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今回は「裁定取引の限界」についてです。「金融バブルの経済学」の著者であるアンドレー・シュレイファーはこのタイトルどおりの論文である「The Limits Of Arbitrage.」(Journal Of Finance:1997)を書いています。
裁定取引の定義を再掲載しておきますと、「2つの異なった市場で、同じか、基本的には類似している証券を異なる有利な価格で購入と売却を同時に行うこと」です。ファンダメンタルリスクのない2証券(ファンダメンタル特性が完全に連動する証券)が存在したとき、安いほうは買われて高いほうは売られるという行為が裁定取引の定義になります。 そして、市場が効率的であるためには、この裁定取引が現実の市場でかなりの精度でワークしていることが必要なのですが、現実の市場ではこれが非常に怪しいということをアンドレー・シュレイファーは主張しております。 ファイナンス理論の教科書で定義されている裁定取引を、現実の市場で行えばどんな問題が起こるのかを考えなければなりません。 ちなみに、基本的にはファイナンス理論の教科書で定義されている裁定取引には、元手は要らないしリスクも全くないことになっています。 数理ファイナンス学者は「同じファンダメンタル特性を持つ2つの証券のうち割安なものを買って割高なものを売ることを同時に行うことで、それらの2証券のファンダメンタルリスクは完全にヘッジされて、利益は前もって確定しているからだ」と主張します。 そして、「抜け目のない合理的な投資家が非合理的な投資家によって作り出される市場の非効率性を見つけてはこのような裁定取引を行うはずだから市場はだんだんと効率的になっていき、そうしたうまい話などはなくなるはずである」となるわけです。 ちなみに、合理的な投資家を「アービトレージャー」と呼び、非合理的な投資家を「ノイズトレーダー」と呼びます。 すなわち、数理ファイナンスのコアとなる概念は「裁定取引の機会はない(No Arbitrage)」ことです。これを別の表現で言うと「ただ飯はありえない(No free lunch)」とか「高いリターンにはリスクが付き物である」となります。 数理ファイナンス学者は自分達の学説を支持するためにも「新古典派の行動規範に則っていない非合理的な投資家は必ず排除されるはずだ」ということを主張しますが、そもそもそれを正当化できるための根拠は何であるかを彼らは説明できていません。 ノイズトレーダーが排除されるためには、ノイズトレーダーの資金が有限であることを要請しています。さらに、アービトレージャーがノイズトレーダーを排除するためには、アービトレージャーのマネーパワーがノイズトレーダーのそれよりも強いことを要請しています。 平たく言うと、ファイナンス理論の教科書で定義されている裁定取引とは、「アービトレージャーは非常に金持ちで投資期間に関する制約も全くないことを前提としている一方で、ノイズトレーダーはそうした資金制約があることを前提としている」のです。 しかし、現実の世界では、ノイズトレーダーのみならずアービトレージャーにも資金制約はあるはずですし、投資期間が無限であるはずもありません。アンドレー・シュレイファーはここに目を付けたのです。 次回は最終回です。ノイズトレーダーリスクが現実の市場には存在することを示します。 今日の言葉: 「投資というのは,IQ160の人間が130の人間を打ち負かすようなゲームではない。」 (ウオーレン・バフェット) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年02月11日 03時51分27秒
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