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報徳外記 上

報徳外記 巻之上

我が道は分度に在り。分たるは天命の謂ひなり。度たるは人道に謂ひなり。分定まり度立ちて譲道生ず。譲たるは人道の粋なり。身たるや、家たるや、国たるや、天下たるや、譲道を失ひて衰へざるもの、未だ之れ有らざるなり。分度を失ひて亡びざるもの、未だ之れ有らざるなり。神聖、草莱を辟きたまふ推譲に在るなり。王侯、邦家を保つものは分度に在るなり。蓋し推譲は、創業の道なり。分度は守成の道なり。身たるや、家たるや、国たるや、天下たるや、推譲に因りて興らざるもの、分度に因りて保たれざるもの、未だ之れ有らざるなり。然り而して天下滔々として衰亡を免れざるは何ぞや。挙息、人に在ればなり。此の篇も亦、人有りて或いは取るもの有らんや。

 第一 命分
 天地の剖分たるや、天は尊く地は卑し。日月星辰、山沢河海、万世に亘りて而も易らざるは天地自然の命分なり。其の間に生まれる者は、人なり。禽獣なり。虫魚なり。草木なり。自づから命分ありて存す。其の或いは小さく、或いは大きく、或いは卑湿に生じ、或いは高乾に生ず。花を開くもの有り、実を結ぶもの有り。或いは花無きもの有り、実無きもの有り、此れ草木の命分なり。其の或いは裸、或いは羽をもち、或いは鱗をもち、或いは介となる。黄泉に生じ、草木に生じ、川沢に生じ、江海に生ず。朝に生まれ夕に死するものあり、春秋を知らざるものあり、万歳を保つものあり。此れ虫魚の命分なりお。其の羽にして飛び、蹄にて走り、觜角有り、爪牙有り、或いは洲渚に生じ、或いは丘陵に生じ、或いは原野に生じ、或いは山林に生じ、或いは川海に生ず。此れ禽獣の命分なり。千態万状、同じかえあざる有りと雖も、各々天地自然の命分にして、而して易ふ可からざるは則ち一なり。其の卑湿に生ずるものは卑湿に止まり、高乾に生ずるものは高乾に止まり、花実有るものは花実あるに任せ、根葉有るものは根葉あるに任せ、以て生活を為すは草木の道なり。其の草木に生ずるものは草木に止まり、黄泉に生ずるものは黄泉に止まり、川沢江海に生ずるものは川沢江海に止まり、裸は裸に任せ、羽は羽に任せ、鱗介は鱗介に任せ、以て生活を為すは虫魚の道なり。其れ洲渚に生ずるものは洲渚に止まり、丘陵原野に生ずるものは丘陵原野に止まり、山林河海に生ずるものは山林河海に止まり、觜角有るものは觜角あるに任せ、爪牙有るものは爪牙あるに任せ、以て生活を為すは禽獣の道なり。是れ皆、天命に随ひ天分に随ひて、生活を為す者なり。若し夫れ天命に乖き天分に戻り、草木湿乾を易へ、虫魚禽獣山沢河海を易へなば、則ち其の生活を全ふすること能はざるなり。草木虫魚禽獣、既に然り。況んや人倫に於てをや。夷狄に生まるるも命なり。皇国に生まるるも命なり。或いは都会に生まれ、或いは辺陲に生まるるも命なり。或いは天子の尊に生まれ、或いは諸侯の強に生まれ、或いは大士夫の家に生まれ、或いは農工商賈の賎に生まるるも皆命なり。或いは男と為り女と為り、賢と為り愚と為り、強と為り弱と為るも亦命なり。其の天子に生まれませば則ち四海を保たせたまふ、是れ分なり。其の諸侯に生まれませば則ち封国を有つ、是れ分なり。其の大士夫に生まるれば則ち禄俸を有つ、是れ分なり。其の農工商賈に生まるれば則ち田畝を有ち職業を有つ、是れ分なり。其の男にして娶り、女にして嫁り、賢強にして率へ、愚弱にして従ふも、亦是れ分に非ざるもの莫し。天子の命を奉じたまひて四海の分を守らせられ、以て天下を平らかにしたまふ。諸侯の命を奉じ封国の分を守り、以て其の国を治め、大士夫の命を奉じ禄俸の分を守り、以て其の家を斎へ、農工商賈の命を奉じ田畝職業の分を守り、以て其の身を脩め、男女愚賢強弱の命を奉じ嫁娶率従の分を守り、以て各々其の生を遂ぐ、是れ人倫の道なり。蓋し天地既に判れて、而して尊卑変らず、覆載易らず、日月運行し、一寒一暑し、万物を生滅して而して息まざるもの、乾は健にして坤は順に、天地も亦其の命分を失はざるものなり。是の故に、凡そ両間に在る者は、草木虫魚禽獣と雖もその命分に随いて生息せざるを得ず。況んや人倫たるもの、焉んぞ其の命に随ひて其の分を守らざる可けんや。

 第二 分度(上)
 天地既に命分有り。人倫も亦命分有り。是れ固より天理必至の符、一定して易ふ可からざものなり。夫れ其の命に循ひ其の分を守るは人道の本なり。分を守るに道あり。度を立つる是れなり。度を立つるに道あり。節制是れなり。凡そ国用を制する、一載の入を四分して其の三を用ひ、其の一を余し以て儲蓄と為す。其の三を用ふるに道有り。均しく分かちて十二と為し一月の用度を得、又分かちて三十と為し一日の用度を得るなり。其の節制する所の天禄度数、決して易ふ可からざるは亦た天地自然の命分なり。夫れ天地の草木を生ずるや、春之を生じ夏之を長じ、秋之を収めて冬之を蔵す。蓋し春生じ夏長じ秋収めるは三時を用ふるなり。冬蔵すは一時を蓄ふるなり。天地何ぞ三時を用ひ一時を蓄ふるや。蓄へざれば則ち復た生ずる能はざればなり。然らば則ち三を用ひ一を蓄ふるは天地の道なり。聖人之に法り、四分の制度を設け、其の三を用ひ其の一を蓄ふ、故に三年にして一年の儲蓄を生じ、九年にして三年の儲蓄を生じ、三十年の通を以て九年の貯蓄を生ず。国九年の儲蓄有り、而る後に凶旱水溢有りと雖も、民菜色無きなり。夫れ、天に水旱饑荒の災有り、地に震崩決溢の妖有り。人に寇盗乱賊の害有り。是れ皆国家不慮の患なり。必ずしも歳ごとに有らずと雖も、而も数歳の間必ず作る。この時に当りてや、事小なれば則ち一年の積を用ひ、大なれば則ち三年の積を用ふ。若し幸ひにして其の患無きも亦た軍旅征役、国家時に有り。苟も府に儲あり、廩に畜有るに非ざれば何を以て其の費に供せん。若し以て其の費に供する無ければ、則ち必ず諸れを民に取る。是れ暴歛の始めなり。暴歛して而も足らざれば、則ち必ず諸れを人に假る。是れ假貸の始めなり。夫れ暴歛は流氓の為に租額を減じ、假貸は利臝の為に租額を減ず。祖額内に減じて災害外に来たらば、則ち国用愈よ足らず、国用愈よ足らざれば則ち假貸愈よ生ず。国用愈よ不足し、假貸愈よ生ずれば、則ち何を以てその負債を償ふ可けんや。負債償はざれば、則ち利臝啻に倍蓰するのみならず。其の極は数歳の入を尽くすとも亦償ふ可からず。夫れ是の如くんば、則ち士民有りと雖も而も畜有る可らからず、仁義有りと雖も行ふ可からず、邦家有りて而も保つ可からず、城郭有りて而も畜有る可からず、仁義有りと雖も行ふ可からず、邦家有りて而も保つ可からず、城郭有りて而も守る可からず。此れ邦君諸侯の名有りて而も其の実無きなり。故に曰く、国に九年の畜無きを不足と曰ひ、六年の畜無きを急と曰ひ、三年の畜無きを、国其の国に非ずと曰ふなりと。豈に危殆ならずや。聖人斯に見る有り、王制の法を立て、予め不慮に備ふ。乃ち管子の論ずる所にして、千古不易、確固として、抜く可からざるものなり。国家を保つ者、庸ぞ其の命分に循ひて其の制度を守らざる可けんや。

