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テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法
もし真に当時日本に革命があり、その結果できた日本国憲法であるならば、何故にその旨を憲法の中に明記されなかったか。占領軍が一字一句の変更も許さないと強要した「前文」になぜ堂々と記載されなかったであろうか。記載しないばかりか、逆に勅語で、帝国憲法の改正たることを明記させ、さらに議会審議に際し、法的同一性の厳守を指示していることが、革命でなかったなによりの証左ではないだろうか。 今日の成文法時代に、帝国憲法第73条によって改正したのだと、明記されているものを、いやそうじゃない、実際はそれと正反対の革命による新憲法なのだという主張が許されるであろうか。もしそんなことができるとすれば、それは日本の革命ではなくして、憲法学の革命ではなかろうか。 憲法を護ることを使命とすべき憲法学者が、そこまで憲法理論をまげて、憲法の敵たる革命に屈服し、革命理論をかりきたって、日本国憲法の有効を弁護してよいであろうか。今後また実力をふるってこの憲法を改廃する者が出たら、革命論者たちは再びこれを弁護し、革命を謳歌するであろうか。それは学問の実力に対する屈伏であり、憲法学者の自殺ではないか。それで果たして学問の権威は保持できるであろうか。(菅原裕『日本国憲法失効論』(国書刊行会)、pp. 81-82) まったく菅原氏の指摘の通りなのであるが、宮沢俊義の言う「8月革命論」は、変更を許さぬ憲法の根本義が、神勅主権から国民主権へと移行したのは、通常の憲法改正では行えないことなので、この部分だけは「革命」によって移行が図られたのだということにして、その他は通常の改正手続きに則(のっと)り憲法改正がなされたという、とても憲法学の大家が考えたとは思えない低俗な理屈なのである。が、このような恣意(しい)的に過ぎる理屈を憲法に明文化することなど出来るはずもなく、いかにも立憲的を装った、実際は非立憲的憲法改正が行われたというのが真相なのである。 休戦後、一定目的遂行のため、占領管理する場合を、一般占領と区別して、戦後占領または保障占領といい、ハーグ規則第43条の適用を排除するという。しかしこれも戦果確保のため、武力をもって敵国を管理することにおいて、一般占領と同様であるから、ハーグ規則の適用を排除すべき理由はない。 ただ占領目的が、一般占領は敵国の軍事力の破砕が主たる目的であるのに、保障占領は、休戦協定等によって定められた政治目的を遂行するために行なうものであることに、多少の差異があるにすぎないものである。 ゆえにたとえ両者を区別し得るとしても、政治占領の方が、戦闘的混乱がないだけに、国際法尊重義務が加重されることはあっても軽減されることはないと解せざるを得ない。(同、pp. 82-83) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.07.22 21:00:09
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