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2012年08月22日
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カテゴリ:鈴木藤三郎
 

   その2(「土と人と砂糖の一生」82~84ページ)

 台糖(新TS)の陣痛を語る

第二次大戦の終結の年の翌年〔1946〕四月現地責任代表者筧氏は台湾から広島大竹港から東京まで満員電車で直行した。

中国人の接収委員長から「上京用務済み次第必ず帰台する条件付き」で中国側の許可を受け高雄港から出航した。

上京の目的は 1 引揚げ社員の日本での就職 2 TSの糖業復帰だった。

しかし製糖、精製糖いずれも不許可で、倉庫営業所を神戸の旧砂糖倉庫において認められただけで、薪や炭の倉庫業から事業を始めた。

 

   その3(「土と人と砂糖の一生」163~165ページ)

日本(台湾)糖業、最後の三日間

1900年、台湾製糖株式会社創立とともに産声をあげた、台湾糖業は100万トン自給自産の目標を達成した。しかし第二次大戦によって無残にも玉音放送で最後の三日間を壊滅した。

最後の台湾総督兼軍司令官安藤将軍は、アメリカ軍の台湾上陸を阻止し、台湾島および祖国本土を固守する方策として最後の作戦を立案しその実行を決意した。

それは台湾製糖を活用すること、すなわち工業力を利用し軍事用燃料を提供、農業、工場、鉄道輸送力の強化、高砂族の山岳戦などである。

そのため台湾に残存した、台湾製糖、明治、大日本、塩水港を一社に統合する案を立てた。

筧社長は強硬に反対し、4社存続のままで軍の要求にこたえると主張し、その結果4社の機動的輸送力を活用し、軍民官が結集した「台湾糖業運営会」を組織することになった。

会長は総督、総務長官の判定で筧氏に決定した。その通達があったのが終戦の日8月15日のわずか3日前だった。

昭和20年8月15日正午、古亭庄の旧台北大学跡の総督公室に呼ばれた。糖業連合会支部長、4製糖会社代表、総督府殖産局長、軍首脳が一緒だった。

そこで「玉音放送」を聴いて、その一瞬、台湾糖業連合会は勿論、万事壊滅に帰した。

別室において蒋介石政府に対する4社の接収引継の協議に変わってしまった。

安藤総督は一人自害し、筧氏も戦犯としての処刑を覚悟したが、蒋介石の好意により南京裁判は免れた。

 

   その4(「土と人と砂糖の一生」下巻87~88ページ)

忘れられぬ〔1945年〕6月30日

目標の重大性によって敵の爆撃は大規模であり慎重である。

台湾の都市で見れば台北、工場で見ればわが阿緱工場がまさにその例だ。

6月30日、わが本社事務所、砂糖、酒精両工場の爆撃は今までの他の工場と全く構想を異にする。

その日8時半よりP38が2機何回となくわが社の上空を旋回し、またB24、B23が先駆となって爆弾を投下し、再び戦果を確認するため旋回を繰り返した。

10時20分B24が4機5機5機の三回、B29の2機の第4回で各隊ただ1回の集中全弾投下を行って南方に退去した。

20キロないし500キロの爆弾だけ約500~600発を東は阿緱事務所、用度倉庫の線、西は万丹道路、南は瑞竹鉄道事務所、北は一条通りこの長方形面積約4万坪の地域に投下した。

この日の被害は甚大で、本社、阿緱両事務所は全壊、第一、第二両工場大破大焼、再興すこぶる困難。死者12名、負傷者約20名。

死者は1名を除き他はみな防空壕内であった。

 

   その5(「土と人と砂糖の一生」下巻317~320ページ)

引揚船、団長の苦悩

終戦の翌年〔1946〕(3月末)高雄港から、アメリカ軍用船に割り当てられた約千人の一員として乗り込んで、日本へ引き揚げた。

上陸地は広島県大竹港だった。

乗組員の編成は、高雄州の旗尾街、屏東市中の人々と、台湾製糖社宅在住の三部隊混成だった。筧氏は団長となった。

高雄埠頭倉庫のコンクリートの床にゴロ寝して出航を待った。

船倉では畳一枚くらいの広さの鉄板に男女7人を割り当てられ、3日間雑魚寝した。

船中では、お産あり、病死あり、筧氏は団長として船中死亡者の水葬に立ち会った。

大竹港に上陸手続きをすませて、立錐の余地のない列車で立ちん棒で東京に向かった。

 319ページ6行目

TS社台湾所在全財産を蒋介石政権の接収委員に情冊として引渡しを完了した。

国民政府の指定するメンバーのみを残留(事実上約1年内外)させ引き揚げた。

後記で筧氏は「台湾在住35年、TS幹部・役員在勤30年だったので、蒋介石政権派遣の接収委員から私有財産に期待をかけられた・・・ところが社宅、会社の帳簿、銀行等調査しても皆無に等しく、接収情冊には家具の一部(タンス等はアメリカ軍により爆破)のみ。接収委員は筧氏の初期引揚船乗込を許可せず、「こんなはずはない。どこかに隠匿しているに違いない」と各方面を調査した。