 第三 分度(中)
 夫れ分度は人道の本にして、勤怠倹奢譲奪貧富盛衰治乱存亡の由りて生ずる所なり。其の分に循ひて其の度を守る、之を勤と謂ふ。其の度を約して有余を生ぜしむ、之を倹と謂ふ。有余以て諸れを他に及ぼす、之を譲と謂ふ。勤にして倹、倹にして譲、之を富盛と謂ふ。国家富盛を得れば則ち治まる。治まれば則ち存す。其の分に循ひて其の度を守らざる、之を怠と謂ふ。其の度を越えて不足を生ず、之を奢と謂ふ。不足以て諸れを他に取る、之を奪と謂ふ。怠にして奢、奢にして奪、之を衰貧と謂ふ。国家衰貧を得れば則ち乱る。乱るれば則ち亡ぶ。此れに由りて之を観れば、国家の治乱存亡は貧富盛衰に在り。貧富盛衰は勤怠倹奢に在り。勤怠倹奢は分度に生ずるなり。蓋し勤怠倹奢の人身に於けるは猶ほ四時錯行の如く、治乱盛衰の国家に於けるは猶ほ寒暑往来の如くなり。夫れ春生じて夏長じ、秋収めて冬蔵するは四時の循環なり。貧困極まって勤倹生じ、勤倹積んで富優至り、富優溢れて奢怠生じ、奢怠流れて貧困に復るは、人身の循環なり。寒往けば則ち暑来たり、暑往けば則ち寒来たり、盛治極むれば則ち衰乱生じ、衰乱極むれば則ち盛治に反る。四時の錯行に因りて寒暑を為し、勤怠倹奢に因りて治乱盛衰を為すは、天運自然の道なり。故に治乱盛衰は循環して止まざるなり。然らば治乱盛衰は終に免る可からざるものか。曰く、循環自然は天の道にして自ら強めて之を保つは人の道なり。天道に委すれば治乱盛衰の循環すること猶ほ寒暑速やかに至るが如く、人道に循はば則ち盛富を保ち衰貧の患ひ無し。何をか人道と謂ふ。中庸の分度是れなり。何をか中庸の分度と謂ふ。既往の天録を繹ね、数十年の通を以て盛衰貧富を均しふし、其の中を執り以て分度を立つるなり。蓋し盛衰貧富は中に非ず。故に人民盛治富優に逢はば則ち奢怠に溺れ、衰乱貧困に逢はば則ち飢寒に苦しむこと、猶ほ人身寒暑二節に逢はば寒熱二気に苦しむが如きなり。寒暑盛衰は一なり。其の一たび分かれて偏を為す。偏なるが故に寒暑盛衰有り。偏有るものは必ず中有り。寒暑を均しふして春秋二分の節を得。人身此の節に逢ふや則ち安し。盛衰貧富を均しふして中庸の分度を得。国家中庸の分度を守らば、則ち治まる。何ぞや、中は正道にして庸は定理なればなり。其の定理を弁へて其の正道を守る。故に勤倹にして労苦に至らず、逸楽にして奢怠に至らず、国家永く衰貧乱亡の患無きなり。然らば則ち寒暑往来し四時循環するは天道にして、中庸の分度を守り自ら強めて息まざるは人道なり。ああ、寒暑往来の地に生まれ、盛衰循環の世に処する者、豈に其の道に由らざるを得んや。


 第四 分度(下)
 道は聖人の生民の為に立つる所なり。これを江都より京師に至るの大路に譬ふれば、江都を出て京師に至る者は必ず焉れに由らざるを得ず。苟も之に由れば則ち山川百里を跋履して京師に至るや甚だ易し。若し夫れ大路無ければ則ち数里と雖も行く可からざるは何ぞや。嶮岨谿谷江河有ればなり。即ち壮者猶ほ然り、況んや老弱瞽躄をや、数歩にして且つ行く可からず。況んや百里を歴て京師に至る可けんや。聖人之を憂ひたまふ有りて、其の嶮岨に於けるや之を回らし、其の江河に於けるや之に橋つくり、之に舟わたし、以て大路を開き、以て行旅を導きたまへり。苟も大路に由らば、則ち壮者は論ずる無く、老弱瞽躄と雖も晏然として来往し、甚だ易ふして難きこと無きなり。夫れ人生は食するに非ざれば則ち生を養ふこと能はず、衣するに非ざれば則ち寒を禦ぐこと能はず、家屋あるに非ざれば則ち風雨雪霜を庇ふこと能はざるなり。蓋し上世人道未だ立たざるときは禽獣と行を同じふし、鳥獣を食と為し、羽皮を衣となし、巣窟を家と為し、僅かに飢寒を免れ風雨を庇ふと雖も、然も奔走辛苦して一朝の寧きこと無かりき。若し夫れ風雨に逢ふときは則ち食を得ず、疾病に嬰るときは則ち食を得ず、老ひて勤動すること能はざるときは則ち食を得ず、強暴なる者は柔弱る者を脅かし、奸知なるものは愚蒙なる者を欺くなり。是の故に愚なる者は愚ゆえに斃れ、弱き者は弱きゆえに斃れ、疾ある者は疾ゆえに死し、老ゆる者は老ゆえに死して、其の天年を全ふするを得ざりき。聖人之を憂へたまふ有りて、稼穡の道を立てて以て五穀を樹芸せしめ、工匠の道を立てて以て家屋を造らしめ、蠶織の道を立てて以て衣服を製らしめたまへり。衣食居の道一たび立ちて生民始めて安息することを得たり。然り而して飽食暖衣、逸居して教無ければ則ち禽獣たるに近し。聖人又た之を憂ひたまふ有りて、五教を布きて以て人倫を明らかにしたまへり。礼以て驕怠を防ぎ、楽以て労倦を𢠢し、刑以て凶悪を懲らし、政以て四海を一にし、武以て四夷を威し、文以て仁沢を施したまひ、生民を安んずる所以の道至れり。此の道一たび立ちて、国家は治安し、鰥寡孤独廃疾の者と雖も、其の生養を安じ、其の天年を終はるを得たり。嗟乎、聖人の民の為に慮りたまふ所以のもの至れり、民の為に立てたまふ所以の道尽きたり。然り而して其の迹を観れば、則ち千緒万端にして統括する所無きが如くなれども、而して其の本を極むれば則ち一に教養に帰す。而して教養の道は分度に在るのみなり。上は王侯従より下は庶人に至るまで、各々其の天禄に因りて、春秋四分し、三百有六旬以て之を節制し、其の分を謹み其の度を守るなり。蓋し生養持盈の道は、之を舎きて他に道有ること無し。其れ期年は元日より徐日に至ること、猶ほ江都より京師に至る如く、苟も分度の道に循はば則ち安泰なり。若し夫の道に乖けば、則ち一日些数を踰越するも亦た一月必ず数日の不足を生じ、一年必ず数月の不足を生ず。一世必ず数年の不足を生ず。若し数年の不足を生じなば則ち何を以て其の家国を保たん。人の一世に於けるも亦然り。三十年の久しきには必ず天災饑饉水火寇賊の患害あり。此の時に当たるや、四分の一の儲畜無くんば何を以て其の費に供せん。苟も分度の道に循はば、則ち此の患害に遇ひて而も生養を全ふするは猶ほ江河に臨めるときに舟筏橋梁有るがごときなり。吁。分度の道を舎てて由らず、奢怠危亡に陥るは、亦た猶ほ大路を舎てて盲進するがごときなり。豈に嶮岨に顛れ谿谷に陥り江河に溺れざる者有らんや。是れに由りて之を観れば、分度の人道に於けるは猶ほ家屋の基趾に於けるがごときなり。基趾定まつて而る後家屋構ふ可し。分度立ちて而る後礼楽刑政も行はる可く、孝弟忠信為す可し。孝子有りて父母を養ふに、分度を守らば則ち孝なり。分度を失はば則ち日に三牲の養を用ふと雖も、亦以て孝と為すに足らず。何ぞや、分度を失はば則ち其の家を亡ぼす、其の家を亡ぼせば則ち孝道何くにか在る。嗚呼、分度たるは我が道の本原なり。

