全て
| カテゴリ未分類
| DELL訴訟
| 突然取材
| 思想
| つぶやき
| マンガ・特撮ヒーローの倫理学
| シリーズ「提言」
| 回文教室
| 知・拉致等ダイアリー(再録)
| 酒
| エッセイ
カテゴリ:思想
脱亜論試論
1 isa訳『福澤諭吉の「脱亜論」』 現在、西洋人の地球規模での行動の迅速さには目を見張るものがあるが、ただこれは科学技術革命の結果である蒸気機関を利用しているにすぎず、人間精神において何か急激な進歩が起こったわけではない。したがって、西洋列強の東洋侵略に対してこれを防ごうと思えば、まずは精神的な覚悟を固めるだけで充分である。西洋人も同じ人間なのだ。とはいえ西洋に起こった科学技術革命という現実を忘れてはならない。国家の独立のためには、科学技術革命の波に進んで身を投じ、その利益だけでなく不利益までも受け入れる他はない。これは近代文明社会で生き残るための必須条件である。 近代文明とはインフルエンザのようなものである。インフルエンザを水際で防げるだろうか。私は防げないと断言する。百害あって一利も無いインフルエンザでも、一度生じてしまえば防げないのである。それが、利益と不利益を相伴うものの、常に利益の方が多い近代文明を、どのようにして水際で防げるというのだろう。近代文明の流入を防ごうとするのではなく、むしろその流行感染を促しつつ国民に免疫を与えるのは知識人の義務でさえある。 西洋の科学技術革命について日本人が知ったのはペリーの黒船以来であって、これによって、国民も、次第に、近代文明を受け入れるべきだという認識を持つようになった。ところが、その進歩の前に横たわっていたのが徳川幕府である。徳川幕府がある限り、近代文明を受け入れることは出来なかった。近代文明か、それとも幕府を中心とした旧体制の維持か。この二者択一が迫られた。もしここで旧体制を選んでいたら、日本の独立は危うかっただろう。なぜなら、科学技術を利用しつつ互いに激しく競いながら世界に飛び出した西洋人たちは、東洋の島国が旧体制のなかにひとり眠っていることを許すほどの余裕を持ち合わせてはいなかったからである。 ここに、日本の有志たちは、徳川幕府よりも国家の独立を重んじることを大義として、皇室の権威に依拠することで旧体制を倒し、新政府をうちたてた。かくして日本は、国家・国民規模で、西洋に生じた科学技術と近代文明を受け入れることを決めたのだった。これは全てのアジア諸国に先駆けており、つまり近代文明の受容とは、日本にとって脱アジアという意味でもあったのである。 日本は、国土はアジアにありながら、国民精神においては西洋の近代文明を受け入れた。ところが日本の不幸として立ち現れたのは近隣諸国である。そのひとつはシナであり、もうひとつは朝鮮である。この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているのだが、もともと人種的に異なっているのか、それとも教育に差があるのか、シナ・朝鮮二国と日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、それでも過去に拘り続けるシナ・朝鮮の精神は千年前と違わない。この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。 私の見るところ、このままではシナ・朝鮮が独立を維持することは不可能である。もしこの二国に改革の志士が現れて明治維新のような政治改革を達成しつつ上からの近代化を推し進めることが出来れば話は別だが、そうでなければ亡国と国土の分割・分断が待っていることに一点の疑いもない。なぜならインフルエンザのような近代文明の波に洗われながら、それを避けようと一室に閉じこもって空気の流れを絶っていれば、結局は窒息してしまう他はないからである。 『春秋左氏伝』の「輔車唇歯」とは隣国同志が助け合うことを言うが、現在のシナ・朝鮮は日本にとって何の助けにもならないばかりか、この三国が地理的に近い故に欧米人から同一視されかねない危険性をも持っている。すなわちシナ・朝鮮が独裁体制であれば日本もそうかと疑われ、向こうが儒教の国であればこちらも陰陽五行の国かと疑われ、国際法や国際的マナーなど踏みにじって恥じぬ国であればそれを咎める日本も同じ穴の狢かと邪推され、朝鮮で政治犯への弾圧が行われていれば日本もまたそのような国かと疑われ、等々、例を挙げていけばきりがない。