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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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2015.08.28
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カテゴリ:和光市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

今日から下新倉です。北のほうから見てゆきましょう。

柳下氏宅神社 和光市下新倉5-5

DSC_0645.jpg

新倉郵便局付近から笹目通りに向かうバス通りの左側、長島バス停の近くの
角のところに金網で囲まれた一角があり、中に鳥居が立っているのが見えた。
どうやら個人で管理している神社のようだ。近くにいた人に聞いて見ると、
鍵はかかっていないので入っても大丈夫ということだった。中に入ってみると
手前にお社が二つ。奥に江戸時代の銘がある四基の石祠が祀られていた。

DSC_0534.jpg

入口近く、お社の左側に比較的大きな二基の庚申塔が並んでいる。

DSC_0536.jpg

左 庚申塔 天明8(1785)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。左上に年号。
右上「奉納庚申」頭上に蛇。顔はあまりはっきりしない。

DSC_0537.jpg

左下 武州新座郡下新倉村、右下 右 引又ミち。足の両脇に小さく二鶏が見える。
足元の邪鬼はサルのような顔で、頭と左肩を踏まれていた。その下に小さな三猿。


DSC_0538.jpg

塔の左側面下部に講中拾五人。正面左下から続けると下新倉村 講中拾五人となる。

DSC_0541.jpg

右 庚申塔 元禄3(1690)日月の下 阿弥陀如来坐像。下部に大きな三猿を彫る。

DSC_0544.jpg

三猿の下 柳下氏ほか7名の名前が刻まれていた。脇に線刻された二鶏がかわいい。

妙典寺北墓地 和光市下新倉4-22

DSC_0035.jpg

バス通りの長島バス停の手前を南に入り込んで細い道を道なりに進むと長照寺の
入口に向かう通りになる。途中左、妙典寺のほうから下ってくる坂道と交差する
T字路のところに墓地がある。資料には松葉軒墓地とあったが、堂は無くただ
多くの石塔が並んでいた。その中央に六角の石塔がポツンと立っている。

DSC_0037.jpg

六地蔵菩薩立像。年代不明。銘が見当たらないが、六面にそれぞれ地蔵菩薩立像が
彫られていて、かなり古いものなのだろう、大変おもむきがある。

妙典寺 和光市下新倉4-13

DSC_0831.jpg

坂道を南に向かって登ってゆくと右手に妙典寺の山門が見えてくる。交通量の多い
笹目通りが近いのだが、その広い境内は静寂に包まれていた。

DSC_0824.jpg

妙典寺は鎌倉時代創建と伝えられ、日蓮上人ゆかりの安産の霊水「子安の池」の
伝説が残されている。本堂の左奥、日蓮上人が安産の祈祷を行ったという法華堂の
すぐ手前に「子安の池」があった。

DSC_0829.jpg

本堂の左側には記念碑などが並び、その先の階段の上にお堂と鐘楼が立っている。

DSC_0826.jpg

鐘楼の奥 月待供養塔 嘉永5(1852)自然石に大きく「廿三夜大月天王」と彫る。
脇に 願主 恵了日儀。月待塔の中では二十三夜塔が最も数が多いという。

DSC_0827.jpg

裏面に年号。続いて檀中世話人中。その下に小さく石工名が刻まれていた。





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Last updated  2015.08.28 18:42:12
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