 第五 盛衰
 盛衰の理は天の寒暑に於けるが若しと曰ふと雖も、未だ嘗て分度の守失に因らざるもの非ざるなり。分を守れば則ち盛り、分を失へば則ち衰ふること、固より必然の理なり。夫れ国君にして分を守るときは則ち倹譲行はれ、倹譲行はるときは則ち国用余り有り、国用余り有るときは則ち仁沢民に下り、仁沢民に下るときは則ち民農に務め、民農に務むるときは則ち米粟水火の如し。米粟水火の如くんば而して民飢へず、寒からず。君益々分を守りて以て仁沢を布き、民益々農を努めて以て其の徳に報ゆ。則ち君の民を愛すること赤子の如く、民の君を親しむこと父母の如く、君臣相和して国家治まる。聖人は上を損して下に益するを以て益と為し、天気降り地気の騰るを以て泰と為す。天下の盛衰、豈に此れに加ふるもの有らんや。国君にして分を失ふときは則ち国用節せらるる無く、国用節せらるる無きときは則ち民に取りて度あること無く、民に取りて度無きときは則ち民手足を措くに所無し。聖人は下を損して上に益するを以て損と為し、天気の上がり地気の下るを以て否と為す。国家の衰替、此れより大なるは莫し。夫れ民の稼穡に於けるや、盛夏厳冬に暴露し、暑熱寒凍を避けず、耕耘穫蔵、樵薪徭役、修歳勤苦して暫くも休息することを得ざるなり。嗚呼、辛苦艱難を竭尽して得る所の粟、暴歛の奪ふ所と為らば、年豊かなりと雖も糟糖も腹に満つるに足らず、敝衣も膚を敝ふに足らず、仰いでは以て父母を養ふに足らず、俯しては以て妻子を畜ふに足らず、年凶なれば則ち死亡を免れず、老弱は溝壑に転び、壮者は四方に散り、餓孳累々として塗に盈つ。嗟乎、人生の痛感焉れより甚だしきもの有らんや。君臣は一なり。譬えば一木の若き然り、根幹互養して一木全し、一枝有るものは必ず一根有り、十葉有るものは必ず十根有り、未だ其の根無くして其の枝有るもの有らざるなり。故に一根を伐れば則ち心穂必ず凋む、全根を断てば則ち幹根共に枯る。民は根なり、君は幹にして臣は枝葉なり。故に民盛んなれば、則ち君臣随って盛んにして、民衰ふれば、則ち君臣必ず衰ふ。一民流亡せば則ち一民の田蕪れ、一民の田蕪れば則ち一民の租失はれ、一民の租失はれば則ち君其の弊を受くるなり。百民を亡へば則ち一邑の田蕪れて一邑の租失はれ、千民を亡へば則ち一郡の田蕪れて一郡の租失はれ、万民を亡へば則ち一国の田蕪れて一国の租失はる。一国の民を亡し一国の租を失ふときは則ち君臣独り存す可けんや。叔世の君臣、慮ひ此に及ぶこと能はず、君は分を失ひて奢侈に流れ、臣は聚斂して其の奢を益す。奢侈聚斂一たび行はれば則ち虐政至らざる所莫し。虐政行われて民流亡す。民流亡して田荒蕪す。田荒蕪して租税失はる。租税失はれて仮貸生ず。仮貸生じて利息益す。利息益して還す能はざれば則ち其の極は一歳の入を尽すも亦焉れを償ふ可からざるに至る。内には則ち国民を失ひて租税取る所無く、外には則ち負債償はれずして仮貸の道塞がる。嗚呼、国の急も亦た極まる。分度の守失に因りて盛衰興亡を為すもの、昭然として明らかならずや。是れに由りて之を観るに、分を守りて以て国を興し、分を失ひて以て国を亡ぼすは必然の理なり。故に分を失はば則ち君賢なりと雖も其の盛を保つ能はず、分を守らば則ち君不肖なりと雖も其の衰を興す可し。夫れ其の衰を挙げんと欲して而も其の法を得ざるは、是れ猶ほ水を底無きの桶に汲むが如く、力を用ふること至れりと雖も而も功を成すこと能はず。聚斂して以て其の廃を興さんと欲するは、猶ほ其の根を断ちて而も枝葉の盛を求むるが如きなり。曰く、然らば則ち其の衰を挙げ其の廃を興さんと欲する者、将に何をか先とするや。曰く、明らかに其の天命を弁へ、慎みて其の分度を守ると。


