651662 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

いずみのほとり

いずみのほとり

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Freepage List

Favorite Blog

「誰にも傍に天使が… たんたん4531さん

『33』の扉  tomoko*6*さん
ツタエの宇宙集会 ツタエ2007さん
地球とハネムーン kibi1965さん
「 開かれし扉 」 ルイ ブランさん

Category

2011年11月17日
XML
カテゴリ:身体と私
この頃ますます、お風呂の湯船に浸らせてもらう度に、
私という存在の全身全霊に、感謝の嵐が湧き起こります。

ほぼ確実に、おばあさんのように合掌してしまいます(笑)。

私の身体の全細胞が、ヨロコビに打ち震えるのを感じるのです。
大げさでなく、本当にそのように感じるのです。


この細胞のヨロコビを、もっとしみじみ感じてみたら、
それは、私の全身が日常感じ続けている

「コンクリートの固さ」

から受け続けるダメージを、一瞬で癒してくれることへのヨロコビなのだとわかりました。


お湯に浸る浮遊感の中で、そしておそらく水の持つ質の中で、
私の細胞は、一瞬でゴッソリと、ダメージから解放されるのです!!!!

月光から感じる解放感とはまたちょっと違うのですが、
でも、ゴッソリと解放されるその「ゴッソリ感」はかなり似ています(笑)。



私の身体は、土や草の上を歩くことが、ほぼありません。

私の身体は、木の床の上を歩くことも、ほぼありません。

私の身体は、ほぼ常に常に常に常にコンクリートの上にあります。

年を経るごとに、身体にダメージが溜まってくる感じがします。

骨は、固いとこで暮らす方が強くなるって説もありますが???



身体のダメージ緩和の為に、こないだのギックリ腰からこっち、
週一で鍼灸院に通っています。

それでもたまにギックリ腰になりそうになって焦ります。

それでも毎日健気に動いてくれる身体に対して、
日を追うごとに感謝の気持ちが増していきます。


今、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んでいるのですが、
ほぼ55年前に発生したメチル水銀汚染の水俣病のことを想い、
今もなんの賠償もなく苦しんでいる水俣病患者のなんと多いことかを想い、
水俣病に限らず、多くの公害病で苦しんだ人、今も苦しんでいる人のことを想い、
現代もまた、放射能汚染という公害でも、今後どれだけの人が苦しむことになるかを想い、
自然と共に暮らすことと、人工物と共に暮らすこととの対比を想い、
人間に対して、人間の文明に対して、深く祈るような想いになります。


私たち人間は、たくさん間違えて、たくさん酷いこといっぱいして、
そのせいでたくさんの人間が酷い目に遭って、本当に痛んで、
そのお陰で間違ったってことに気づいてビックリしてやり直したり、
もっとちゃんとしようと思って改めたり、
でも一方で、酷いことに目をつぶって、痛んでる人の犠牲に目をつぶって、
勘弁してもらって、利益追求、便利追求、安楽追求を優先させようとする欲望も消えずに、
ずっといたちごっこみたいにやってきたんだなと、改めて思います。

そして結局は、改める速度より、利益優先の速度の方が増していて、
人間のみならず地上の動植物や在りて在るすべてをたくさん痛めて
ここまで来てしまったんだなと思います。



私は、前の時代を生きてくださった広義での「ご先祖様」のみなさまのお陰で、
たくさんの間違えや、たくさんの酷いことを、免れて生きてくることができました。

水俣病で苦しむ何万人の人々がいてくださったから、
私はそういう酷い思いをせずに利益や便利や安楽だけをいただけています。

戦争で苦しんだ何百万人の人々がいてくださったから、
私は今「2度と戦争はしません」と誓う国に生きていられています。



そういうことを改めて「私のこと」として感じながら、
コンクリートで固められたこの文明の、その弊害に文句を言うのではなく、
たくさんの犠牲の上に得られた便利や清潔や安楽といった恩恵を、
多大に甚大に感謝して、大切に享受しつつ、
尚且、もっと本当に人間にとっての幸せとはどういうものか、
今の自分たちと、痛んだご先祖様たちと、これからを生きる子供たちにとって
誰も痛まない文明を、どうしたら構築していけるのかってことを、
想って生きてようと思います。
























と、このようなことを考えつつも、現実の私は、本当ーーーに酷いです!!!!

もう、最低レベルのチンケさです!!!!

霊性、ドン引きするほどの低さです!!!!




