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報徳記巻之二【3】岸右衛門を善に歸せしむ

報徳記  巻之二

【3】物井村岸右衛門を導き善に帰せしむ

物井村(ものゐむら)岸右衛門(きしうゑもん)なるものあり。
少しく才知あり、性(せい)吝嗇(りんしょく)にして剛気なるものなり。
先生桜町陣屋に至るより、日夜艱難苦行を尽(つく)し、衰邑(すいいふ)を興(おこ)し、百姓を安(やすん)ぜんとするに、之(これ)を嘲(あざけ)り之(これ)を誹(そし)り、邑人(いふじん)をして先生の徳に帰せざらしむ。
自から大言(だいげん)を吐き三絃(げん)をひき謡(うたひ)をうたひ、再復の仕法に相反(あひはん)するの行(おこな)ひをなし、歳月を送ること七年に及べり。
先生寛大を主としてこれを戒めざるは、其(そ)の自然に己(おのれ)が非を知り、自ら悔(くゆ)るの時を待つなるべし。
然るに先生の丹誠実業月を重ね年を経(ふ)るに及びて弥々(いよいよ)厚く、功績次第に顕(あらは)れ、良法の良法たる所以(ゆゑん)明白になるが故に、岸右衛門思へらく、
前々小田原より此の地を再復せんが為に出張するもの幾人、一年を待(また)ずして或(あるひ)は退き、或(あるひ)は走れり。
二宮氏命令を受け来(きた)ると雖も、必ず前轍(ぜんてつ)を踏まん而己(のみ)。
仮令(たとひ)如何(いか)なる仕法を下(くだ)せしも、此の地の再興成就すべき道ある可(べか)らずとせり。
然るに七年に及び、其(そ)の丹誠益々厚く、功験(こうけん)日々(にちにち)に著(いちじる)し。
我斯(かく)の如(ごと)き仕法に敵(てき)し、年を経(へ)ば三邑(いふ)再興近年に成り、罪人に陥らんこと眼前(がんぜん)なり。
今速(すみや)かに前非を謝し、共に興復の事に力を尽(つく)し、後栄を取らんには如(しか)ずと。
是(これ)に於(おい)て人をして岸右衛門仕法に感じ、力を尽(つく)さんことを願ふと言はしむ。
先生其の旧悪(きうあく)を咎(とが)めず、悦びて其(そ)の請(こひ)を許せり。
岸右衛門陣屋に來り、先生の指揮に随ひ、丹精を尽(つく)さんと云(い)ふ。
先生之(これ)に教ふるに仕法の大意、人倫の大道を以てす。
岸右衛門始て広大の道理を聞き、大(おほい)に感激し、是より日々邑(むら)に出でて指揮に随ひ、土功(どこう)の率先(そつせん)となり、専ら力を尽(つく)せり。

然りと雖も邑民(いふみん)其の人と為りを賎(いやし)みて其(そ)の言を用ゐず、
岸右衛門甚(はなはだ)之を憤悶(ふんもん)せり。

先生岸右衛門に諭(さと)して曰く、
汝前非を改め上下の為に尽力するといへども、諸民何ぞ其(そ)の本心の有る所を知らんや。
夫(そ)れ人の難(かた)んずる所は私欲を去るにあり。
汝(なんぢ)私欲を去らずんば、人之を信ぜず。