 第六 興復(上)
 興復の道は分度を立つるより先なるは莫し。分度を立つるの要は命分を弁ずるに在り。何をか分と謂ふ。四海は天子の分なり。報国は諸侯の分なり、禄俸は大士夫の分なり。田畝は庶民の分なり。何をか命と謂ふ。天子の四隩に於けるや、蒼々たる四海は人力の増益する所に非ざるなり。諸侯の封内に於けるも亦然り。天分の海内を班ちて焉れを有つ。大士夫の禄俸に於けるも亦然り。報国の天分に随ひ一邑の天分に因りて賦す。天子より庶人に至るまで、大小各々其の天に得る所のもの已に定まる、豈に人力を以て之を移易す可けんや。然り而して天下国家の用度。皆其の分内に出で、外に求むる所莫きなり。然らば則ち天子焉ぞ天分の海内を不足と為し、渺々たる蒼海を渉りて以て之れを異域に求む可けんや。諸侯の封内に於けるは、猶ほ天子の四隩に於けるが如きなり。四境の外、以て蒼海大洋と為さば、則ち豈に又た之を隣国に求む可けんや。然らば則ち天子は諸れを海内に求め、諸侯は諸れを封内に求め、以て其の用途を制す可きは固より必然の理なり。夫れ其の天命を明らかにし、其の天分を弁へ、然る後平均の分度を立つ。何をか平均と謂ふ。年に豊耗有り、吏に仁暴有り。祖額随ひて過は不及を為す。故に一年の租額を以て法と為す可からざるなり。既往の十年、若しくは二十年、若しく三十年の租額を通計して以て之を平均せば、則ち豊と暴との過、耗と仁との不及、悉く平均に帰し、以て中正自然の数を得るなり。此れ既往過来する所は即ち衰時の命分、定然として易ふ可からざるものなり。而して其の分内に於て、負債の出す所と為る子金を除き、以て其の国用を節制し、其の分度を謹守す。是れ国家興復の根元なり。国家興復の分度に於けるや、猶ほ地炉の布褥に於ける、水桶の篾箍に於けるが如きなり。布褥の掩覆して地炉は暖かく、篾箍の堅固にして桶水は満ち、分度の確立して国家は興復す。夫れ其の分度を確立して然る後、神聖の道に循ひて荒蕪を墾き負債を償ふ。何をか神聖の道と謂ふ。天開闢けたるときは茅茅たる葦原なり。天神聖を降したまひ、茅葦を墾きて以て国を建てしめたまへり。其の用度は天より降れるに非ず、地に涌けるに非ず、之を異域に求めたるに非ず。茅葦を墾きて以て田畝と為し、其の田畝を耕して米粟を生じ、其の米粟を得て以て推譲したるのみなり。惟だ土徳と推譲とを以て、茅葦変じて豊足富饒の国と為りしなり。是の故に一両金を出して荒蕪一段を墾くときは則ち産粟二石を得。其の半ばを食ひて其の半ばを譲り、以て開墾の資と為し、循環して止まざれば、則ち一周度の積、開田二十四億五千四十八万二千二百五十三町を得るなり。一両金を出して以て負債一両を償ふときは則ち利永二百文を得。其の利永を留めて以て償贖の資と為して循環止まざれば、則ち一周度の積、五万六千三百四十七両に至るなり。細微を積みて而も巨大を致すこと、其の資は僅かに二金のみ。荒蕪は荒蕪の力を以て墾き、負債は負債の費を以て焉を償ふ。是れを神聖の道と謂ふ。苟も此の道に循はば則ち幾億万の荒蕪も焉を墾き尽す可く、幾億万の負債も焉を償ひ尽す可し。荒蕪墾き尽して而る後一国の産粟全く、負債償ひ尽して而る後一国の租額全し。一国の産粟全く一国の租額全くして、而る後、国其の国に復す。是れを之れ、興復の道と謂ふなり。

 第七 興復(中)
 国家の安危は下民の栄枯に在り。下民の栄枯は租税の軽重に在り。租税軽ければ則ち民栄へ、民栄へれば則ち国家安し。租税重ければ則ち民枯る。民枯れれば則ち国家危ふし。蓋し租税の法、国朝王代は二十に一を取り、漢土三代は九に一を取る。後世暴君汙吏代はる代はる出て聚斂を以て務めと為し、或いは四公にして六民、或いは五公にして五民、租税の重きも亦極まる。然りと雖も古人の地を量るや尚ほ古法の存する有り。其の土厚肥なるときは則ち田狭くして租重く、其の地薄瘠なるときは則ち田広くして租軽きは何ぞや、土の厚肥なるときは耕して利多く、地の薄瘠なるときは耕して利少なければなり。姦吏猾胥にして之を察すること能はざるときは、民の栄枯を問はず、地の肥瘠を論ぜず耕して利則ち、惟だ其の広狭を見て、広きは以て遺利と為し、其の田畝を量りて広を縮めて狭と為し、軽きを益して重と為す。一旦国広きを加へ、多きを加ふるに似たりと雖も、而も其の民必ず流亡して田畝日々に蕪れ、租税年々に欠く。是れ国家常に衰廃して止まざる所以なり。今且く万石の国を挙げて其の盛衰を観るに、聚斂附益の盛時に当たり五千石を増せば、則ち荒蕪逋欠の衰時に及び五千石を減ず。外に増すものは必ず内に減ず。何となれば則ち租法中を失して盛衰増減を為すなり。故に其の衰を挙げ其の廃を興す、宜しく其の盛衰の租法を精究し、以て終はりを其の始めに尽すべきなり。若し夫れ租法を其の始めに精究せず、興復の後に至りて盛時の重税に復すときは、則ち再び衰廃に陥ること猶ほ手を反すが如し。一興一廃して永く保つ能はざれば、則ち曷ぞ始めに之を挙げざるの愈れりと為すに如かんや。然らば則ち之を為すこと如何にすべき。曰く、其の衰を挙げ其の廃を興さんと欲する者は、必ず先づ国家の分度と郡邑の租法とを制定し、以て万世不易の規則を立つ。此れ所謂終はりを其の始めに尽すなり。蓋し分度を制し、租法を定めて而も之が中庸を得ざるときは、則ち以て法と為すに足らざるなり。不偏、之を中と謂ひ、不易、之を庸と謂ふ。不偏は万邦に通じ、不易は古今を兼ぬ。古今万邦に通行し、万世不易の法と為るは、自然の中を執るが故なり。天地万物自然の中を存せざるもの莫し。時気の寒暑を為し、昼夜の長短を為すと雖も、而も自づから春秋二分の中有るなり。蓋し人の生るるや、父母陰陽の二気に成り、身体自づから寒熱水火の中を為す。故に寒暑に苦しみて、春秋二分の節に安んずるなり。国家の盛衰に於けるも亦た然り。聚斂附益の盛時に当りては、則ち君奢りて而も民苦しみ、荒蕪逋欠の衰時に当りては、則ち君窮して民怠る。故に盛衰の租額を平均すれば、則ち中正自然の数を得るなり。中正自然の数を執り、上は国家の分度と為し、下は郡邑の租法と為さば、則ち盛奢の憂ひなく、民に衰退の患ひなし。語に曰く、始め有り卒り有る者、其れ惟だ聖人かと。匹夫の長木を伐る、尚ほ其の仆るる処を見る。況んや国家の衰廃を挙ぐる者、安んぞ万世の後を慮つて而して不易の法を立てざる可けんや。

