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JE2LUZ・熊野

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2012/11/20
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カテゴリ:熊野について
 「わたしは街の子 巷の子 …」なんて歌がありました。
 私の場合・・・
 「わたしは奥の子 田舎の子」 でした。
 熊野が田舎だし、真ん中の木本だって小さな田舎町なのに、私が育った「飛鳥村」などは、「奥」と呼ばれ馬鹿にされました。
 木本はたしかに「町」でした。
 そして飛鳥は「村でした。
 士農工商ではないですが、人間って自分よりしたが欲しいようです。
 目くそ鼻くそみたいな物ですけどね。

 この「奥」・「飛鳥」は寒い所です。
 今の季節になってくると、夜の気温は毎日、一桁です。
 もう少しすると、毎晩零下に落ちます。
 今より私が子供だった頃の方が雪も多いし気温も低かったようです。
 そして、栄養状態は悪いし、来ている物も粗末だし、靴下など履かせてもらえない子が居た時代です。
 もちろん、教室に暖房なんてありませんでした。
 手がかじかんで鉛筆など持てない日もありました。
 アカギレ・しもやけ・ひびなんてのは当たり前…

 こんなのが当時の日本の田舎では当たり前だったのです。
 たかが半世紀前なのに…
 「おしん」の時代とあまり変わっていなかったのです。
 そんなことは、ドラマの世界、東南アジアの世界などと、日本人はすぐに忘れたようで、おごり高ぶっています。
 人口の1/4くらいはその時代の子なのにねえ…

 そんな時代…
 生活の知恵で生み出されたのが、「焼き石カイロ」です。
 寒い冬場は、登校前に子供が集まると焚き火をしました。
 現場を取り仕切るのは「ガキ大将」で、歩の管理は大人の人でした。
 杉芝と薪で火を炊いて温まりました。
 そして、穂の中に焼き芋ならぬ石ころを入れて焼きました。
 河原で拾ってきた少しくびれて針金でくくりよい形のものでした。
 そして、時間が来ると、その焼いた石を針金で吊るして学校へ行きます。
 焼いた石はしばらくは暑く危ない物です。
 だから針金で吊るしていたのです。
 冷めてしまうまでの間は「カイロ」「足温器」になります。
 校舎の床は木造・杉板でしたから少しくらい暑いのを載せても大丈夫でした。
 
 上級生は大きな石ですから、長い時間暖かですが、小さな子のは小さくてすぐにさめちゃいます。
 上級生に憧れた物です。
 怖いけど、面倒も見てくれるし、いじめは食い止めてくれるし、「ガキ大将」って格好良い物だったのです。
 親たちも「ガキ大将」に子供を預けていた感じでクレームなどつけませんでしたね。

 こうして、集落ごとに子供が集まって焚き火をし、冷え込む時には焼き石を作り、みんなで走って学校に行きました。
 今の親だと…
 触ったら火傷するような焼き石を作って針金でぶら下げて学校へ行くなんて、「危ない事」は目くじらを立てて怒るでしょうね。
 私だって何度も熱い目にあっています。
 せっかくの石が針金から外れて悲しかったこともあります。
 でも、上級生の「ガキ大将」が直してくれました。

 と言うことで、「木本の子」は町の子ですから、そんな世界を知らないのだと思います。
 そして、今では日本中が「街の子」になっちゃったようです。
 かわいそうですね。


          昭和32年7月 飛鳥・小阪バス停前

        
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最終更新日  2012/11/20 10:23:41 AM
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