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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2022.04.19
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テーマ:憲法改正(90)
カテゴリ:憲法

森戸辰男は、第90回帝国議会 衆議院 帝国憲法改正案委員小委員会において、次のように発言している。

「自由とは何かと云ふことが、色々に分けて論じられて居る、恐らく生命の問題は是(これ)は人身保護律か何か出來て、やはり生命身體(しんたい)に對(たい)する自由と云ふものは問題になる、それから幸福追求も問題になつて居る、是は總論的の問題であつて、是が後の規定で個々に論ぜられて居る、

それで其の一つの自由としての生活權、生存權と云ふものがある、生存權と云ふのは是は「フランス」革命の憲法が出來て以來の重要な問題でありまして、分配の方式としては財産權と自由競爭の缺陷(けっかん)を補ふ爲にどうしてもなければならぬ規定であるし、現在さう云ふやうに世の中が動いて居るので、是は一般的の規定があつたのでは唯一定の方向が示されるだけで、何と言ひますか、焦點(しょうてん)がちつとも出て來ない、其の焦點に生存權と云ふことが表示せられることが特に重要なんである、殊(こと)に現在の日本の情勢から考へて、憲法と云ふものが如何にも空漠な理論だけを宣言するものだと云ふ考へ方も相當(そうとう)多いので、さう云ふ事情を考へると、此の點は特に重要な點ぢやないかと私は思つて居ります、

唯一般的に保障されて居る、讀めばさう云ふことが含まれて居ると云ふので、それを別に規定しないと云ふ理由は非常に薄弱であつて、寧(むし)ろ重複しても此の問題は明かに規定することが、「フランス」革命の憲法でなく、「ワイマール」憲法、「ロシア」憲法の後に今日出來る憲法としては是非共必要である、日本の今日の國民生活の状態から言つても、是非是は設けらるべきものと考へます」(1946(昭和21)年7月30日)

 <生存権>の実現は、「愚者の楽園」を築くことにはならないのか。高望みをしなければ、働かずとも最低限度の生活が保障されるのである。このような権利が働くことの義務を麻痺させてしまう。「必要に応じた分配」という発想が現実社会でうまくいかないことは、ソ連邦の崩壊で実証済みのはずである。

 勿論、<生存権>だけで国が亡びるなどということはない。が、問題なのは、社会主義的発想は、働くことの意義を縮退させ、真面目に働くものが馬鹿を見るかのような感覚に陥らせる、詰まり、人間を駄目にしてしまうということに他ならない。

 必要なのは、愚者にも等しく与えられる<生存権>ではなく、働く者が働けなくなった時に助けとなる「安全網」(safety net)なのではなかろうか。






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Last updated  2022.04.19 21:00:08
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Re:新憲法草案検討 第7部(第25条)(2) 生存権よりも安全網(04/19)   オレンジX さん
私も「生存権」といふ概念を否定的に見てゐますが、その根拠は記事とかなり異なるかと思ひます。

まづ、働く働かないといふ「生産性」の論理で「人間の尊厳」を決めてはならないと思ひます。生産性の無い人間は生きる価値がないといふ功利主義の思想は、日本の伝統的価値観を破壊すると思ひます。

少し前のDaiGo氏の「ホームレスの命はどうでも良い」との暴論は、まさに功利主義から来るものでした。そして残念ながら、資本主義も社会主義も、どちらも功利主義の思想に基づいてゐるといふ点においては「同じ穴の狢」といふべきです。近代人は功利主義の支配下におかれてゐます。

それでは、憲法が各人に「生存権」を保証すれば「人間の尊厳」は守られるのでせうか。それは完全に否であると、私は思ひます。むしろ「生存権」こそが、我々を功利主義に走らせ、「人間の尊厳」を考へる機会を奪ふものだと思ひます。

といふのも、果たして「人間の尊厳」とは「生存すること」だけなのか、といふ問題があるからです。人間は、飯を食べて息さへしてゐれば、人間らしく生きてゐるといへるのか。それでは、動物と何ら変はらないといふべきです。

哲学者ソクラテスが、「ただ生きる」よりも「善く生きる」ことのはうが大事だと指摘したのは、本当にその通りだと私も思ひます。人間は、何かしら「生きる意味」をもってはぢめて「善く生きる」ことができるのではないでせうか。「生きる意味」は、「使命」とか「目的」と呼ばれることもあります。

「善く生きる」といふ意識を持ってゐる人間は、憲法の「生存権」によって最低限の生活が保証されてゐるかどうかに全く関係なく、使命を真っ当するために世の中に尽くさうとするはずです。なぜなら「善く生きる」人間にとって、この世で一番悲惨で残酷なことは、生存そのものを奪はれることではなく、生きる意味を奪はれることだからです。

我々戦後日本人は、単に生きてゐればそれだけで素晴らしいといふ「生存権」の思想から脱却し、人として生きる「使命」を取り戻さなければならない。なぜなら、それこそが本当の意味での人間の尊厳だと思ふからです。

