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1分de聖書、解説者

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2024/04/14
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列王紀上6章を読んで思うこと。それは、「ソロモンの神殿完成」のこと。

何だか、レビ記みたいです。それも神殿の構造は、モーセの幕屋と同じです。規模は2倍、寸法はキュビト、キュビトの大連呼。内にはもちろん、至聖所ありです。

私たちは、ソロモンの神殿の荘厳さ、その建築の素晴らしさに、圧倒されます。しかし神の祝福の法則は、目に見える荘厳さとは別物です。

私たちは見えるもの以上に、見えないものに目を注ぐべきです。

実際、ヨーロッパの大きな礼拝堂が、今では観光博物館です。そこには、荘厳な物置スペースありです。

立派な神殿、立派な礼拝堂に、自動的に神の臨在と恩寵が、満ち溢れるのではありません。むしろ逆です。

目に見えるものには、危険と罠が備わっています。つまり「そこに集まる人々に、聖書信仰と復活信仰ありや」が、問われます。 

「主のおきて(御言葉)に対して、どのような姿勢であるのか」が問われます。

祭司の子であるバプテスマのヨハネは、荒野に住んでいました。神殿には住んでいません。しかしここにも、主の臨在あり、神の啓示ありです。

そこで主の言葉がソロモンに臨んだ、「あなたが建てるこの宮については、もしあなたがわたしの定めに歩み、おきてを行い、すべての戒めを守り、それに従って歩むならば、わたしはあなたの父ダビデに約束したことを成就する。そしてわたしはイスラエルの人々のうちに住み、わたしの民イスラエルを捨てることはない」。こうしてソロモンは宮を建て終った。(列王紀上6:11〜14)

「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」(2コリント書4:18)





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Last updated  2024/04/14 04:44:35 AM



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