 第八 興復(下)
 分度立ちて貢法定まり、然る後興復の実業に従事す。其の之を施すや序次有り。先づ封内の一邑より始む。其の之を行ふや道有り。曰く、善を賞するなり。窮を賑はすなり。地力を尽すなり。教化を布くなり。儲蓄を恃するなり。夫れ投票を以て孝弟力農、衆に出づる者を挙げ、給するに賞金及び農器を以てし、大いに之を表旌し、以て一邑の模範と為す。是れ善を賞する所以なり。貧民及び癘疫水火の菑に罹る者も、亦た投票を以て之を挙げ、米粟を給し以て枵腹を療し、或いは破屋を補葺し以て風雨を庇ひ、或いは馬舎及び糞舎を造り、且つ農糧籽種及び馬匹を賑貸し以て農力を裨け、或いは清債法を授け其の利息を留め以て家道を復す。是れ窮を賑はす所以なり。陂塘を築き溝渠を鑿ち以て水利を通じ、経路を造り橋梁を架し以て通路を便にし、荒蕪を墾き竹木を植ゑ、以て廃地を無からしむ。是れ地力を尽くす所以なり。田●(シュン)鶏鳴きて起き、寒暑と無く、風雨と無く、日に順行を為し以て早起きを導き、或いは索綯日課の法を示し以て怠惰を振作し、或いは善を勧め悪を戒め、孝弟忠信を教へ、人倫推譲の道を諭し、以て風を移し俗を易ふ。是れ教化を布く所以なり。日々に索綯を課し以て余力を積み、及び余財を貧者に推すの類、各々その倍額を給し以て義倉の資と為す。或いは戸口を計りて貯粟を給し以て饑饉に備ふ。是れ儲蓄を恃する所以なり。其れ是くの如きか、善者は益々富優を得、惰農は作つて力田と為り、残暴は化して篤行と為り、荒蕪墾けて田野治まり、野燹絶えて山林繁茂し、邑に破屋壊室無く、馬舎糞舎並び建ちて各々馬匹を蓄へ、戸足り人給し、孝弟友愛にして貧富互ひに譲り、一邑輯睦して善良の俗成る。是に於てか一邑興復す。乃ち一邑興復の成法を挙げて、以て之を二邑に措き、二邑従り以て三邑に及ぼし、三邑従りして十百千邑に及ぼす。是に於てか一国興復す。此れを之れ、興復の業と謂ふなり。

 第九 勧課
 衰邑を興すには必ず懶惰を作す。懶惰を作すに索縄日課の法を以てす。此の法は細民の情偽を試み、里正の邪正を察し、小を積みて大を為すの道を示すものなり。何をか細民の情偽を試むと謂ふ。衰邑の民は懶惰放逸にして、偶々興復の法を乞ふも亦た唯だ一時の沢を求むるのみにして、全邑復古の実に於けるや漠然たり。家や邑や、廃れたるを挙げ衰へたるを興すこと、其の業固より大なり。未だ其の実無くして其の効ある者は有らざるなり。蓋し富なるものは外より来るに有らざるなり。其の内に生ずるや、猶ほ人身の元気有るがごときなり。厳冬に衣を襲ねて煖かなるは衣の煖なるに非ずして、煖かなるものは身中の元気に生ずるなり。若し死身にして元気無くんば則ち数衣を襲ぬるとも亦冷たし。故に懶惰放逸にして勉励の心無き者は、恩沢を与ふと雖も、その家必ず服す可からず。豈に其の家を復せざるに止まるのみならんや。恩を受けて恩に答ふるの心無ければ、則ち却つて為に斃るるに至る。之を疲馬の負担に辟ふるに、其の力を量らずして漫りに其の任を重くせば、則ち斃れざるもの希なり。故に各家に索縄を課し、其の誠意を在る所を観て、以て成否の根基を察す。嗟乎、索縄は至易の業なり。苟も此を以て念と為さば則ち隻身の者と雖も炊次猶能くす可きなり。児女輩も亦為す可きなり。其の至易なること是くの如きにして尚ほ勉励の心無きときは、則ち何を以てか其の家を復し其の邑を興さんや。何をか里正の邪正を察すと謂ふ。匹夫匹婦すら各々心在り。其の心を得ざれば、則ち汙俗を変じ惰風を興す可からず。必ずや誠心を細民の腹中に措きて、而る後其の心を得る可きなり。若し私を銭穀会計に差し挟み、或いは処置するに法を偸み、或いは非理にして之を使役せば、則ち細民陽に其の非を言はずとも、陰に疾病事故と称して、以て日課を廃すこと猶ほ影響の形声に出づるが如し。以て里正の邪正を察す可きなり。何をか小を積みて大と為すと謂ふ。夫れ人道は小を積むを尊しと為す。何となれば小は即ち大の本にして、未だ始めより小ならずして忽然として大を為すもの有らざるなり。凌雲の木も二葉に生じ、九仭の山も一簀に起こり、千金の富も貧困に出づ。然るに徒らに巨大を望みて而して細行を怠るは小人の痛患なり。況んや数尋の索、固より為すに足らずと為し、為すも亦た値数銭の微にして、以て用を為すに足らずと為すは何ぞや。散じて集めざればなり。米粟の尊きも、粒散するときは則ち鳥雀の餌に充つるに過ぎず。集めては以て合升と為り、斗斛と為り、苟んでは以て養命の功を全ふす。索縄も亦た然り。合すれば則ち以て家を復し邑を興すに足る。故に索縄法を授け、其の得失を算じて以て之を暁諭す。百家の邑、毎戸一日一房を索縄するときは、則ち周年の積、三万六千房を得べし。房ごとに値五銭を以て之を計るに、則ち百八十七貫文なり。若し五房を綯ふときは、則ち十八万房、値九百三十七貫文を得べし。是れ分外より有余を生ずること、天より降り地に涌くが若きなり。周年の責にして尚ほ斯くの如し。況んや積年に於てをや。若し夫れ懶惰にして日を度り、人ごとに其の課を廃するときは、則ち九百三十七貫文を失ふ。是れ分内に就きて不足を生ずるなり。勤倹なれば則ち有余を分外に得、怠奢なれば則ち不足を分内に生ず、怠勤奢倹の得失斯くの如し。豈に戒めて勉めざる可けんや。然り而して民一房を綯へば則ち一房を給し、二房を綯へば二房を給し、十百千房に及ぶも亦た各々其の数を給し、以て其の勤労を補ふ。是れ猶ほ太陽の草木を照らす、一葉を生ずれば則ち一葉を照らし、十葉を生ずれば則ち十葉を照らし、百千万葉に及ぶも亦照らさざる莫きが如きなり。太陽の其の芽葉を照らし、草木発茂し、仁沢其の勤労を補ひて民心興起すること自然の理なり。若し夫れ仁沢の其の勤労を補ふこと無ければ則ち諭す所の索縄法、唯民嘲を招くのみ。夫れ唯だ其の勤労を補ふ。故に里正伍保自づから誠信に止まり、細民各々懶惰を戒め、終ひに大小貧富一様に力を戮せて制を守らば、衰邑も必ず故業に復するに至るや、亦自然の勢ひなり。

