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カテゴリ:つぶやき
慰安婦決議―首相は深刻さを認識せよ(朝日新聞)
『朝日』ごとき、論じるにも値しないが、ここにある疑似論理だけは指摘しておこう。 「AあればBあり」というテーゼがあったとする。 このうち、 「雨あれば雲あり」 は常に正しい。 雲は雨が降るための条件だからだ。 雨という事実から雲という事実を導き出すのに論証も挙証も必要ない。 だが反対に、 「雲あれば雨あり」はそうはいかない。 雲があるからと言って雨が降るとは限らないからだ。 この雲があれば雨が降るのだ、という主張が事実であることは、主張する側が挙証し論証しなければならない。 さて、米議会の決議である。 『朝日』の社説は、 「決議あれば強制性あり」 の立場に立っている。 だが、そもそも、この決議の、 「強制性あれば決議あり」 の土台の事実性はどうなのだ。 「決議」があったからと言って「強制性」の存在まで論証されたとは言えない。 「決議」は証拠にはならないのだ。 ところが『朝日』は「決議」の存在をもって「強制性」の論証や挙証に替えようとする。 実に似非良心には疑似論理がよく似合う。 あまりにも似非ジャーナリストらしい文章だったので。 以下『朝日新聞』社説 慰安婦決議―首相は深刻さを認識せよ 「日本政府は……歴史的な責任を公式に認め、謝罪し、受け入れるべきだ」 米下院の外交委員会が、旧日本軍の慰安婦問題についての決議案を可決した。39対2の圧倒的多数だった。7月にも本会議で採択される見通しだ。 日本が過去の過ちを反省していないと、米議会が国際社会の面前で糾弾している。その意味は重い。 私たちは、首相の靖国神社参拝や慰安婦など歴史認識がからむ問題に、政治家が正面から取り組むべきだと主張してきた。戦前の行動や価値観を正当化するかのような言動は、日本の国際的な信用にもかかわることだからだ。 それがこんな事態に立ち至ったことに、やりきれない思いである。日本がそんな国と見られているのかと思うと残念であり、恥ずかしい。 決議案に疑問がないわけではない。歴代首相が元慰安婦におわびの手紙を出してきたことが触れられていないし、軍の関与を認めて政府として謝罪した河野談話の位置づけも不十分だ。 しかし、決議案にあるように、河野談話を批判したり、教科書の記述を改めたりする動きがあったのは事実だ。慰安婦の残酷さを非難する決議案のメッセージは、真摯(しんし)に受け止める必要がある。 今回、決議案が採択の方向となったことについて、戦術的な失敗が指摘されている。今月、ワシントン・ポスト紙に決議案に反論する意見広告が掲載された。それが、沈静化していた問題に再び火をつけたという批判だ。 確かに、40人あまりの与野党の国会議員とともに、安倍首相のブレーンの外交評論家まで名を連ね、決議案を「現実の意図的な歪曲(わいきょく)」などと批判した全面広告は異様だった。4月の初訪米でおわびを述べた首相の言葉は台無しになったと言えるだろう。 だが、問題の本質は、自らの歴史の過ちにきちんと向き合えない日本の政治自体にある。 安倍首相は「米議会ではたくさんの決議がされている。そういう中の一つ」「コメントするつもりはない」と述べた。とんでもないことだ。日本に重大な疑念と非難が向けられているのである。河野談話やアジア女性基金などの取り組みを説明し、改めて認識を語るべきだ。 首相は日米同盟の土台として「共通の価値観」を強調する。だが、決議案はその価値観にかかわる問題であることを、首相は分かっていないのではないか。 日本は戦後、自由と人権を重んじる民主主義国として再生し、侵略と植民地支配などの過去を深く反省した。「過去の反省」が揺らいでいる印象を与えれば、価値観への疑念を招く。 小泉前首相の靖国参拝以来、日本の歴史への取り組みに対する国際社会の目は厳しい。日本の民主主義は大丈夫なのか。今回の決議案はその警告として受け止めるべきである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 28, 2007 07:46:05 AM
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