これを例えれば、一つの村の村人全員が無法で残忍でトチ狂っておれば、たとえ一人がまともでそれを咎めていたとしても、村の外からはどっちもどっちに見えると言うことだ。実際、アジア外交を評する場面ではこのような見方も散見され、日本にとって一大不幸だと言わざるを得ない。 もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。日本は、むしろ大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。(明治十八年三月十六日) 2 諭吉試論 先日のisa訳『脱亜論』は、当時の時代状況についての知識を全く持たない人にも諭吉の真意だけは伝わるように、かなり強引に現代に引き寄せて訳したものである。ここで言う真意とは、つまり、根拠のない「アジア的ロマン主義」は捨てなければならない、ということだ。今日でも特に「左翼」の抱いているような「アジア連帯」などは幻想である。少なくとも大陸が大陸であり、半島が半島である限り、それは仮想敵として警戒する相手ではあっても、連帯を組む仲間ではありえない。日本が連帯すべきは欧米の文明国であって、大陸や半島ではないのだ、と。これが諭吉の真意であり、諭吉自身の深い反省に基づいたものだった。 当初の諭吉の問題意識では、アジア全体が連帯して近代化することこそが、列強のアジア進出に抗するための不可欠の条件をなしていた。したがって、日本が徳川を倒したように、シナは清朝を、朝鮮は李氏を、それぞれ倒さなければならないし、これらの連続革命こそが日本の安全を保証する基礎となるだろう。しかもこの連続革命は充分に可能である。日本人にやれてシナ人、朝鮮人に出来ないわけがない。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というではないか。みな同じ「人間」なのである。差があるとすれば、それは文明に触れて「学問」を知っているかどうかだけなのだ。こうして諭吉は李氏朝鮮から逃れてきた改革派の金玉均を匿ったりするなど、一時期、半島の政治情勢にかなり深くコミットすることになる。 諭吉には「人間」の権利としての、あるいは可能性としての「同一性」は見えていた。だからこそ『学問のすすめ』なのである。諭吉の「学問のすすめ」の基礎には西洋人と日本人との「同一性」の認識があった。どちらも同じ「人間」なのだ、「学問」が違うだけなのだ、と。ところが、このような「同一性」を基礎にした「学問」からは、諸民族の「差異」は抜け落ちる。そもそも、まだ文化人類学など成立していない時代である。シナ人がシナ人であり、朝鮮人が朝鮮人であり、そして日本人が日本人であるという、その民族としての「同一性(アイデンティティ)」を成立させているはずの、諸民族の基礎的な「差異」を、当時の「学問」はまだ対象化出来ていなかった。したがって、当時にあっては、この「差異」は、現実政治や実際の事件に触れる中で学んでいく他はないものだった。それはまだ、「学問」の外の経験的なものに留まっていたのである。 そして諭吉は、李氏朝鮮の刺客による金玉均虐殺という経験から深く学んだ。朝鮮人やシナ人は日本人とは民族として異質であるということを。すなわち諸民族の「同一性(アイデンティティ)」の基礎にある「差異」を、諭吉は金玉均虐殺から学んだのだった。こうして学び取った民族的「差異」と「同一性(アイデンティティ)」を前提に、諭吉は、日本がアジアと西洋と、どちらにつくべきかを提言した。『脱亜論』とは、一時期は日本はアジアにつくべきだと考え、半島の現実政治にまでコミットしたことさえあった諭吉の反省文として書かれたのものなのである。言い換えれば「人間」としての「同一性」という平板な認識論から、諸民族による文明受容の「差異」という動的な認識論への転換である。 さて、現実に戻る。ここ二十年ほど、日本は右翼も左翼も中道も「アジア的ロマン主義」の虜になっていたのではないかと思われる。旧田中派による中国もうで、旧社会党による韓国もうで、果ては「北」との国交回復などという愚挙中の愚挙! 左翼的な言い方をすれば、これらの国との「同一性」など幻影である。もっともっと「差異」を見なければならない。そして「差異」をしっかり認識すれば日本の進路も見えてくる。諭吉の言う「脱亜」が極めて現代的な課題であることも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[思想] カテゴリの最新記事
|