昨日の朝、電車でいつものように座って携帯から人のブログを見ていました。

眠くなってきた頃に、ドアの辺りから、女性の小さい声で、

「席空いていませんねぇ。」

といったような言葉が聞こえてきました。

私は、腰も痛かったし眠かったので、
そちらを見もせずに、携帯をしまうと寝に入りました。


するとまたドアのところから小さい声で、

「どちらまで行かれるのですか?高円寺?あら、まだまだ先ですねぇ。」

というような言葉が。


ヤな予感はしたのですが、案の定、ドアから3人目の私のところへ、
その声の主(見ると60代くらいの女性でした)はやって来て、
寝てる(フリの)私の膝をポンポンと叩いて起こすと、

「すみませんが、あちらの方に席を譲っていただけませんか?」

と言って来たのです W(°o°)w


見ると「あちらの方」は、80歳以上に見える、上品そうなおばあさんでした。


私はすかさず席を立ちました。おばあさんからは

「すみません。どうもありがとうございます。」

と、上品に優しくお礼を言われたようでしたが、
その声も届かぬうちにすかさず風のように、私は別の車両に移動してしまいました。



私は、内心、一瞬にして、あの声を掛けて来た女性に激怒していたのです!!!!

W(°o°)w



私の隣の男性は、身体がものすごーく大きくて、ずっと寝こけていたし、
また別の隣の人は、赤ちゃんを抱いていたし、
前に人が立ってるとか立ってないとかでも移動しやすさとかあったと思うケド、

私が

席を譲らせるのにちょうどいい

と、一瞬で目星をつけられた


ことに激しく怒りを覚えてしまったみたいなんです。


Σ( ̄ロ ̄lll)



心の中で、


「くぬぅぅぅぅーー、おせっかいク〇ババアッ!!!!(ー"ー ) 」


って吠えちゃったし( ̄ロ ̄lll)


オエェェェ( ̄ロ ̄lll)

自分オエェェェ( ̄ロ ̄lll)



また多分、寝たフリをした様を、恐らく見破られていたことにも、
恥ずかしさと共に逆ギレ的な怒りを感じたのかもしれません。

( ̄ロ ̄lll)オエェェェ


あと、ついでにもっと言っちゃうと、

80代のおばあさんと、安楽そうな女性がいたら、


安楽そうなお前が立ってろや


と、判断して強制的にそうさせる、そういうあのおばさんの瞬時の正義感


キライ(ー"ー )


と思うのです!!!!


また、もっといろんなこと思っちゃった。


闇のYさんのこと思い出しちゃった。




自分こそがまるっきり痛んでいて、精神的に満身創痍で病んでいて、
いろんなものにまみれてしまって真っ黒になっちゃってるようなYさんだったのに、
いつも他人を癒したいと強烈に熱望している人だったのでした。

そんなYさんが、いつか話してくれたんです。



自分はいつも他人から酷い扱いを受ける。
自分がどんなに他人に尽くしても、他人は自分を軽視する。

電車に乗っても、座っているとしょっちゅう強制的に席を譲らされる。

いつかなんて、自分は足を骨折していてギブスに松葉杖だったのに、
自分のとこに来て、席を譲ってくれって、おじいさんから言われた!!!!




この話は、よく思い出してはいろいろ考えてしまうのですが、
昨日の朝も、また思い出したのでした。

そういえば私自身、当時の講義の休憩時間に、
Yさんが歩道にいて、電信柱の陰でタバコを吸っていただけなのに、
通りかかった男性から肩を突き飛ばされて、

「邪魔だ、どけ!!!!」

と言われているのを目撃してしまったことがありましたっけ。





人が他人を見る時、その他人のことを瞬時に、

軽視する

とか、

尊重する

とか、

頼りにする

とか、

ないがしろにする

とか、

実はいろんな反応が、心の中に起こることがあると思うのですが、
それが起こる心のシステムの真理を知りたいな、と思うワケなのです。

自分が自分をどう思っているかが、
他人が自分を見てどう思うかに反映される

ってことは一理あると思っています。
でも、それダケじゃない、もっと違う真理もありそう、と思っています。



まぁ、私自身が、

瞬時に見つけられて、瞬時に判断されて、瞬時に勝手にいいようにされる

ということを、いろんなパターンで繰り返し経験してきたから・・
そしてそれが必ずしも自分にとっては快いことばかりではなかったから・・

ってことだと思うのですが。






















・・・っていろいろ思っても、結局つまり私は

我よし(自分さえよけりゃいい)

ってレベルの人間だってこと、
つくづく立証されたので、激怒と共に相当凹んだけど、いいや。

そういう低レベルの人間として、自覚して生きて、
また同じシチュエーションになってもまた寝たフリするか、
偽善でも渋々でも席を譲ろうとするか、
心から席を譲ろうとするか、
また何度でも自分で試しながら、無理矢理でない自分を創って行こうと思います。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011年11月17日 17時49分19秒
[身体と私] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.