汐留今昔物語。
かつては海辺の湿地帯だった汐留は、1603年(慶長8年)江戸幕府によって城下町建設事業のために埋め立てられた土地で、周辺の新橋、銀座、築地などとともに大名屋敷を有する一大「武家屋敷街」を形成していました。 汐留の名前の由来は、江戸城外堀に潮の干満が及ばないように海と仕切る堰があったこと=「汐を留める」からこの名前がついたと言われています。 その後、明治新政府によって屋敷は接収され、1872年(明治5年)日本初の鉄道(新橋~横浜間)のターミナル駅が誕生したのは有名な話です。しかし、1914年(大正3年)にターミナルの座を「東京駅」に譲った後は「貨物専用駅」となりました。1980年代に入り鉄道貨物はトラック輸送に押される形で衰退の一途を辿り、ついに1986年(昭和61年)には汐留貨物駅が廃止されてしまいました。 そこに残った跡地は東京都と民間のプロジェクトにより、1995年(平成7年)から再開発が始まり、2004年(平成16年)に高層ビル群が地下通路とペデストリアンデッキでつながる6万人の複合都市として生まれ変わり、今日を迎えています。