岸右衛門曰く、
教に随ひ、欲を捨(すつ)ること何をか先(さき)んぜん。

曰く、
汝の貯(たくはへ)置きし金銀器財を出し、窮民救助の用となせ、
又(また)田圃(でんぼ)悉(ことごと)く之を鬻(ひさ)ぎ、代金となし之(これ)をも出すべし。
私欲を去り、私財を譲り、邑(いふ)民の為に力を尽(つく)すこと人事(じんじ)の善行豈(あに)是(これ)より大(だい)なるものあらん。
人の人たる道、己(おのれ)を棄てゝ人を恵むより尊きものはあらず。
然るに汝、旧来(きうらい)の所行(しよぎやう)、只(たゞ)我を利せんとするの外(ほか)他念なし。
己(おの)れを利せんとして他を顧みざるは禽獣(きんじう)の道なり。
夫(そ)れ人と生れて一生鳥獣と行(おこなひ)を等しくすること、豈(あに)悲むべきの至(いたり)に非(あら)ずや。
今、我が言に随ひ、禽獣(きんじう)の行(おこなひ)を去り、人道の至善を行ふ時は、汝の心、私欲の汚れを去りて清浄(せいじやう)に帰し、諸民も亦(また)これを見て其の行(おこなひ)に感じ、汝を信ぜんこと何の疑ひあらん
 と教ふ。

岸右衛門憂喜(ゆうき)交々(こもごも)至り決することあたはず、
一は此の善道を踏(ふま)んことを欲し、一は一家の廃せんことを憂ふるが故なり。


先生又教えて曰く、
汝の心決せざる所以(ゆゑん)のものは、一家を失ひ、父母妻子を養ふの道なきを憂ふるにあらずや。
汝一途(いちづ)に此の善道を踏まんとし、一家田圃(でんぼ)ともにナゲウち、非常の行(おこなひ)を立(たつ)るに及びては、我れ何ぞ其(そ)の飢渇を見て、汝の斃(たふ)るゝを待たんや。
汝は汝の道あり、我は我の道あり、
三邑(いふ)の興廃我が一身に関(くわん)せり。
無頼(ぶらい)のもの自ら一家を失ふに至れるだも、教育を尽して之を再復し、之を安んぜしむ。
然るに今汝等上君(じやうくん)の為、下民(かみん)の為に旧来(きうらい)の家株をナゲウち、撫育(ぶいく)の道を行ふ。
此(こ)の如き奇特(きとく)の者をして道路に飢(うゑ)しめば、我三邑(いふ)興復の任何(いづ)れの処(ところ)にやあるや。
唯(たゞ)汝の一心私欲を去ることあたはず、生涯鳥獣(てうじう)と伍(ご)を同(おなじ)くし、空しく腐(くち)んことを歎く而己(のみ)なり
 と、
愁然(しうぜん)として愛愍(あいびん)の心面貌(めんぼう)に溢(あふ)る。

岸右衛門此(こ)の一言に感じ、意を決し、応(こた)へて曰く、
先生某(それがし)を憐(あはれ)み、教ふるに君子の行(おこなひ)を以てす。
恩義の大なること豈(あに)譬(たと)ふるに物あらんや。
速かに教(をしえ)に随ひ、此(こ)の人道を踏まんと。
直(たゞち)家へ帰り、此の道を以て父母妻子に説く。
家族大いに驚き、為す所を知らず。
或(あるひ)は悲泣(ひきう)するに至れり。
岸右衛門疑念発動し、婦女子諭(さと)すべからずと、人をして先生に告げしむ。

先生歎じて曰く、
是(これ)岸右衛門の一心にありて婦女子にあるにあらず。
岸右衛門の心、目前の欲に掩(おほ)はるゝにあるのみ、
嗚呼(あゝ)小人(せうじん)元より君子の行(おこなひ)を踏むべからず、我れ此(こ)の如き者に教へたるは我が過(あやまち)なり
 と大息(たいそく)す。

人帰り岸右衛門に告ぐ。
岸右衛門憮然(ぶぜん)として曰く、
実(じつ)に我心定らざるにあり、何ぞ家族にあらんやと。

断然として田圃(でんぼ)を鬻(ひさ)ぎ、器財を沽却(こきゃく)し、百余金を持ちて、陣屋に至り曰く、
不肖(ふせう)何ぞ撫育(ぶいく)の大道(だいだう)を行ふことを得んや。
願はくは之を君(きみ)の撫恤(ぶじゅつ)の財(ざい)に加へ撫育(ぶいく)し玉(たま)へと云ふ。
先生其(そ)の志を賞し、この請(こひ)に応ぜり。

