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エゼキエル書20章より
エゼキエル書4章から24章まで、エルサレム崩壊の預言が続いています。 神とイスラエルの関係は、いつも同じパターンです。神が選民を赦して導くが、選民は背信行為によって神を捨てます。その為に選民は神に裁かれ、再び神の憐みによって救われます。 上記のように同じ繰り返しで、神の経綸が啓示されます。これは、神の御名が崇められる為の救いのプロセスです。ここに、エゼキエル書の預言のテーマがあります。 前章19章では、イスラエルの君たち(南王国ユダの最後の王たち)の哀歌がありました。その後、本章20章では、イスラエルの回復が約束されています。 神の契約の成就として、やがて千年王国にて、究極の回復が実現します。イスラエル南北朝の回復も、ここにあります。この究極の回復こそ、まことの希望です。 「主なる神は言われる、わたしの聖なる山、イスラエルの高い山の上で、イスラエルの全家はその地で、ことごとくわたしに仕える。その所でわたしは喜んで彼らを受けいれ、あなたがたのささげ物と最上の供え物とを、その聖なるささげ物と共に求める。 わたしがあなたがたをもろもろの民の中から導き出し、かつてあなたがたを散らした国々から集める時、こうばしいかおりとして、あなたがたを喜んで受けいれる。そしてわたしは異邦人の前で、あなたがたの中に、わたしの聖なることをあらわす。」(エゼキエル書20:40〜41) 以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治) おはようございます。今日はエゼキエル書20章「背きの歴史」です。 あなたがたの先祖は次のことにおいても、わたしの信頼を裏切ることにより、わたしを冒瀆している。:エゼキエル書20章27節 ◆要約 イスラエル長老たちが来たとき、私に次のような主のことばがあった。 ー 人の子よ。イスラエルの長老たちにこう告げよ。主はこう言われる。わたしは決してあなたがたの求めに応じない。 わたしがイスラエルを選んだとき、彼らをエジプトから導き出し、乳と蜜の流れる地に入れることを誓った。わたしは彼らに言った。「偶像を投げ捨てよ」と。 それでも彼らはエジプトの偶像を捨てなかった。わたしは憤ったが、わたしはわたしの名が汚されないように、国々の目の前で彼らをエジプトから導き出し、荒野に導き入れ、わたしの掟を彼らに与え、わたしの定めを告げ知らせた。 しかし、イスラエルはわたしに逆らい、安息日を甚だしく汚した。そこでわたしは彼らを絶ち滅ぼそうと考えたが、わたしは国々の目の前で、わたしの名が汚されないようにした。だが、彼らをその地に導き入れないと誓った。 わたしは荒野で彼らの子どもたちに「父たちの道に歩むな」と言った。しかし、子どもたちはわたしに逆らった。それでわたしは、彼らを諸国の民の中に散らすと誓った。 あなたがたの先祖は次のことにおいても、わたしの信頼を裏切ることにより、わたしを冒瀆している。彼らが約束の地に入ったとき、彼らはどこでも高い丘を見ると偶像に仕えた。 わたしは決してあなたがたの求めに応じない。わたしは必ず、力強い手と伸ばした腕、ほとばしる憤りをもって、あなたがたを治める。わたしは あなたがたを荒野でさばく。 わたしがあなたがたを散らされている国々から集め、イスラエルの地に入らせるとき、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしの聖なることを示す。あなたがたは、わたしが主であることを知る。ー(岡崎道成) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/03/13 06:22:11 AM
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