|
カテゴリ:カテゴリ未分類
1コリント書12章より
まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治) おはようございます。今日はコリント人への手紙第一12章「からだの部分」です。 あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。:コリント人への手紙第一12章27節 ◆要約 兄弟たち。御霊の賜物については、知らずにいてほしくありません。聖霊によらなければ「イエスは主です」と言うことはできません。 さて、賜物や奉仕、働きはいろいろありますが、与える方は同じ御霊、仕える相手は同じ主、働くのは同じ神です。皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があるようにです。神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの部分を備えられました。 目が手に向かって「あなたはいらない」と言うことはできません。それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、からだを組み合わせられました。それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために配慮し合うためです。一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりはその部分です。 あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。私は今、はるかにまさる道を示しましょう。 設問:一人ひとりに違う賜物が与えられている目的は何か 20字:キリストのからだの各部分として組み合わさる(岡崎道成) 解説として 1コリント書12章は、「霊の賜物と教会のあり方」について。 コリント教会の想像を絶する前代未聞の姿は、パウロの数々の叱責により、うかがうことができます。不品行と汚れ、不信と分裂分派、無秩序と崩壊により、人間性と教会の集団性(礼拝)が、混沌としています。 こんな状態の中、振り子は逆にも流れます。霊的感性が優れ、霊調豊かな特化した、コリント集団の台頭です。神によりコリント教会に与えられた豊かな恵みと賜物は、最後まで尽きることなく溢れます。 コリント教会のカオス化(混乱)する諸問題の中で、行き場を失った真面目な人々は苦しさのあまり、霊的な恍惚の中に、聖霊の賜物の中に、信仰のあり方を求めていきます。これは当然の姿です。 この12章は、「霊の賜物と教会のあり方」がテーマです。コリント書の後半は、真面目に主の道を求めているコリント教会メンバーに対して、パウロは礼拝を教えます。11章は主の聖餐、12章は霊の賜物と預言。このように礼拝における視座は、14章まで続きます。 兄弟たちよ。霊の賜物については、次のことを知らずにいてもらいたくない。あなたがたがまだ異邦人であった時、誘われるまま、物の言えない偶像のところに引かれて行ったことは、あなたがたの承知しているとおりである。そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。務は種々あるが、主は同じである。働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。(1コリント書12:1〜7) (篠原利治) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/04/13 06:32:39 AM
|