是(こゝ)に於(おい)て岸右衛門に謂(い)ひて曰く、
汝今日より力を尽し荒地を起こすべしと命じ、開墾せしむ。
先生も亦(また)役夫(えきふ)をして開発せしめ、忽(たちま)ち数町の田を開き、之を岸右衛門に与(あた)へて曰く、
此(こ)の開田は汝(なんぢ)是まで持する所の田に勝(まさ)れり。
今年より此の田を耕すべし。
旧田は五公五民にして産粟(さんぞく)百苞(ぺう)なれば租税高掛(たかかゝ)り五拾苞(じうぺう)を出す可し、此(こ)の開田は百苞(ぺう)を生ずれば百苞(ぺう)ともに汝の有(もの)となる。
七、八年を経(へ)ざれば貢(みつぎ)をも出さず。
汝貢税の田を得て困民を救助し、無税の田を得て之を耕さば、一家の生産以前に倍せん。
此(これ)を之(こ)れ両全(りやうぜん)の道と謂(い)ふなりと教ふ。

岸右衛門始て先生の処置(しょち)深遠なるに驚き、大(おほ)いに悦びて力を尽せり。
外には邑民(いふみん)の信を得(え)、内には富以前に倍するの幸(さいはひ)を得たるは皆先生の良法に依れりと云ふ。



