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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2022.06.30
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テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法

 日本国憲法の擁護論者はしきりに「憲法改正の限界」という言葉を使って、改憲論拒否の第1防波堤としている。すなわち憲法改正には、おのずから限界があって、日本国憲法の骨子である民主性、平和性、人権性のようなものは、第96条の改正規定の圏外にあるもので、これらは改正手続きによっては合法的に変更し得ないものであると主張している。この意見は、憲法学上正しい見解であると、私も考える。(菅原裕『日本国憲法失効論』(国書刊行会)、p. 50)

 但し、これは、日本国憲法が正統かつ正当である限りである。GHQによって有無を言わさず押し付けられた憲法が正統かつ正当なものであるはずがない。この憲法は、正統性かつ正当性を欠くのであるから、憲法の改正内容が第96条の改正規定の圏外か否かを論じても意味がない。

 否、このような言い方では、誤解を生みかねない。そもそも日本国憲法が正統さと正当さを欠くのであれば、無効として廃棄するのが筋である。そして原状回復として帝国憲法に戻すとすべきである。部分的改正は、日本国憲法を正統かつ正当なものと認めなければ行えない。

この理論は、もちろん帝国憲法の改正についても、また同様に論ぜらるべきであろう。果たして然らば、現行の日本国憲法自体が、いわゆる改正の限界を逸脱して、帝国憲法の根本をなし、立国の大本を規定した、第1粂ないし第4条を、抹消して改正されたものであることを、反省すべきであろう。明治天皇が、憲法発布の勅語で、「国家統治ノ大権ハ朕ガ之ヲ祖宗二承ケテ之ヲ子孫二伝フル所ナリ」と仰せられ、第1条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」第4条で「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総撞シ」と欽定された帝国憲法が、どうして天皇統治制を、国民主権制に改変することを予想されたであろうか。かくのごとき重大なる内容――国体法規の変革は、帝国憲法自体の廃止であり、日本国体の断絶であって、第73条の改正の範噂に属さないことは、論をまたないところである。(同、p. 51

 本来は変更不可能な帝国憲法の骨子が変更されて日本国憲法が出来たのであるが、このことは認められて、日本国憲法の骨子変更は認められないというのは、二重基準と言うしかない。

「憲法は紛更(ふんこう=むやみに改め変えること)を容さず。但し、法は社会の必要に調熟して其の効用を為す者なり。故に国体の大綱は萬世に亘り永遠恒久にして移動すべからずと言えど政制の節目は世運と倶(とも)に事宜(じぎ)を酌量して之を変通するは亦已むべからざるの心要たらずんばあらず。本条は将来に向って此の憲法の条項を改定するの事あるを禁ぜず」(伊藤博文『帝国憲法 皇室典範義解』(呉PASS出版)、p. 91

国体の大綱に関する規定は、永久不変であるが、政体に関する規定等は情勢の変化に応じ、改正してよろしいとされているのである。(菅原、同、pp. 51-52






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Last updated  2022.06.30 21:00:09
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