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イタリアいなかまち暮らし

イタリアいなかまち暮らし

◆好み【食感】

◆南イタリア人の味覚【食感】

●徹底的に火を通す

野菜が顕著である。野菜を調理するときはくたくたになるまで火を通す。パスタに入れるときもそうだ。徹底的に火を通して、オリーブ油とともにフライパンの中でまわして、半分クリーム状になるまでする。野菜が勝手にパスタソースになる要領だ。パスタはアルデンテ、野菜は柔らかいというコントラストを楽しむ。



私は母親が何でもいいかげんに火を通してたまにすごく歯ごたえを残す人だったので、くたくたの野菜はこれもこれで悪くないと思う。逆にこれで育った夫は、野菜を茹でるときは栄養的にも味覚的にも歯ごたえを残すのが一番といつも言う。
タイで食べる野菜は何でも歯ごたえが残りすぎというほど軽い火の通し方だったので夫は喜んでいた。

ステーキの場合だが、田舎ではウェルダンが基本だ。赤い血の滴る肉を嫌う人が非常に多い。それにあわせているので何も言わないと自動的にウェルダンがでてくる。家庭はもちろん、レストランでもだ。南の田舎ではそもそもステーキの焼き加減を聞くという習慣は浸透していないので、よっぽどプロの店でなければ聞いてこない。
ウチではオープン当初の1ヶ月ほど試験的に肉料理を置いていたのだが、ある日夫がステーキを注文した客に「焼き方はどうしますか?」と聞いたら、「は?ステーキだろ?ステーキの焼き方を知らないのか?」と返された。多分彼はレストランでも家庭でも「ステーキの焼き加減」など聞かれたことがないのだろう。
南イタリアはあまりステーキの名地ではない。どっちかというと子羊が主流だと思う。

パンの項(こちら)で詳しく述べたが、パン、焼き菓子類もよく焼く。パンは焦げたようなものを平気で売っているし、それを好んで買う人もいる。ピザも裏を見たら焦げこげなこともある。
また、イタリア人は妙なところで心配性で、生焼けよりは焼きすぎがましと思われているので、最後に念を押すように焼く。田舎ではプロが少ないのでそれが顕著なのだと思う。
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いつも行くセルフサービスのピザ屋で出されたピザ。この店はいつもはここまでは焼かないが、ちょっと焼きすぎても平気で出しちゃうのは、これでも受け入れられてしまうからか?

burned bread.jpg
普通のパン。これも私には焼きすぎなように見えるが。

●カリカリ、パリパリ

焼くものはなんでもかりっとぱりっとさせるのが基本だ。日本ではパイ生地やクッキーはさっくり、シュー皮はしっとり、クロワッサンはモチモチ感も重要な要素だが、それらは無視されて全部パリパリカリカリを優先させる。日本の食感に慣れていると、イタリアの焼き菓子はパサついた感じもある。ちょっとでもやわらかさが残ると「しけってる」あるいは「生焼け」と思われるのを恐れているらしい。
日本の「サン○ルク」の小さいパンはモチモチして私も夫も大好きなんだが、夫に言わせれば、「イタリアの基準ではあれは全部生焼け」なんだそうな。
シュークリームなどはクリームを入れてもまだぱりっとしていなければならないらしい。また、日本とくらべてバターを多用しないのもそういう食感の違いを生む。

●赤身好き

南イタリア人は肉の脂身を嫌う傾向にある。オリーブ油を料理にどぼどぼ入れてギトギトにしても、動物性脂肪はパスと言うわけだ。日本と逆に特に若い人のほうが健康に気を使って脂身を嫌う。
日本では高級な牛肉というと白い脂身(サシ)が細かく入った「霜降り」。まあたいがいの食べ物は脂を足すとおいしくなるのは当然だから、霜降りはちょっと反則的な食べ物だとおもうが。しかしイタリアではステーキというと赤身で、赤身が最高と思われている。
ちなみにこちらでもたま~にだが和牛のことを聞いたことがある人がいて、「日本では牛にマッサージして、ビール飲まして音楽を聞かせるってほんと?」と聞かれることがある。夫は聞かれなくても自分から日本の牛肉のことを説明して、おいしいよ~と広めているのだが、たいていの人には脂が入っている=おいしいというのが結びつかないようだ。「でも僕はやっぱり赤身が好きだな」と、試しもしていないのに決め付ける人もいる。「でも体に悪そう」という人もいるが、それはちょっと的を得てるかも?ただしイタリアと違って日本では肉ばっかり食べないでいろんなものを一緒に食べるからね。