報徳記  巻之二
【3】物井村岸右衛門を導き善に帰せしむ

 物井村に岸右衛門という者があった。少し才知があり、その性は吝嗇で剛気であった。先生は桜町陣屋に来てから、日夜艱難苦行を尽し、衰村を興し、百姓を安んじようとされたが、これを嘲ったり誹ったりして、村人を先生の徳に帰せないようにした。自から大言を吐いて三味線をひき謡曲をうたって、再復の仕法に反する行いをなして歳月を送ること7年に及んだ。先生は寛大を主としこれを戒めなかったのは、自然に自分の非を知って、自ら後悔する時を待たれたのであろう。
しかし先生の丹誠実業が月を重ね年を経るに及んでますます厚く、功績は次第に顕われ、良法の良法たる理由が明白になったために、岸右衛門はこう思った。
以前小田原からこの地を再復するために出張してきた役人は幾人もいるが、1年を待たないで退いたり、逃げ去ったりした。二宮氏が命令を受けて来ても、必ず前轍を踏むに違いない。たとえどのような仕法を下しても、この地の再興を成就できる方法などあるはずがないと思っていた。ところが7年に及んで、その丹誠はますます厚く、功験は日々に著しい。私がこのように仕法に敵対し、年を経るならば三村の再興は近年にも成り、罪人に陥いるのも眼の前にある。今すぐ前非を謝り、一緒に復興事業に力を尽して、後の繁栄を取ったほうがよいと。そこで人を先生のところにやって「岸右衛門は仕法に感じ入って、力を尽そうと願っております」と言わせた。
先生はその旧悪を咎めることなく、喜んでその要請を許した。岸右衛門は陣屋に来て、先生の指揮に随って、丹精を尽しますと言った。先生は仕法の大意、人倫の大道をもって教えられた。岸右衛門は始めて広大の道理を聞いて、大変感激し、これから日々村に出て指揮に随い、土功の率先となって、専ら力を尽した。しかし村人は岸右衛門の人となりをいやしんでその言葉を信じない。岸右衛門はとても憤悶した。
先生は岸右衛門にこうさとされた。
お前が前非を改めて上下のために尽力したとしても、人々がどうしてお前の本心を知ろうか。そもそも人の難かしいとするところは私欲を去ることである。お前が私欲を去らなければ、人はこれを信じまい。
岸右衛門は、教えに随って欲を捨てるには何を先にしたらよいでしょうかと尋ねた。
先生は言われた。
お前の貯えてきた金銀や器財を出し、貧乏で苦しむ人々を救助する資金としなさい、また田畑をすべて売払ってその代金を救助のために差し出しなさい。私欲を去り私財を譲り、村人のために力を尽す、人としての善行はこれより大きいものはない。人の人たる道は、己れを棄てて人を恵むことより尊いものはない。しかしお前の旧来の所行は、ただ自分を利そうとするだけであった。自分を利して他を顧みないのは、けだものの道である。人と生れて一生鳥獣と行いを等しくすることは、なんと悲むべき至りではないか。
今、私の言葉に随って、けだものの行いを去り、人道の至善を行う時は、お前の心は私欲の汚れを去って清浄に帰し、諸民もまたこれを見てその行いに感じいって、お前を信ずることは何の疑いもない と教えた。
岸右衛門は憂いと喜びが交互にきて決断することができなかった。一つはこの善道を踏もうと欲し、一つには一家を廃することを憂えたためである。
先生は教えられた。
お前の心が決することができないわけは、一家を失い、父母や妻子を養う道がなくなるのを憂慮するからではないか。お前がひたむきにこの善道を踏もうとし、一家田畑ともになげうって、非常の行いを立てるに及んで、私がどうしてその飢渇を見て、お前が倒れるのを黙って待っていようか。お前はお前の道があり、私には私の道がある、三村の興廃は私の一身に関することだ。定職を持たず素行の悪い者が自分の行いで一家を失うのでさえ、教え育ててこれを再復し、安らかにしている。そうであるのに今お前が上は殿様のため、下には民のために昔からの家財をなげうって、かわいがり大事に育てる道を行う。このような感心な行いの者を道路に飢えさせれば、私は三村の復興する任務をどうして達成できよう。ただお前の一心が私欲を去ることができず、生涯鳥獣とレベルを同じくして、空しく腐ちていくことを歎くだけである と、愁いに沈んでかわいそうに思う心が顔つきに溢れた。
岸右衛門はこの一言に感じて、意を決して、こう答えた。
先生は私を憐んで、教えるに君子の行いをもってされました。恩義の大きいことは譬えようがありません。すぐに教えに随って、この人道を踏みましょうと。直ちに家へ帰って、この道を父母妻子に説いた。家族は大変に驚いて、なす所を知らず、あるいは悲泣した。岸右衛門は疑念が生じて、婦女子を諭すことができず、人を先生のもとにやって告げさせた。先生は歎じて言われた。
これは岸右衛門の一心にあって婦女子にあるのはない。岸右衛門の心が、目前の欲におおわれているだけだ、ああ小人はもともと君子の行いを踏むことはできない、私がこのような者に教えたことは私の過ちである。 と大息された。
その人は帰って岸右衛門にその旨を告げた。岸右衛門はむすっとして言った。
実に私の心が定らないからであって、家族にはないと。
きっぱりと田畑や器財を売払って、百余両を持って、陣屋に来て言った。
不肖の私がどうして百姓をかわいがり大事に育てる大道を行うことができましょう。
願はくはこれをあなた様の慈しみあわれむ事業の財産に加え人々をかわいがり大事に育ててくださいと言った。
先生はその志を賞賛して、この要請に応じられた。そこで岸右衛門にこう言われた。
お前は今日から力を尽して荒れ地を起こすがよいと命じ、開墾させた。先生もまた人夫使って開発させ、たちまち数町の田を開いて、これを岸右衛門に与えて言われた。
この開田はお前がこれまで保有していた田に勝っている。今年からこの田を耕すがよい。もとの田は五公五民で収穫した米が百俵であれば租税が高く掛って50俵を出したであろう、この開田は百俵を生ずれば百俵ともにお前のものとなる。7、8年を経なければ貢税を出す必要がない。お前が貢税の田を売払って貧窮の人々を救助し、無税の田を得てこれを耕すならば、一家の生産は以前に倍しよう。これをこれ両全の道というのだと教えられた。
岸右衛門は始めて先生の処置の深遠であること驚いて、大変に喜んで力を尽した。
外には村人の信用を得て、内には富が以前に倍する幸いを得たのは皆先生の良法によるという。


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