私の知り合ひで、特攻隊員はきっと笑顔で旅立っただらうと指摘した人がゐます。なるほどな、と思ひました。今の日本人は、毎日毎日安いジャンクフードを貪って、何の思索もせず、ただいたづらに人生を送るだけで満足できるのでせうか。もっとも戦後日本の功利主義者は、「満足できる」と浅はかに言ふわけですが。 (2022.04.20 00:00:57)

Re[1]:新憲法草案検討 第7部(第25条)(2) 生存権よりも安全網(04/19)   平成ソクラテス さん
「生産性」云々は、マルクス主義思想であり、私はこの土壌で議論するつもりはありません。「人間の尊厳」云々も左翼思想的ですね。

「功利主義」云々の議論も良く分かりません。DaiGo氏の発言は、ただの「暴論」であって、
「功利主義」がどうのこうのという話ではないように思います。

<生存権>は、働く気の無い人間であっても、養う義務を社会に課すようなものです。働きたくても働けないという場合には、安全網が用意されているわけですから、それで十分ではないかということです。

<生存権>のような人権意識の肥大化が人間を駄目にするのではないか、と私は思っているわけです。 (2022.04.20 01:01:33)

Re:新憲法草案検討 第7部(第25条)(2) 生存権よりも安全網(04/19)   オレンジX さん
人間にはなぜ尊厳があるのか、といふのは古代からの永遠の主題だと思ひます。

神道も仏教も儒教もそれぞれの立場から論じてゐますし、江戸時代の論客も論じてゐます。

「人間の尊厳」を西洋式人権思想から解釈するのが左翼的なだけであって、仮に「人間の尊厳」そのものを否定すれば、人間は畜生と同じだと言ってゐるのと同じです。

また、「高望みをしなければ、働かずとも最低限度の生活が保障される」といふ議論は、肯定的か否定的かは別にして、「生産性」といふ概念を意識した議論になってゐるといふべきです。本人が生産をしなくても、他者の生産力に依存することで生活が成り立つ、といふことですから。

私が問題視するのは、単なる「生存」以上に人間には大事な価値観があるのに、憲法が「生存権」を宣言することで、あたかも「生存」だけが人間の本質的価値だといふやうな思想を植ゑ付けられるといふことです。それがまさに左翼的だといひたいのです。

「働かなくても最低限の生活ができる」といふ思想に対抗して「最低限の生活をするためには働かなければならない」といふ思想を主張するのではなく、まづ「最低限の生活」よりも遥かに大事な価値観を見つけなければならない。話は全てそこからです。一番大事な価値観に気づきさへすれば、働く意義も自ずから見えてくると思ひます。 (2022.04.20 16:27:21)

Re[1]:新憲法草案検討 第7部(第25条)(2) 生存権よりも安全網(04/19)   平成ソクラテス さん
私は「尊厳」というものを否定しているのではなく、「人間の尊厳」などというものを大上段にかざし議論するようなやり方を否定しているのです。

また、繰り返しになりますが、人間の活動をマルキストよろしく「生産性」というような言葉で表現することに私は与(くみ)しません。

<生存>に関する議論ですが、<生存>以上に大事なものがあるというのはその通りだと思いますが、それは憲法のような薄っぺらな法律で述べられるような単純なものではないと思います。 (2022.04.22 21:56:26)

Re:新憲法草案検討 第7部(第25条)(2) 生存権よりも安全網(04/19)   オレンジX さん
>憲法のような薄っぺらな法律で述べられるような単純なものではない

憲法が「薄っぺらな法律」に過ぎないのであれば、憲法を国家の基礎にすること自体が大間違ひだといふべきです。

そもそも、「生存」より尊い価値は偉大すぎる存在なので、我々の理解の範囲を遥かに超へてゐます。しかし、我が日本の国体は「生存」より尊い価値を内包してゐます。日本に生まれ育った以上、そのやうな価値に真正面から向き合ふのが宿命だと思ひます。 (2022.04.23 01:20:53)

Re:新憲法草案検討 第7部(第25条)(2) 生存権よりも安全網(04/19)   オレンジX さん
また、もし我々が「生存」以上の価値観を見出すことができないのであれば、意識的か無意識的かは別にして、我々の思考はマルクス主義化すると思ひます。

もし「生存」がこの世で一番大事な価値なのであれば、「生存」を維持するために必要な衣食住をどれだけ沢山生産できるかといふことに関心が集中するのは必然です。

私は、それをマルクス主義として警戒してゐる故に、「生存するためには働くべき」対「働かなくても生存できる」から脱出しなければならないと思ってゐます。 (2022.04.23 01:41:28)

Re[1]:新憲法草案検討 第7部(第25条)(2) 生存権よりも安全網(04/19)   平成ソクラテス さん
日本のような歴史の長い国家において、成文憲法を国家の基礎に据えるなどというのは馬鹿げています。

成文化された憲法の条文がいかに薄っぺらなものであるのかは、いまさら指摘するまでもないでしょう。

<生存>という言葉は不熟なので、ここでは「命」という言葉を使いましょう。

戦後日本は、人命は地球よりも重いなどと言ってきましたが、先人たちは人命よりも大切なものがあるからこそ戦ったのです。人命より大切なものが見えなくなってしまったのは、戦後日本の平和ボケのせいではないでしょうか。 (2022.05.05 03:39:28)


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