのに航空会社は国際線を独占している立場を利用して、棚ぼた的利益を利用者に還元せずに享受するのは不条理だとの意見が強まりました。さらに92年には公正取引委員会の諮問機関である「政府規制と競争政策に関する研究会」から「国際線の割引運賃のカルテルを独占禁止法の適用対象からはずしている制度を見直し、自由な競争を促進するよう」提言を受けた公取委員会が航空運賃の自由化を要求したのです。これによって、当時の運輸省はようやく軌道を修正し、実勢価格と大きくかけ離れていたエコノミークラスの正規運賃を実態に近づける新運賃制度を94年4月からスタートさせました。新たに個人の包括旅行運賃(IIT)と割引運賃(新PEX)を設けるとともに、IATAの統一運賃に一定の幅を持たせ、その範囲内であればエアラインが自社の裁量で価格を設定できる「ゾーン制」を導入したのです。一方、団体包括旅行運賃(GIT)は98年には下限も撤廃されて、パック旅行に安いメニューが登場しました。★マンションの老朽化対策について書いています。★日曜日の新潟記念の予想は当日公開します。