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伝道の書2章より
これもまた空である 栄華をきわめたソロモンでさえ、何度も「これまた空である」と言う。 つまり、神以外の満たしは存在せず、神以外の益は現れず。ダビデの子ソロモンは、「これまた空である」と何度も語る。 こうして、わたしは大いなる者となり、わたしより先にエルサレムにいたすべての者よりも、大いなる者となった。わたしの知恵もまた、わたしを離れなかった。なんでもわたしの目の好むものは遠慮せず、わたしの心の喜ぶものは拒まなかった。わたしの心がわたしのすべての労苦によって、快楽を得たからである。そしてこれはわたしのすべての労苦によって得た報いであった。そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕えるようなものであった。日の下には益となるものはないのである。(伝道の書2:9〜11) ダビデの子とは、メシア預言の一つ。「ダビデの子にホサナ」とは、メシア待望の旧約預言の言葉。エルサレムの民は、主イエスが子ロバに乗って入城した時、棕梠の葉をひいて、この言葉で迎えた。だから宗教指導者は怒った。 メシアなるお方(全てを支配される主)が、ソロモンを用いて語られる。「野の花(被造物)を見よ」と。これら被造物は、最後に全てが贖われる、神の経綸の完成である、終末再臨を待ち望んでいる。 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。(マタイ福音書6:27〜29) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021/01/28 06:34:42 AM
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