東京高裁、名誉毀損に逆転有罪判決
日本の刑法は、230条で名誉毀損罪について定めています。事実を提示して他人の名誉を低下させる行為は、刑法上犯罪になると言うのが大原則であるわけです。 名誉毀損は、真実を言ったとしても成立するのが原則です。名誉毀損のどこにも、嘘の場合のみだ、なんて書いてありません。 悪人を悪人と名指ししても当然罪になります。なぜか社会から高評価を受けている人の真実をばらす、つまり「虚名を剥ぐ」のも名誉毀損に当たります。現行法は、言ってみればはじめに名誉ありきの姿勢で名誉を守っていると言っても過言ではないのです。 しかし、事実に反して個人が持つ名誉は、場合によっては剥がれなければ困ることがあります。政治家の汚職をばらしたらたちまち名誉毀損なんてことになっても困ります。 表現の自由は、憲法上特に重要な人権の一つ。その価値は、表現によって自分の自己表現達成を得ると言う自己実現の価値と、表現行動によって人が政治的見解を集めて自由な討論の場を設け、それを民主制社会に生かすと言う自己統治の価値があります。他人の名誉毀損は表現の自由の濫用で処罰するというのは支持できても、万一証明にしくじれば問答無用で処罰ということでは、表現を萎縮させかねません。表現の自由について、それを萎縮させるような立法は、下手をすれば憲法に違反する恐れもあります。 名誉毀損をめぐる諸問題は、まさに表現の自由の北緯38度線と言ってもよいでしょう。 私自身は、この世界に本格的に入ろうと思った原因のひとつが、報道被害をはじめとする名誉毀損に関する諸問題。従って、私は名誉毀損やプライバシー侵害は成立する方向で考える傾向があると考えていた方がよいでしょう。そんな問題意識から、刑法は名誉毀損をしても処罰されない類型として230条の2を設けました。戦後になってできた条文らしいです。230条の2によって不処罰になる場合としては、一、提示した事実が公共の利害に関する事実であること二、事実を発表した目的が専ら公共の利益を図るためであること三、提示した事実が真実であることの証明があること この3つを「全て」満たす必要があります。一つだけ満たしていても問答無用で処罰されてしまいます。逆に言えば、230条の2があればこそ、真実を言えば正しい行為(刑法35条)・・・と言うような解釈論は封じられているともいえます。(そうではない、と言う学説もありますが) なお、ここで言う証明は、一般に合理的な疑いを入れないほどの証明、言い換えると刑事裁判で有罪判決が取れるほどの証明を要求される、というのが通説ですし、判例も同趣旨であると解されています。 しかし、そうすると困るのが、「真実であることの証明にしくじった場合」です。 愚かにも軽信して、証明ができなかった場合。刑法38条1項は「罪を犯す意思のない行為(つまり過失)は特別の規定がない限り罰しない」と定めていますが、軽信については罪を犯す意思のない行為とはいえない、つまり230条の2の適用はないということで、判例はもちろん学説の大勢のようです(もっとも最近は軽信であっても故意なしという見解も有力化)。法文上「証明があった」ことまで要求されているので、ただ単に真実と誤信したというだけでは本条の適用は難しいこと、更に言えば、ちょっと誤信すれば言いたい放題だというのを認めると、名誉の保護が著しく後退する(誤信したんだと言えばあまりにも言い逃れが容易い)という発想があるのでしょう。 しかし、十分な調査をして発表したけども、運悪く誤信し、それを記事にしてしまったと言うことまで処罰の対象にするのは、表現の自由の見地から問題があります。そこで、そういう場合に処罰しないための理論構成が問題になります。ところが、これがなかなかの難物。最初から説明に成功していると言えるのか怪しい部分が多いのです。最高裁判例は「十分な調査をして誤信した場合には犯罪の故意がないので処罰しない」といいます。 現在は少なくとも十分な調査をした場合において処罰はないという結論自体は確立した判例と言ってよいでしょう。実際上、名誉毀損訴訟で真実性の証明を争う場合には、真実かどうか以前にどれほど調査検討をしたかが争点になる場合のほうが多いようです。 しかし、「故意がない」とはなんでしょうか?故意というのは、一般に「犯罪の構成要件に該当する事実の認識」とされますが、名誉を毀損すること自体は認識しているので、一般的な故意概念からすると、調査・検討の有無が故意の成否に影響するというのは、ふしぎな現象ということになります(学説上は、故意を構成要件的故意と責任故意に分類する見解からそれを説明したり、制限故意説という説から説明するものもあるのですが・・・)。 また、十分に調べないことが問題だ、というのはむしろ過失犯の問題です。実際、230条の2は証明にしくじった場合は過失名誉毀損罪として処罰する規定であって、きちんと調べた場合には過失がないから不処罰なんだ、という見解も有力な学者が語っているし、民事不法行為上もそのような場合には過失がないとされますが、あまりにも技巧的過ぎる見解ではないかという感想は拭えません。 さて、東京地裁で去年出された名誉棄損での判決にこのようなものがありました。 