イタリアにも最近はアルゼンチンから少しサシが入っていてやわらかく、味が濃い牛肉が入ってきている。他の牛肉よりかなり値が張る上に、カンポバッソでこれが手に入るのは町で一番大きなスーパーだけ。しかもあったりなかったりするから、よく売れてるとはちょっといえないんだけど、我が家でたまにするすき焼き、焼肉に欠かせない。
牛薄切り
アルゼンチン牛を薄切りにしてもらったもの。わずかだが微妙に脂身が混じる。これでもイタリアで手に入る最も日本の牛肉に近い肉。

日本で鶏肉の値段の高い部位はモモ肉、固くてパサパサした胸肉は人気がない。反対にイタリアで一番値段の高い鶏の部位は胸肉。イタリアでモモ肉はかならず骨付きで、骨無しのモモ肉は売っていないというのもあるせいか、骨のない胸肉は「鶏のフィレット」と呼ばれて人気である。これもパサつきはあまり気にならないらしい。鶏にパン粉をつけて揚げたカツレツは家庭でもよく食べられる料理だが、必ず胸肉を使う。

豚の首の部分、モチモチとして柔らかく、脂身が満遍なく入った、日本では「トントロ」と呼ばれて高く売られる首肉(カポコッロ)もイタリアでは他の部位と変わらない、普通の値段だ。

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ここまでひとつの傾向としてまとめられるのが「ドライ(パサパサしてる)な食感があまり気にならない。当然のこととして受け入れている」ということ。それに比べて、「もっちり」「しっとり」は軽視される。「もっちり」軽視は次に述べるパスタの食感にも現れている。

●手打ち卵パスタより工場製乾燥パスタ
パスタにいたってもモチモチ感というのはあまり重視されていなくて、歯切れのよいアルデンテ感が重要である。そのため乾燥パスタの人気は根強い。
乾燥パスタというのは工場でしか作られないので、工場製品の値段が高かった昔(30年前くらいまで)は貴重品で、家庭で母親が毎日作る手打ちパスタと比べてご馳走感が高かったという。いまでこそおばあちゃんのタリアテッレと言われ日曜日のご馳走のひとつとされる手打ちパスタだが、昔はスパゲッティより位が低かったのだ。そのため年配の人は、手打ちパスタは昔毎日食べててイヤになったと言ってスパゲッティを選ぶ人がいる。ちなみにナポリではショートパスタもけっこう食べられるが、ここの人々はまずスパゲッティ!スパゲッティ!である。若い人もやっぱりスパゲッティが大好きだ。手打ちパスタもいいけどやっぱりスパゲッティだね、という感じである。

手打ちパスタでさえもモチモチしていなくて、「乾燥パスタとどこが違うの?」というような歯切れのよい卵パスタがほとんどだ。手打ちでも主に硬質小麦粉を使うからだろう。中力粉はあるが、日本の強力粉のようなものは普通はない。
ちなみにプーリア州ではオレキェッタというもちもちパスタがよく食べられる。プーリア沿海部では生の魚介もよく食べられるので、私はひそかに日本との共通点が多いと思っているのだ。

●汁の扱い

イタリア料理にはスープが出てくる機会が比較的少ない。フランス料理ではよくコースに入っているし、和食でも「一汁」は毎回欠かせないが、イタリアのレストランではあまり汁っぽいものを見かけない。ここにまたイタリア食の「ドライ嗜好」を私は見出す。
ただし家庭ではミネストローネは作る人も多い。とくに農家では鶏は必ずいるので、卵を産まなくなった老雌鳥を煮込んだスープ、自分で飼っている豚をつぶしてサラミ類にした後、残ったガラで出汁をとったとんこつスープなどはよく食べられる。

とても気になるのがパスタのソースの扱い。ある人はソースたっぷり、またある人はごく控えめを好む。例えば義父はラグーのパスタでもラグーソースは最小限に味をつけるためだけに混ぜるだけという感じ。

