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伝道の書3章より
神のなされるわざ「その時」とは 神のなされるわざ「その時」とは、終末のことです。つまりこの章では、ロマンチックな「その時」が、描かれているのではありません。 ソロモンは、父ダビデから神殿造りの使命を引き継ぎ、混乱する身内の権力闘争の中、苦労して第一神殿を完成しました。 神殿造りの原動力は、永遠の住まいへの憧れ、神殿の本体である、神の都への待ち望みから来ています。 神のなされるわざ「その時」とは、この世の終末において、神の契約が全て成就して、千年王国と新天新地が実現する、「その時」です。 神の経綸、つまり天地創造から世の終わりまで、「その時」を人は、見極めることが出来ないのです。 神のなされることは、皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に、永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを、初めから終りまで、見きわめることはできない。(伝道の書3:11) その時とは、「裁きと回復の時」です。旧約聖書が一貫して啓示しているテーマ、預言者が語り続けているテーマです。 伝道の書3章の後半には、終末における「裁きと回復の時」が、啓示されています。 わたしは心に言った、「神は正しい者と悪い者とをさばかれる。神はすべての事と、すべてのわざに、時を定められたからである」と。わたしはまた、人の子らについて心に言った、「神は彼らをためして、彼らに自分たちが獣にすぎないことを悟らせられるのである」と。人の子らに臨むところは獣にも臨むからである。すなわち一様に彼らに臨み、これの死ぬように、彼も死ぬのである。彼らはみな同様の息をもっている。人は獣にまさるところがない。すべてのものは空だからである。(伝道の書3:17〜19) しかし、最後に勝利があります。神の憐れみによって、ただ回復の約束によって、「その時」が来ます。 「人の子らの霊は、上にのぼり」ます。ソロモンが待望していた、神殿造りの原動力が、終末時に成就します。つまりこの3章は、まことに厳粛な章なのです。 みな一つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る。だれが知るか、人の子らの霊は上にのぼり、獣の霊は地にくだるかを。(伝道の書3:20〜21) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021/01/29 07:54:28 AM
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