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カテゴリ:観光
出雲札所18番、巌倉寺と19番、観音寺にお参りしました。さらに、広瀬町内の他の寺や神社もお参りしました。 巌倉寺参道。 観音寺。巌倉寺の境内にあります。 巌倉寺にある堀尾吉晴墓。 以下、その説明文。 堀尾吉晴は、尾張国丹羽(にわ)郡御供所(ごくしょ)村(愛知県丹羽郡大口町豊田) 遠江国浜松(静岡県浜松市)城主時代の慶長4年(1599)に隠居し、息子の忠氏 慶長5年(1600)、 忠氏が関ヶ原の戦いでの戦功を賞され、出雲・隠岐24万石の 吉晴は松江城の築城と城下町の整備に着手し、慶長16年(1611)松江城が完成 この五輪塔は来待石製で、高さはおよそ3mを測り、来待石製五輪塔としては また、墓の前面には灯篭の基礎と見られる四角形の石柱があり、四方に仏像が 巌倉寺。 城安寺。 富田八幡宮参道。 富田八幡宮。 須賀神社。 洞光寺。
出雲守護尼子氏は、宇多天皇の末裔で世にいう宇多源氏である。当初、尼子持久 昭和47年5月吉日 尼子旧史顕彰会 洞光寺から望む月山。
この宝篋(ほうきょう)印塔は、もと洞光寺所在地であった月山麓金尾の地に設け 寛永年間(1624~43)、金尾より現在地に移寺した際、開山歴代住職の墓標と 降って、昭和33年(1958)、金尾洞光寺跡を仔細に調査し、かねて欠けていた 両公の墓所については他説もあるが、寛永年間、つまり経久公没後83年後金尾の 右 洞光寺殿華山常金大居士(尼子清定公) 没年月日不詳 左 興國院殿月叟省心大居士(尼子経久公) 天文10年(1541)旧暦11月13日 住職誌 子供に混じって90歳の方が書かれた似顔絵が...。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年09月19日 06時27分35秒
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