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鏡の技法

「鏡の技法」は、「<からだ>の声を聞きなさい2」(リズ・ブルボー)の200ページに載っている。

「鏡の技法」から

・他者を自分の鏡とみなす、という方法を私(Lise Bourbeau)はずっと教えていますが、いまだにこの方法の素晴らしさを毎日確認し続けています。
2000年前に、イエスは
あなたはひとの目の中にある塵は見えても、自分の目の中の梁は見えない[聖書マタイ伝7-3]」と言われた。
私たちは他人の中に欠点を見るが、本当はそれは自分自身の欠点であり、しかもそれは他人よりはるかに凄まじいということを教えようとされたのです。

・私はこれまで様々な<気づきの技法>を学んできましたが、自分がどんな人間であるのか気づくためには、この鏡の技法にまさるものはないと断言できます。
この技法は最も効果的で、最も即効性がある、といってよいでしょう。

・自分のある側面を変えるためには、まず<それ>が自分にある、と気づかなくてはなりません。あなたが外的世界で体験することはすべてあなたの内面のプロセスの反映です。
したがってあなたが他者のうちに見るものはすべてあなた自身の反映だと知ると、世界がまったく違ってみえてきます。

・あなたは今。鏡の前にいると思ってください。
あなたは鏡に映った自分を見ます。そこに映っている姿は、あなた自身の姿です。
そこに映っている太った自分、あるいは肌の荒れた自分が気にいらないからといって、鏡に腹を立てたり、鏡を壊したり、鏡を捨てたりしても、あなた自身の現状は何一つ変わりません。
以上のことを受け入れてください。

・ほとんどの人が、自分を映し出してくれている<相手>を変えようとしますが、これは鏡を変えようとすることと同じなのです。鏡はあなたの体の各部分を正確に映し出します。
あなたが嫌っている部分、受け入れていない部分もそのまま映し出します。
あなたが相手を変えたいと思っているとしたら、あなたは自分にあるその部分を受け入れていないのです。

・鏡の技法を使えば、あなたの心の内であなたが受け入れていない部分、受け入れている部分に気づくことが可能になります。
あなたが他人の振舞いを見て、嫌な気持ちになるとしたら、あなたもまた同じような側面を持っており、しかもそれを受け入れることができていない、ということになります。

・あなたの身近にいる人を観察してみましょう。もしその人が、誰かのことを無礼な人間だと批判した場合、その人の振舞いを観察すれば、その人自身が無礼であることが分かるでしょう。人がしゃべっているのをさえぎったり、頼まれないのに押し付けがましく忠告したり、何かを図々しく要求しているでしょう。要するにその人もその人なりに無礼なのです。
私たちは、自分が批判している当の振舞いを自分自身もしているのですが、そのことに全然気がつかず、人に注意されると勝手な理屈をつけて自己正当化しているのです。

・誰かを善や悪、正や邪によって批判したり裁いたりしているとき、少し立ち止まって<鏡の技法>を使ってみてください。こう自問するのです。
「私もあんなふうに振舞っているのではないだろうか?」
心を開いて、自分を率直に見つめる決意をした人ならば、必ず自分もまた同じような振舞いをしていることに気づくはずです。そんな自分を受け入れるためには、まず自分がそうした振舞いをした理由に気づかなければなりません。
たとえば他者に本心を言わないときは、その背後には常におそれがあります。
自分が本心を言わないときの意図に気づくとき、相手が本心を言わないときの意図も大体分かるはずです。するとあなたは自分自身と相手に対して優しく接することができるようになるでしょう。でも、「次から本当のことをいわなきゃ」と思わないでください。自分が本心を言っていないことに気づけば、その背後の恐れも直視できるようになります。無理やり自分を変えようとすると必ず失敗するものです。自分のありのままの姿を完全に認めることが大切です。それによって初めて自分を変えようとするエネルギーがわいて来ます。
まず自分をよい存在だと認めること、本当の変容はその後に始まります。

・この技法を使うと<相反する性格の者同士は惹かれあう>という表現が本当に意味するところもわかります。<鏡の技法>を使うと、そういう二人は、本当は相反する性格を持っているのではなく、本質的には同じ性格であり、表現の仕方が異なっているだけだと気づきます。
表面上、相反する性格を持っているように見えるだけなのです。その場合、二人とも本当の自分を抑圧しており、自分に対して自分自身であることを許していません。
ご主人がしまり屋で奥さんが浪費家という組み合わせがあります。ご主人が奥さんをいくら説得しても奥さんは浪費をやめません。一見すると二人は正反対のようですが、実は二人ともお金に対する不安を隠し持っているのです。奥さんはこの不安を抑圧しており、その不安が表面意識に上がってくるのを許さず、まるでそうした不安を持っていないかのように振舞うのです。一方ご主人はお金に対する不安を意識しており、そのために極めて慎重に理性的に振舞うのです。お金を使うことをなるべく避け、無駄なものは一切買いません。
つまり二人ともお金に対する不安を持っているのですが、その表現の表れ方が異なっているのです。二人はお互いに相手が抑圧している部分を教えあっているのです。お互いが鏡の技法を使えば二人にとっての中道を見いだすことができるでしょう。カップルの場合、それぞれが相手を変えようとしたり批難したりせずに、その関係を自分の意識を拡大するためのきっかけとして使えば有益なものとなります。
鏡に映る相手は実はあなたの心の中にある疑いや恐れを拡大して見せているのです。あなたが自分の心の一部を無視し続ける限り、それは勢力を増してあなたを支配し続けます。

