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ヤコブ書3章より
まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治) おはようございます。今日はヤコブの手紙3章「ことばの失敗」です。 もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人はからだ全体をりっぱに制御できる完全な人です。:ヤコブの手紙3章2節 ◆要約 兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。教師は格別きびしいさばきを受けるのです。私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。馬全体を御するくつわや、大きな船を操るかじと同様、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇ることで、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼きます。舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことがあってはなりません。 あなたがたは、知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。しかし、心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。それは上からではなく、肉に属し、悪霊に属するものです。しかし、上からの知恵は、純真、平和、寛容、温順であり、えこひいきや見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。(岡崎道成) ◇解説として 初代教会の議長、主の兄弟ヤコブ(ヤコブ書の著者)の思いは、なかなか届かず。彼の思いは、初代教会の諸問題から生まれています。決して神学問題が、中心ではありません。 2章は、行いか信仰かの問題でしょうか。いいえ、教会内の差別と不道徳の問題から、ヤコブの提言は生まれています。信仰があると言いながら、いつも知らん顔。その行動に、ヤコブは一石を投じています。 3章は、教師論や多弁の問題、お口チャックの発言注意の問題でしょうか。いいえ、そんな話題が本筋ではありません。ヤコブの提言は、迫害下の中でも、正しく福音が語られ、秩序ある聖書が説かれる教会が、常に形成されること。しかしそれは、人間の業では不可能です。神の業による、信仰による前進が必要です。 今日の問題も同じです。伝わることは、二番煎じの内容ばかり。倫理的な人を縛ることばかりです。まず聖書全体を貫く神の経綸を知り、福音の本質が伝わることを願います。 しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。(ヤコブ書3:17〜18) (篠原利治) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/04/11 08:36:20 AM
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