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ガラテヤ書6章より
まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治) おはようございます。今日はガラテヤ人への手紙の最終章、6章「誇りは十字架のみ」です。 私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。:ガラテヤ人への手紙6章14節 ◆要約 あなたがたは、柔和な心で人を正し、誘惑に陥らず、互いの重荷を負い合って、キリストの律法を全うしなさい。自分を何かりっぱだと思わないようにしなさい。自分自身の行いをよく調べれば、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。人には、負うべき自分自身の重荷があるのです。 人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、永遠のいのちを刈り取るのです。飽くことなく、失望せずに善を行えば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、すべての人に対して、特に信仰の家族に善を行いましょう。 あなたがたに割礼を強制する人たちは、十字架のために迫害を受けたくない、肉を誇りたいだけなのです。 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。大事なのは割礼ではなく、新しい創造です。 これからは、私を煩わさないでください。私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから。 ガラテヤ人への手紙 完 (岡崎道成) ◇解説 ガラテヤ書6章を読んで思うこと。それは、「割礼を強いる者の本性と、パウロの本音」のこと。 この6章は、まず5章からの続きであると考えるべきです。つまり話題になっている割礼(律法)問題も、「律法全体は、愛をもって互いに仕え合うところに全うされる」(ガラテヤ書5:13〜14)と、パウロは愛の行動を的にして、見事に展開しています。 この愛の実現も、自らの独力ではなく、「御霊によって歩みなさい」(ガラテヤ書5:16)と言う勧めによって、実現します。つまり、御霊にあって生きる人が、罪に陥った人を柔和な心で正し、互いに愛をもって仕えるところに、キリストの律法が全うされるのです。 兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。 (ガラテヤ書6:1〜2) 何故パウロは、割礼(律法)の話題を、愛に展開するのでしょうか。それは、救われた異邦人に割礼(律法)を強いるユダヤ主義者の本性を暴き、その罠に陥るガラテヤ信徒の目を覚まさせる為です。 ユダヤ主義者のクリスチャンは、神の為に割礼を強いるのではありません。自分たちのメンツの為、自分たちの存在価値を高める為に強いるのです。そこには相手の立場や、神の福音を正しく理解して、宣教すべきメッセージを堅持するなどの霊的な思いは、ひとかけらもありません。彼らの考えは、本当にお粗末な考えです。 いったい、肉において見えを飾ろうとする者たちは、キリスト・イエスの十字架のゆえに、迫害を受けたくないばかりに、あなたがたにしいて割礼を受けさせようとする。事実、割礼のあるもの自身が律法を守らず、ただ、あなたがたの肉について誇りたいために、割礼を受けさせようとしているのである。(ガラテヤ書6:12〜13) イエスの焼き印を受けて、十字架の誇りをもって生きよ。新しく造り変えられて、御霊にお従いして生きよ。これがガラテヤ信徒に対する、パウロの願い(本音)です。 割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。また、神のイスラエルの上にあるように。だれも今後は、わたしに煩いをかけないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に帯びているのだから。(ガラテヤ書6:15〜17) (篠原利治) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021/01/23 09:32:38 AM
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