その間、台北の国民政府本部と話し合い、一応帰国の上、社用を果たし直ちに再度台湾に帰る誓約を交わし引揚げが許された。

日本帰国後、再度台湾に帰るに及ばずとTS接収委員から通報があった。

 

   その6(「土と人と砂糖の一生」下巻53~140ページ)

百日百言抜粋

 第2日

 わが社の職場における重傷死に対し特別弔慰金として二千円を贈呈した。(1944年11月23日)

 第4日

 昭和19年12月10日、台湾製糖株式会社創立45周年記念日に当り、私(筧氏)は今更のごとく改めて我が社に敬愛の意を表するのである。

 我が社は領台当時、国策上より誕生し宮内省の御持株をうけ、質実剛健、積極運営、自作農、家族主義、派閥皆無、内台協調、道義立脚、歴史尊重等の社是社風・・・

 日本糖業発祥の地、橋子頭、瑞竹の里屏東に因縁を深め、・・・私の公私の一生を幸福な感謝の信仰生活に終始せしめるものである。(1944年12月10日)

 

 従業員各位に望む(第15日)

 決戦下のわが社経営要綱については戦局が苛烈緊迫するに従い一層全力を傾倒せざるべからず。・・・

 然るに最近敵機の来襲投弾等頻発し、かつ盲爆を重ぬるに至りては、・・・

 客年より工場に農場に鉄道に諸建物にあるいは製品資材に連日大小の被害を続出するのみならず、尊き人命犠牲を生むに及んでは、・・・

 曽文渓以南に集中して広大なる自作園と多数の工場、鉄道を所有するわが社が、その蔗園(さとうきび畑)内に飛行場またはこれに随伴せる諸施設を抱擁しその建物に皇軍の駐屯するは当然、かつ吾人の光栄とする所にして・・・敵の空襲が熾烈を極むるも、当然かつ甘受せざるべからず。・・・

 昭和20年2月22日 筧 専務取締役

 

 我が家の受爆記(第32日)

 昭和20年4月26日正午前後、私の最も住み慣れた屏東の住宅が遂に敵機の爆破するところとなった。・・・(1945年4月29日、帰社当夜新居宅にて)


【参考】

台湾製糖の本社所在地は、C先生の調べによれば、台湾製糖株式会社本社の住所は、創立当時橋仔頭に置かれたが、後、明治44年(1911年)に高雄に移転し、大正9年屏東へ移転している。

「土と人と砂糖の一生」上巻78~80ページに1970年に筧氏が発表された「恩讐の彼方、マックラリー少佐一行」というエッセイがあり、それによると、昭和20年終戦の年の秋、アメリカ軍の将校が台湾製糖株式会社本社を訪問してきた。マックラリー少佐ほか少人数で、筧氏は工場技師とともに砂糖工場、酒精工場を案内させ、研究所の応接室で応接した。少佐らは「実に見事に爆撃したものだ。われわれの爆破作業のなかでこれほど理想的に計画どおり完全に行われたものはない。今までの調査のなかでナンバーワンだな」とささやきあった。

「昭和20年6月30日、本社と両工場の爆撃を敢行した編隊長以下の一行であった」とある。すなわち屏東(へいとう)市の台湾製糖株式会社の本社はこの爆撃でほぼ完全に破壊されたことがうかがわれる。

 

1901年9月19日、本社所在地名称橋仔頭庄字大路墘(けん)を橋仔頭庄に改められたるを以て更正登記を申請す(台湾製糖株式会社史P.9)。

 

1911年2月1日、本社を台南廳興隆内里哨船頭街(=高雄街)に移轉し、その登記をなす(台湾製糖株式会社史P.44)。

台南廳興隆内里哨船頭街=1912年台南廳大竹里哨船頭=1920年高雄州高雄街高雄字哨船頭(1920年台湾総督府官制改正によって)

 

1920年12月10日、本社は高雄街から阿緱製糖所に移轉(台湾製糖株式会社史P.63)。






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最終更新日  2012年08月23日 02時49分06秒



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