「インターネットの書き込みについて、一般の報道機関とは異なる基準で判断されるべきである」 十分に調査した場合においては、名誉毀損罪は成立しないという考え方には一応争いはないはいえ、何を持って十分な調査と言うかは問題になりえます。そこで地裁の裁判官はネット利用者として要求される水準の調査をすれば、先述した、調査をしたものの誤信した場合による不処罰によってよい、という理解だ、というのです。インターネットは反論がたやすい、あるいは信用性に乏しいから、必要な調査の具合も低い、と判断。それで、旧来ならおそらく十分に調査したとは言えないだろうけど、インターネット対象と見れば十分調査しているから無罪、と言うのです。 後出しで前から思っていたと信じてはもらえないかもしれませんが、私は第一審の解釈には疑問を持っていたというのが本当のところでしょうか。弁護人の方々は仕事ですから当然として、この解釈は第一報に接したときは「ええっ?」と思ったのがホンネです。 第一に、ネットにおける情報の信頼性は低い、というのが論拠になっていますが、はじめに名誉ありきの名誉毀損法において、それが理由になるのかは疑問と感じます。「火のないところに煙は立たぬ」ともいいます。つまり、信頼性の怪しい言論であるからといって、それが名誉に対して保護を緩める理由になるのかどうかは疑問であるということです。また、信頼性の怪しいところでなら公表できる→信頼性の怪しい所でしか公表できないというのは、それ自体が却って情報の公共性・公益性を否定しかねないものです。問題のある行動があるなら、そんな所に頼るのではなく、もっとしかるべき手法によって告発すべきではなかったのかが問題として残ります。また、精度が低いというのなら脅迫罪などとの関連ではどうなのかな?という気もします。つまり、2ちゃんねるの殺人予告なんて笑い飛ばせばいいじゃん、と言う立論さえ成立しかねないことにならないでしょうか(やや極端かもしれませんが)。 第二に、反論可能性が理由として挙げられていること。そういった当事者の反論可能性の考慮はネットの匿名性・密行性を無視しているおそれがあるということです。要するに、知らないところでこそこそと行われる名誉毀損には太刀打ちできないんじゃないか、という話です。また、今回の判決の一部には「反論を要求しても不当な場合ではなかった」と判決していると報道されています。そのような場合に限定して考えるとすれば、密行されている名誉毀損については射程にならない可能性がありますが、この場合にも問題はあります。それは、一定の事実を否定する場合、可能なのは「言い張る」ことだけという場合があること。不存在立証は悪魔の証明ですが、言い張るしかないのでは当然説得力も低下し、立証もできない根拠不十分な説にも一定の説得力が生じてきてしまいますし、それがかえって燃料となり、名誉毀損を助長するおそれがあるということです。 第三に、ネット利用者の中には、何千万ものアクセスを集める大型HPを持つ者もいます。現在の私のブログは通常1日約200~400程度、総計約40万です。日本棋院中部総本部より多いのです。他方、本当に場末で何年も公開していながら1000単位というところもあります。こういったさまざま特殊な事情に対して、個別にどこまでの調査を要求するのかは相当に設定が難儀であるということです。 第四に、こうした現実の危険発生のレベルをも、いちいち量刑を越えて犯罪の成否に当たって考慮するのは、名誉毀損を抽象的危険犯、すなわち損害の発生立証を要しないとするこれまでの判例の理解にも合致しないのではないか、という点も気になるところです。発生立証と危険立証は違う、という理解だとするなら、それでいいのでしょうか?まあしかし、私が思うところのこうした批判には、「ネット上の簡易な情報で名誉を毀損されなければならない理由はないし、そんなレベルの低い情報に基づいて行う名誉にしぼって、刑法的保護の対象から外す事は適当とはいえない」という実質的判断があります。・・・などということを書きためておいたのですが、時機を失してしまい、公開できずにいました。そうしたら、なんと昨日逆転有罪判決の報が。報道では、控訴審判決は「さらなる社会的評価の低下を恐れて反論を控えるケースがある。内容も、必ずしも信頼性が低いとはいえない」と判断したとのこと。私はこちらの高裁判断の方が支持できるのではないかと思います。(無論、全文を読んでいるわけではないので、報道でつままれた部分の対比においては高裁の方が支持できるという程度ですが) 正直言えば、地裁判決は「市民に知ることができる表面的な情報を知ってさえいれば懲戒請求しても不法行為にならないんだ」という懲戒請求訴訟当時の橋下氏の言説に近いものを感じました。まさかそこまで意識したとは思いませんが。 ちなみに、私はコメンテーター弁護士の発言について表面上の情報しか知らないのにコメントして間違えて他人の名誉を毀損したら弁護士会は処分すべきなどと思っていたりします。(ただし、私見は表現の自由から行き過ぎだろうというのが多数説です) 名誉毀損に関する理屈っぽい話を致しました。 最後になりますが、ネット上の名誉毀損には気を付けてください。一歩間違えれば「自分が加害者」と言うことになることをくれぐれもお忘れなきよう。