・あなたが他人をどう見るかが、あなたの心のありさまを反映していることを気づく必要があります。もし、あなたにとって自然がますます美しく見えるようになり、人々がますます美しく見えるようになったら、あなたは自分自身をもまたそう見ているのです。

・あなたがある人の性格を素晴らしいと憧れるとき、自分自身はとてもそんな性格をしているとは思いません。自分が憧れるような面を自分が持っているとは思えないのです。
でも、あなたがある人の優しさ、思いやりなどにあこがれるときは、実はあなたの中にもそれと同じ優しさや思いやりがあるのです。
イエスも「あなたが他人のなかに見るものは、すべてあなたの中に、もっとたくさん存在している」といっています。
つまり、あなたが憧れる他人の一面は、もっとたくさんあなたの中にあるのです。
これって素敵なことだと思いませんか?

・宇宙は、私たちが、調和、豊かさ、愛、幸福、やすらぎ、健康のうちに生きられるように、あらゆる手段を駆使して導こうとしてくれています。
私たちが、あるやり方を理解しないと、宇宙は別なやり方で同じメッセージを送ってきます。
たとえば、あなたがある種の思い込みによってながい間、自分の願いを表現できずにいると、宇宙は、病気や体調不良を使って、あなたをそのことに気づかせようとすることができます。
ですから、その場合には、病気や体調不良を気づきのプレゼントとして感謝して受け取らなければなりません。


・誰かがあなたを批判した時、次のように言ってはなりません。
「私が学んだところによると、誰かを批判する人は、自分もその批判の対象と同じ要素を持っているということですよ」
確かにそのとおりなのです。しかし<鏡の技法>をそのように使うことは、人間関係を壊し、友人を失う最も確実な方法です。いかなる人間も、他者を変えて進化させようとすべきではありません。進化は、人間一人ひとりが自分自身でなしとげるべきものです。

・「鏡の技法」を使えば使うほど、それはあなたにとって容易になるでしょう。あなたは自分に起こったことをすべて、より深く自分を知るために使えるようになり、人生をありのままに受け入れられるようになります。このように<鏡の技法>を使えば、あなたは、その存在を意識していなかった自分のさまざまな面とコンタクトできるようになっている自分に気づいて、新鮮な喜びを感じるでしょう。
私たちの内なる宇宙は、私たちが自分なりのリズムで、自分に最も適切なやり方で進歩の道をたどれるように、日々さまざまな方法で導いてくれているのです。

<鏡の技法>の主要な目的は、あなたが、ありのままの自分を受け入れられるようにすることにあります。
あなたが自分を、今まで以上に裁くようにすることではありません。
次のように思えるなら<鏡の技法>を使っても大丈夫です。
「私の心の一部は、我慢することがあまり得意ではないようだ。でもなぜ性急になるかといえば、もっと早く進化したいという気持ちがあるからだ。確かにイラだつのはよくないけれど、そういう自分を自覚できてよかった、きっと良い方向に変えられるはずだ。」
こうして、自分に忍耐力がないということを許し、忍耐力がないということの良い側面に注目することによって、初めてあなたは他者の忍耐力のなさを受け入れることができるようになります。欠点が良い方向に変化しはじめるのです。
特に、それまで自分がそれに気づかなかったということを裁かないようにしましょう。
そして自分の欠点を性急に改善しないようにしましょう。徐々にでいいのです。

・「鏡の技法」を使うことによって、相手に感謝することもできます。
たとえばあなたが車のスピードを出しすぎて警官に捕まり、罰金を払うことになったとします。この場合、もしかするとあなたは生きる上でもスピードを出しすぎており、もうすぐ先に危険が待ち構えているかもしれません。そこでそれを警告として受け止め、もう少し生き方のスピードをゆるめることによって安全に生きられるかもしれないのです。
<鏡の技法>を使って、あなたを捕まえた警官を恨むのではなく、かえって感謝することも可能となるのです。というのもあなたはその出来事を通じて、宇宙のメッセージを受け止めることが可能となったからです。その出来事を通じ、メッセージを受けとめることが可能になったからです。

・自分も他人も裁かないこと、自分も他人も罰しないこと。このことが可能になれば、私たちがこの世界に来た目的はかなり達成されたことになります。

<ルカによる福音書>

「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。
敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。 
悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。

あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。
上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
求める者には、だれにでも与えなさい。
あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。
人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。
罪人でも、愛してくれる人を愛している。
また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。
罪人でも同じことをしている。
返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。
罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。
人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。
そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。
いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」
人を裁いてはならない。
そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めてはならない。
そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。
そうすれば、あなたがたも赦される。
与えなさい。
そうすれば、あなたがたにも与えられる。
押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。
あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。 」
イエスはまた、たとえを話された。
「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。
弟子は師にまさるものではない。
しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。
あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、
『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』
と、どうして言えるだろうか。
偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除きなさい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」



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