スープパスタというものはあまりないが、しいて言うなら上に挙げたスープ類の中に浮き身として細かいパスタが入っている場合か、ボローニャ名物のトルテリーニ・イン・ブロード(ワンタンのように詰め物をしたパスタが、コンソメスープに入っている)、モリーセ郷土料理のラザーニャ・イン・ブロード等(日記を参照)が知っている限りだが、他にも各地に郷土料理として存在すると考えられる。


↑トルテリーニ・イン・ブロード

lazagna in brodo
↑ラザーニャ・イン・ブロード

さてウチの店では結構ソースたっぷりめのパスタを出す。そのときにいつも気になるのが客の残し方。皿にソースがたっぷり残ってしまうのだが、それをスプーンですくって飲む人はいない。

上記の通りスープは毎食食べるものではないのでスプーンの出番は少ないし、ロングパスタも、小さなショートパスタも、リゾットも、イタリアではフォークで食べる。なのでスプーンは食卓に載せていないのだ。たまにスプーンを頼む人がいるがそれはスパゲッティをスプーンの上で巻くためであり、ソースをすくうためではない。
ちなみにこのスパゲッティにスプーンを使う習慣は子供のときにスパゲッティが上手く巻けなくてこうやっていたのを、大人になっても習慣として持ち続けている人のものらしい。なので恥ずかしいことで、レストランですべきではないと思われている。しかし南の人は結構気にせずスプーンを頼む人も多い。

イタリアの習慣として、ソースが残ったら、そしてそれがおいしいのでもったいないと思ったら、パンでソースをぬぐって食べるというのがある。その行為は「スカルペッタ」と言う名詞になっていて、超高級レストラン以外では許される。だから、ウチの店でも、パスタソースを非常に気に入って、ぬぐってきれいにしてくれる人は結構いる。しかしそれも次の料理のためにおなかに容量を残しておきたいと思ったら出来ない。

そこで日本人の私としてはスプーンでソースをすくって食べたらいいと思うのだが、どうもそういう考えはイタリア人には全く欠如している。というかやってはいけないハシタナイことという意識があるらしい。

イタリアに着たばかりのころ、ボローニャで夫とシーフードレストランで食べてて、ムール貝の蒸し煮の皿の底にうまみの溶け込んだ汁がたっぷり残っているのを「スプーンですくって食べたい」と言ったら「どうしてもと言うならスプーンを頼んでやるけど、普通じゃないからちょっと恥ずかしいよ?パンを浸して食べるほうが普通だけど」と言われた。

料理のソースの扱いは次の項にくわしいが、モリーセの家庭ではセコンド(メインディッシュ)にはソースを一切かけないばかりか、肉のラグー(南式ラグー、Ragu' Napoletano;肉をトマトソースで煮込んで、ソースはパスタに、肉はメインディッシュにと一度で2度おいしい?料理)のトマトソースもきれいに取り除いて出てくる。うまみと栄養がすべて溶け込んだこの煮汁は、全部パスタに回されてしまうのだ。

しかし夫の実家で使う肉は脂身のないぱさぱさの牛肉の赤身か、鶏肉で、ソース無しだと口に入れてもとてもぱさぱさしている。しかも実家にお呼ばれに行くと毎回これである。パスタにかかったラグーのソースはとても濃くておいしいのだが。
疑問を持たずに何年も出されるままを食べてきたが、このまえ、ふと「でも、なんかちがうよな。ぱさぱさを我慢して食べるより、せっかくおいしいラグーソースがあるんだからそれをかけたほうがおいしいんじゃないか」と思って、皿によそってくれたときに「ちょっと残った汁(sugo)もらってってもいい?」と言って鍋に残ったソースをもらった。義母は突然の事で青天の霹靂のようにとても面食らった顔をしていたが、すぐに「もちろん、もちろん」と言ってくれた。セコンドにラグーソースをかけて食べるなんて考えたこともないのだろうか。しかし私の好みとかいつも配慮してくれる人なのでこの習慣もすぐに受け入れてくれそうだ。
ちなみにところ変わってナポリではつゆだく?トマトソースたっぷりが好まれるそうだ。
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