 第十 挙直(上)
 廃国・衰邑を興すの道は、直きを挙げて、枉れるを錯くにあり。直きを挙るに投票を以てするは則ち自ら用ひずして諸れを人に執るものなり。苟も自ら用ひば、則ち大業を得て成す可からず。廃れたるを挙げ、衰へたるを興すは大業なり。故に一村を挙ぐる自り、以て善を賞し窮を恤み屋を蓋き室を造るに至るまで、皆投票を用ふるなり。且つ夫れ廃れたるを挙げ衰へたるを興すに必ず仁術を施す。民の仁術を慕ふこと、猶ほ大旱の雲霓を望むが如きなり。成湯の征伐するや、東面すれば則ち西夷怨み、南面すれば則ち北狄怨む。封内の民の仁術を慕ふも亦た然り。然して一邑を数百邑中に抜くこと、豈に一人の見聞の能く及ぶ所ならんや。故に投票を以て孝弟力農なること封内に出づるの邑を挙げて以て仁術を布けば、則ち封内の民、仁術に沐せんと欲するなり。相ひ率ゐて精励に赴かんこと、譬へば一折の薪を一束薪中に撃つては、即ち一束薪中に厳粛を加ふるが如きなり。是くの如くなれば、則ち其の仁術を施すこと未だ半ばに及ばずして而も全国興復す。是れ自然の勢ひなり。之を米に舂くに譬ふれば、一処を舂きて怠らざれば、則ち米粒杵を受くると否と悉く精粲に帰するが如し。投票は杵なり、邑民は米なり。一意黽勉、投票を以て的と為し、歳々善者を挙げ以て之を賞す。是れ大業を成すの要道なり。曰く、邦君民を仁すれば須らく徧く恵沢を布くべし、何ぞ其れ之を一邑に施すやと。曰く、封内に徧く恵沢を布くは、是れ水旱飢疫を済ふの術にして廃れたるを挙げ衰へたるを興すの法に非ざるなり。夫れ衰邑の民為るや、生業を勧めず、怠惰放逸至らざる所無し。故に其の衰へたるを挙げんと欲する者は必ず先づ怠惰を作す。怠惰を作すの術は挙直錯枉に在り。乃ち孝弟力田して衆に越ゆる者を挙げ、褒賞を与へて之を表旌し、以て一邑の模範と為せば、則ち怠惰変じて勤倹の民と為るは此れ理の必然なり。今、百家の邑有り、其の四十九家は勤倹富優にして、其の五十一家怠惰貧困なるときは、則ち貧を恥とせず。人情恥を知らざるは則ち無状にして至らざるは莫し。若し夫れ其の五十一家は勤倹富優にして、其の四十九家怠惰貧困なるときは、則ち貧を恥とす。人心恥を知らば則ち以て善に赴く可し。夫れ一邑中、貧しき者の富める者に勝りしならんには則ち貧に傾き、富める者の貧しき者に勝りしならんには則ち富に傾くこと、譬へば権衡の如く然り。左の重きこと一厘なりしには則ち左に傾き、右の重きこと一厘なろいしには則ち右に傾き、二厘三厘と愈々重からんには則ち其の傾きや愈々多し。是れ又必然の理なり。故に勤倹を賞して怠惰を作し、富める者をして貧しき者に勝り、貧しき者をして恥を知らしむるは、廃れたるを挙げ衰へたるを興すの道なり。若し夫れ徧く恵沢を封内に布くことは、大いに倉廩府庫を発くも、亦た一戸受くる所は僅々たる零数のみにして、何ぞ以て廃国を挙げ衰邑を興すに足らんや。独り仁君の声有りと雖も、而も興国安民の実効を奏するに至らざらんや。蓋し大いに倉廩府庫を発くは、富国猶ほ難しと為す、況んや廃国に於てをや。故に先づ之を施すに一邑従りするときは、則ち度外の財未だ多からずと雖も、然も以て徧く仁術を布くに足るなり。一邑成りて而して二邑に及ぼし、二邑従りして三邑に及ぼさば、則ち一邑の成る毎とに輙ち度外の財を益す。故に其の成功尤も速やかなり。嗚呼、直きを挙げて枉れるを錯き、一従りして而も万に至る、是れ廃国を挙げ衰邑を興すの道なり。


 第十一 挙直(下)
 衰邑の民為るや、必ず本業を怠り末作に走り、遊惰に甘んじて飲博を事とす。而も姦猾なるもの之が邑長と為り、偶々淳朴にして業を勤むる者有らば、則ち之に目して頑愚と為し、遊惰の奸民熾んにして勤倹の良民衰へ、良奸勤惰の顛倒錯乱すること猶ほ薄書の散じ小魚の混ずるがごときなり。薄書は散ずと雖も豈に表裏上下無からん、小魚は混ずと雖も何ぞ首尾背腹無からん、民心衰ふと雖も、安んぞ天賦の良心無からん。故に外簽を探り上下を索めて以て之を正さば則ち幾多の薄書と雖も方正に帰せざるは莫く、首尾を捜り背腹を覓めて以て之を正さば則ち幾多の小魚と雖も整斉の帰せざるは莫し。投票を以て良民を求めて以て之を挙ぐれば、則ち闔邑の民悉く善良に帰す可きなり。曰く、投票を以て良民を挙ぐるは如何にすべき。闔邑の民を会し之に諭して曰く、邦民の仁滋に出でて衰邑興復の法を降し、将に勤倹篤行の善者を挙げ以て褒賞を与へて家道永安の法を授けんとす。然りと雖も闔邑戸口の衆き、何を以てか其の勤惰得失を弁ずるを得んや。故に汝をして之を撰ばしむ。汝、誠心思慮して以て汝が知る所を挙げよ。親戚故旧を以て私意を生ずること勿れ。威強を懼るること勿れ、他と相ひ謀ること勿れと。諭し畢り而して投票の多寡を査して以て賞級を定め、給するに賞金及び農器を以てし、且つ高票者別に恩貸を行ひ、以て家道永安の資と為す。毎歳の歳末之を施行し、循環して止まず、闔邑洽く沢し、全然旧に復するを以て期と為すこと、猶ほ田畝を耕すに一耒に起こり、積んで以て成るがごとし。曰く、善を挙げ賞を与ふる、褒貶の繋がる所宜しく官撰以て之を挙ぐべし、何ぞ之を民に委ぬるや。水は湿へるに流れ、火は燥けるに就く。同声相ひ応じ、同気相ひ求め、善者は必ず善者を挙げ、不善者は必ず不善者を挙ぐ。不善者賞を得るの弊を起こすを恐るなりと。曰く、十室の邑、必ず忠信なるもの有り、小邑豈に善人無からんや、官其れ之を挙げんか。然れども是れ固より成徳の君子に非ず、庸中の佼々たる者のみ。其の気質たるや偏無きこと能はず、僻無きこと能はず。故に官之を挙ぐれば則ち民必ず其の偏僻を揚げて以て之を誹り、或いは以て諂諛と為し、或いは以て左袒と為す。如し其れ過有るときは則ち官も亦過ちて挙げたるの譏りを逸れず。是れ諸れを人に取らずして自ら用ふるの過ちなり、伝に曰く、舜問ふことを好みて、好みて邇言を察すと。是れ舜の大知為る所以なり。故に善者を撰ぶは投票を用ふるに若くは莫きなり。夫れ官吏偶々衰邑に臨みて善者を撰ばんに、何を以て徧く其の実を知ることを得ん。仮令、偶々其の実を得るも、焉んぞ邑民の固より之を熟知するに如かん。且つ不善者と雖も必ず善悪を弁ずるの良知有り。故に民をして之を撰ばしめば必ず当たるなり。伝に曰く、十目の視る所、十手の指す所、其れ厳なるかなと。十目十手の撰ぶ所は必ず差はず。若し夫れ私意を生じ、或いは親戚を指し、或いは恩人を挙げ、或いは朋友を撰ぶも、亦其の罪邑民に帰して、而して官吏は与からず。偶々以て民情を知るに足るなり。若し当票者、田畝を耨らざるか。則ち井地案行の日に当たりて投票者を召し、誡めて曰く、汝、何ぞ若くのごとき惰農を挙げて以て力田するものと為せるや、即ち汝の過なり。汝当に之に代はり、易りて耨り以て其の過を補ふべしと。機に随ひて訓戒を施さば、即ち民自ら罪を知りて過を改め、遊惰作りて精励と為り、姦猾化して善良に帰し、末作を捨てて本業を務め、郡飲博奕の弊銷じ、淳朴廉恥の風興る。是に於てか衰邑以て復せん。廃国以て興らん。

