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列王紀上8章を読んで思うこと。それは、「神殿には、主の栄光が満ち、ソロモンは長い長い祈りをする」こと。
今日のソロモンの献堂、奉献式の「祭と季節」を知ることは、聖書を生涯学ぶうえにおいて、非常に重要な事になります。今日はじっくり、聖書研究を行います。 「イスラエルの人は皆、エタニムの月、すなわち七月の祭に、ソロモン王のもとに集まった。」(列王紀上8:2) ソロモンが、全会衆を招集して、神殿奉献をしたのは、イスラエルの三大祭の一つ「仮庵の祭」の時です。 この祭は、イスラエル人がエルサレムに集まって、小屋を建てて祝います。季節は、夏の収穫を祝う頃、9月~10月頃です。モーセの律法では小屋を建てて、7日間過ごすように定められています。 これは神が、幕屋に住まわれたことの記念であり、荒野における主の守りと感謝を覚える、幕屋の記念の祭りとなります。 つまり新約聖書では、言が人となって受肉し、私たちの間に住まれたことを意味します(ヨハネ福音書1:14)。 受肉、住むとは「幕屋を張る」ことを意味します。神の御子キリストが人となり、誕生したことを意味します。 重要なのは、イエスの誕生の時期が、この「仮庵の祭」の時期であるということです。 ルカ福音書2章の世界、ローマの皇帝アウグストの勅令に従い、マリアとヨセフは、ベツレヘムまで旅をします。当時のローマ帝国は、このユダヤの祭を上手に利用しています。そして人口調査をしたのです。 マリアとヨセフは、馬小屋にて、幼子を飼い葉おけに寝かせました。これぞ「仮庵」です。最も貧しい場所に、大切なメシアを置きました。御子は、私たちの間に宿ったのです。 そして主イエスも8日目に、アブラハム契約のしるし、神の選民のしるしである割礼を受けています。これぞ「仮庵の祭」の期間であった事の大きな証しです(ルカ福音書2:21)。 そして祭司たちが、聖所から出たとき、雲が主の宮に満ちたので、祭司たちは雲のために立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。そこでソロモンは言った、「主は日を天に置かれた。しかも主は自ら濃き雲の中に住まおうと言われた。わたしはあなたのために高き家、とこしえのみすまいを建てた」。(列王紀8:10~13) 仮庵の祭の時、ソロモンの神殿奉献の時、臨在の雲が満ちました。これは、神の御子がベツレヘムの貧しい「飼い葉おけ」で誕生し、「言が人となって、私たちの間に住まわれた」栄光の輝きと重なります。 また御使いが、野宿夜番をしていた羊飼いに現われ、主の栄光が巡り照らしたことも、このソロモン神殿に満ちた栄光の雲と重なります。 聖書的啓示には、大きな重なりがあります。故に私たちは、イスラエルの歴史を学び、新約聖書の深い意味を学び、やがて来たるべき終末の約束(再臨)を、正しく知るべきです。 近い将来においても、仮庵の祭の時、栄光の主が雲に乗って、この地に再臨されることが預言されています。 終末再臨こそ、主の栄光がソロモンの神殿に満ちた、本当の意味なのです。 ソロモンは、その啓示を知り、天を仰いだのかもしれません。そして長い長い祈りが、湧き上がってきたのかもしれませんね。私も興奮して、長い長い聖書研究的なコメントが、湧き上がってきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/04/16 04:35:34 AM
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