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1コリント書13章より
まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治) おはようございます。今日はコリント人への手紙第一13章「愛について」です。 いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。:コリント人への手紙第一13章13節 ◆要約 (私は今、はるかにまさる道を示しましょう。)たとえ私が異言や預言で話したり、あらゆる奥義や知識に通じ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。持っている物のすべてを分け与えても、からだを引き渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。 愛は寛容であり、親切で、人をねたまず、自慢せず、礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人のした悪を心に留めず、不正を喜ばず、真理を喜びます。すべてを耐え、信じ、望み、忍びます。 愛は決して絶えることがありません。預言や異言、知識はすたれます。私たちの知るのは一部分だからです。完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。 設問:なぜ愛が一番すぐれているのか。 20字:絶えることがなくやがて神を完全に知るため(岡崎道成) 解説として 1コリント書13章は、「突然に入る、アガペー(愛)の話題」のこと。 12章と14章の間に、突然、アガペー(愛)の13章が入る。これは何を意味するのか。霊の賜物の話題の間に、神の愛の話題が入る。パウロは、何を言いたいのか。 御使いたちの言葉、預言、奥義と知識に精通、強い信仰。これらは困惑するコリント教会を導く、霊的特化集団の看板メニューです。 しかし、これらがあっても、「もし、アガペー(神の愛)が無ければ、いっさいは無益」と、パウロは語ります。つまり、無秩序な霊的高慢な人々に対しても、パウロは語り出します。 たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。(1コリント書13:1〜3) 時間を割いて、12章まで熱心に論じても、このコリント教会には届かないのか。そんなパウロの思いが聞こえてきます。 「ああ、私ではなく、キリストが崇められるように」と、パウロの祈りが聞こえてきます。 すると突然、以下の言葉が、パウロの口から溢れます。 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 13:7 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。(1コリント書13:4〜8) 結論は、アガペー(愛)中心、キリスト中心。賜物より癒しより、救い主にこそ、いのちがある、と。 「アガペー(愛)は、いつまでも絶えることがない」とあります。ここに、コリント教会の希望があります。 ここに、私たちの希望があります。この言葉は、私たちの間の裁きの言葉ではなく、神の憐れみによる救いの啓示です。 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。(1コリント書13:13) (篠原利治) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/04/14 04:48:13 AM
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