 第十二 開墾(上)
 国の国為る所以は田有るを以てなり。田の田為る所以は農有るを以てなり。故に農業盛んなれば則ち田墾け国富み、農業衰ふれば則ち田蕪れ国貧し。然り而して国に上下有り。地に肥瘠あり。上国は肥地にして常に富み、下国は瘠地にして常に貧し。其の故は何ぞや。肥地は利多く、瘠地は利少なし。利多ければ則ち民農を力む。民農を力むれば則ち土地荒蕪の患ひ有り。是れ下国瘠地の衰廃を免れざる所以なり。其の衰へたるを挙げ、其の廃れたるを興す。宜しく荒蕪を墾き以て地力を尽すべきなり。其の荒蕪を墾くや、先後得失有り。水田膏腴の近地を先きにし、白田瘠薄の遠地を後にす。水田は耕耘便にして、而して肥えば穫多く、白田は鋤耕に労して、而して瘠せれば穫少なし。耕耘に便にして穫多ければ則ち民利を得る。民利を得れば則ち土徳を知る。苟しくも土徳を知らば、則ち遠地瘠薄随ひて挙がる。鋤耕に労して穫少なければ、則ち民利を失ふ。民利を失はば、則ち土徳を忘る。苟も土徳を忘れば、則ち近地膏腴も亦随ひて廃る。其の先後を明らかにし、其の得失を弁じ、民をして之を墾かそいめ、給するに資糧を以てす。易地一段に金一両、或いは二両を給し、難地一反、三両より五両に至る、若し夫れ至難の地は宜しく数十金を給すべきなり。蓋し日月の照らす所、霜露の墜つる所、能く其の地力を尽さば、豈に五穀不生の地有らんや。若し夫れ五穀不生の地は以て竹木を種う可きなり。若し夫れ竹木不生の地は以て草場と為す可きなり。夫れ斯くの如くなれば、則ち国に廃蕪無く、山林暢茂し、百穀豊足す。是れ富国安民の道なり。曰く、至難の地を墾くに数十金を給すは、段田の産粟、数十歳を積むと雖も、而も入は出を償ふ可からず。然らば則ち何の益かあらん。豈に不墾の愈れるに如かんやと。曰く、国民は民の父母なり。父母の児を育つるや、誰か損益を論ぜん。父母為る者、皆其の児の長ずるを楽しみて、而して其の費を顧みず。国君の民を養ふ、安んぞ其の費を吝む可けんや。田なるものは生民の本なり。田無くんば則ち民何を以て生を為さん。故に闢荒新墾を論ずる無く、或いは客土を以て瘠土を変じて沃野と為し、或いは陂塘を築き溝渠を鑿ち以て水利を興す。凡そ民を利する所以のものは其の費を吝まず。苟も民に利あらば百金を一畔に擲つも亦た為す可きなり。譬へば銭貨の若き然り。一銭の鋳造、工費必ず数銭を用ゆ。是れ銭の至宝たる所以なり。若し夫れ一銭を費やして以て数銭の利を得ば、未だ以て至宝と為すに足らざるなり。則ち百金を擲つて其の租僅かに一金を得。国益焉れより大なる莫きは何ぞや。廃蕪瘠薄の甚だしき、国君の資糧を給するに非ざるよりは、終古開墾の期無ければなり。一旦之を墾いて以て良田と為し、民之を耕して以て穀粟を生ぜば、則ち民之を利して而も君も亦た其の利を受くこと、猶ほ児長ずれば則ち父母の奉養自づから其の中に存するがごときなり。豈に是れ国益至宝に非ざらんや。然りと雖も、国用度を失ひ、負債以て之を補ふことは断じて為す可からざるなり。何となれば、負債は償はざれば則ち利を生ずること極まり無し。産粟啻に本金を償ふ能はざるのみならず、以て其の利を還すに足らざればない。嗚呼、此れ我が道の分度を尊ぶ所以なるか。

 第十三 開墾(下)
 天下の利開墾より大なるは莫く、而して天下の患、荒蕪より甚だしきは莫し。夫れ田畝一段を蕪らすときは則ち粟二石を失し、一町を蕪らすときは二十石を失ふ。十町を蕪らすときは二百石を失ふ。二百石は即ち一日ニ万口の民食なり。之を墾きて耕すときは則ち二百石の粟を生じ以て二万の民命を活す。之を廃して蕪らすときは則ち就令百歳を経るも亦二百石の粟は土中に存せず、二百万の民命焉に繋がる。是れ豈に兵を用ひずして人を害ふものに非ずや。蕪田の大患たること是くの如し。荒蕪は其れ墾かざる可けんや。曰く、古往今来、原野の廃する所以は、生民の足らざる故なり。天の民を生ずる固より限り有り。従令開墾を欲するも耕民無きを如かんせんと。曰く、食を盂に盛れば則ち蠅必ず集まり、二盂に盛れば則ち二盂に集まり、三盂に盛れば則ち三盂に集まる。然して一盂を徹すれば則ち一盂の蠅去り、二盂を徹すれば則ち二盂の蠅去る。豈に一二盂のみに止まらんや。数十百盂と雖も亦た然り。食は本なり。蠅は末なり。故に食を置けば則ち無数の蠅集まり、食を徹すれば則ち散じて一蠅も存せず。生民も亦た然り。食有れば則ち戸口増し、食無ければ則ち戸口減ず。今田埜を開き以て食を足す。何ぞ耕民無きを憂へんや。曰く、生民の限り有ること之を器水に譬ふるに、器欹てば則ち左右増減を為す。然れども一器固より増減有ること無し。氓民を招き此を墾けば則ち彼を蕪らす。彼に増せば則ち此に減る。然らば則ち国に於て何の益か之有らんやと。此れ又た所謂る理を知る者に非るなり。夫れ国初生歯未だ嘗て繁庶ならざるや。神聖邦を造りたまひ、千酸万辛したまひて田埜漸く闢け、生歯何を以て繁きに之く。唯だ食に在るのみ。食は生歯の本なり。故に食余り有れば則ち生歯随ひて増し、食足らざれば則ち生歯随ひて減る。上国生歯の繁きは食余り有る故なり。下国戸口の乏しきは食足らざる故なり。夫れ食は土地に生ず。治平の久しき、天下駸々乎として奢風行はれ、民遊惰に流れて土徳を忘れ、本業を捨てて末作に奔る。是れ土地の荒蕪に帰する所以なり。今恩沢を布き遊惰を作して土徳を知らしむ。民苟も土徳を知りて南畝に勤めば、則ち一戸の一段を増耕する、豈に易易たらざらんや。一戸ごとに一段を増すを以て之を計らば、則ち百戸にして十町、千戸にして百町、万戸にして千町を得るなり。若し夫れ一戸ごとに二段を増さば則ち之に倍す。我が邑其の法に遵ひて、其の機を察し、開墾に従事し、期年闢く所五百町、一氓を納れず、一戸を増さずして農余力有り、且つ夫れ加越二州の如きは生歯極めて繁く、其の氓を招徠して新戸を立つる。未だ二州蕪れて丘墟と為るを聞かざるなり。則ち有余を以て不足に移す。国に於て何か有らん。之を器に盛るの水増倍すと為すも亦た可と謂はんか。嗚呼、国家を有つ者、分度を守り以て廃蕪を挙げ、資糧を給し以て田野を闢かしめば、則ち農業日に盛んにして菽粟水火の如し。若し菽粟水火の如し。若し菽粟をして水火の如くならしめば、則ち富国安民豈に道ふに足らんや、国君宜しく荒蕪の大患を除き、開墾の大利を興し、以て天下の生民を全活す可きなり。

 第十四 治水
 天下の利、米粟より大なるは莫し。米粟田に生ず。而して之を養ふは水なり。水善く田を養ひて而も淹潦決溢し、又た善く田を害す。利有れば則ち害之に従ふは自然の理なり。故に溝洫を開きて以て灌漑を為し、隄防を設けて以て水害を辟くる、天下の田皆な然り。夫れ水は都べて源を山間谿沢に発し、涓滴の水、然々会同し、遂に江河と為るなり。而して其の源を涵養するものは林樹に在るなり。故に山林暢茂して深樹蓊鬱たらば、則ち水気蒸騰して常に雲霧を催し、且つ薈蔚の山、神気旺盛、山沢気を通ひ、時に驟雨を降して水旱の患有ること無きなり。若し夫れ林樹を斬伐するときは、則ち地気変じて乾燥し、驟雨少なくして水は涸る。且つ土砂崩下して河底以て漸く高くして、霖毎に満溢し、輙ち田畝を害するの患有るなり。故に河源は論無く、河旁の山沢も厳に斧斤を禁ずるは固より邦家の常制なり。然るに治平の久しきや、法制陵夷して、唯だ漕運の便を利して肆に河旁の山沢を赭にす。是に於てか往々水旱の患を免れず、産粟は年に損せられて農民は日に窮まる。蓋し稲草の渇に傷つけらるるや、数日の渇、未だ葉色を変ずるに至らずと雖も、然も其の収穫に及ぶや、段田の粟は舂楡の間、忽ち米三斗若しくは五斗を耗らすに至る、如し段五斗を耗らすを以て之を計れば、則ち郡邑の積、損耗するところ頗る大なり。況んや国に於てをや。国何を以て衰廃せざるを得んや。曰く、河流固より自然なり。其の自然に随はば、則ち高きを辟けて卑きに就く、何ぞ人力を用ふるを為さん。仮令、洪漲して田畝を害するも、左に失ふときは則ち右に得、右に失ふときは左に得、何の損益か之有らんと。曰く国家の事業は悉く人功に成る。河流のみ独り脩めずして可ならんや。水は本と至柔、然れども相会すれば則ち其の勢悍猛にして砂礫を激流す。故に河に隄防有れば則ち中流して常に汙下す。若し夫れ隄防無ければ則ち其の洪漲するに当たるや、砂礫迸流し、水勢稍や微なるに及ぶや、唯だ水逝きて砂礫を残す。是に於てか水道常に定まらず、横流散漫して至らざる所無し。斯くの如くなれば則ち田野万頃、空しく不毛に帰す。且つ其の左右失得の説の若きは、則ち失ふ所は良田にして、而して得る所は磧礫、十数年を経るに非ざるよりは則ち復すること能はざるなり。叔世水害の為に田を失へるときは則ち止だ其の租を蠲くのみ。殊に五公の租を蠲くも亦た五民の食出づる所無きを知らざるなり。苟も隄防脩めずして水害の為に田を失へるときは、則ち五公の租を蠲きて五民の食を給すべきなり。何ぞや。独り田を失ひて而も民戸依然たればなり。曰く、堤を築くこと一尺ならんよりは河を浚ふこと一寸に如かず。如何やと。曰く、その説固より是なり。然りと雖も、廃国為す可からず。何となれば、則ち堤一尺を築くや易く、河一寸を浚ふや難し。それ堤一尺を築くには一郡の民を役す可く、河一寸を浚ふは一国の民を役するに非ざるよりは能はざるなり。凡そ河防の決するや尺寸の低処に潰ゆ。故に洪漲の時に当たり其の低処を認め、而して之を補はば、則ち民力を費やさずして以て水害を辟く可きなり。且つ夫れ深山幽谷に、年々杉桧を植ゑて以て種木と為すときは、則ち数年の後、其の子風の飛ばす所と為り、或いは雨の流す所と為りて、以て暢茂するを期す可きなり。山林暢茂し河防脩築し、而る後天下の田以て水旱の患を免る可きなり。嗟、夫れ田なるものは民命の係る所なり。民に田無ければ何を以てか生活せん。豈に民に止まるのみならんや。邦君と雖も亦た然り。蓋し邦君の富勢為るや、城郭を築き楼閣を造り、百官位を列ね、朝廷礼を盛んにし、及び後房内寝華麗を究極し、且つ三軍を擁して四彊に威たる、皆是れ黎民耕田の徳に頼らざるは莫し。苟も水旱の患を免れずして、米粟登らざるときは、則ち従へ帯甲百万有るとも遂に饑ゑて死せんのみ。邦君何を以て其の富勢を保たんや。昔在、大兎滔天の水を治めて世を畢るまで力を溝洫に尽せるは何ぞや。田畝は国家の根本なればなり。国家を有つ者、烏んぞ心力を治水に尽さざる可けんや。


 
 


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