全て
| 報徳記&二宮翁夜話
| 二宮尊徳先生故地&観音巡礼
| イマジン
| ネイチャー
| マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界
| 宮澤賢治の世界
| 五日市剛・今野華都子さんの世界
| 和歌・俳句&道歌選
| パワーか、フォースか
| 木谷ポルソッタ倶楽部ほか
| 尊徳先生の世界
| 鈴木藤三郎
| 井口丑二
| クロムウェル カーライル著&天路歴程
| 広井勇&八田與一
| イギリス史、ニューイングランド史
| 遠州の報徳運動
| 日本社会の病巣
| 世界人類に真正の文明の実現せんことを
| 三國隆志先生の世界
| 満州棄民・シベリア抑留
| 技師鳥居信平著述集
| 資料で読む 技師鳥居信平著述集
| 徳島県技師鳥居信平
| ドラッカー
| 結跏趺坐
| 鎌倉殿の13人
| ウクライナ
| 徳川家康
カテゴリ:広井勇&八田與一
10 宮部金吾と新渡戸稲造の往復書簡 抜粋 【例言】引用の新渡戸稲造の手紙は、新渡戸稲造全集第二十二巻・第二十三巻の宮部金吾宛書簡による。また宮部金吾の手紙は「新渡戸稲造宛宮部金吾宛書簡」佐藤全弘翻読訳による。 なお、両者の表現を揃えるため、佐藤訳の「ポール」を「パウロ」、「ジョナサン」を「ヨナタン」にするなど一部修正した。 新渡戸第2信(英文封書)〔新渡戸全集23〕p715-719明治十五年(1882)五月三日 親友のカボ君 やっと昨日石狩の向こうの小さな村から帰ってきた。先月二十五日にそこに派遣され、イナゴの卵の様子を見てきたのだ。ゴンベエが行くはずだったが、他の仕事のため断ったので、僕が行ったのだ。しかし僕は、多分しなければならぬほど自分の仕事にみっちり打ちこまなかった。というのもイナゴの卵の検査より、もっと力強く、もっと重大な任務を遂行しなければならなかったからだ!確かに、僕は割り当てられた仕事をすっかりサボってはいなかったが、ゴンから大しかめつら顔をされようが、僕はその地に滞在の日々を読書と黙思に過したのだ。その地の土壌には鉄とそれに水もたっぷり含まれている。たぶんそのせいで、僕はたいして不便もおぼえず、全くよくおぼえず、全くよく読書できたし、ジョゼフ・クックの『良心論』を読んでしまった。その地はまた"宗教的"主題について、心清く、思いを捧げて瞑想するにとくにふさわしかった。僕はその機会をとらえて、彼方の丘からわたるそよ風に吹かれつつ、いくたの疑念や雲を吹き払おうと努めたのだ-この雲は何度も何度も僕のちっぽけな頭を迷わし、それ以上にしばしば"太陽"の光をさえぎって、僕の胸中に植えられた幼芽を日蔭にし、殺してしまうのだった。僕は、座っている前を流れる石狩の水でするように、僕の心のいくたの悪や情念を洗い去ろうと努めた。カボよ、僕は、天の穹窿(きゅうりゅう)より静かな地表につつましくも射す月影に誓うように、自分の心と生活を純潔、静穏、謙遜にしようと努めたのだ。そして一部成功した。僕は人間の解くべき最も重大な問題を解く事ができた‐すなわち"神の存在"だ‐!この問題は何度も何度も僕を悩ませた。僕は久しくその解決に苦闘してきた。君もおぼえていようが、2年前僕たちの"集会"で口にしたことがあった。原始林の静寂孤独の中で、また流れゆく美しい水面(みなも)に目を凝らしながら堤の上で-これは特に詩人なら想像できる景色だ(僕の想像ではルツエルン湖そっくりだが)-僕は自分自身の内にまた外に、一つの"神"を感じたのだ。僕は僕の内に小さなかすかな声を聞き、その声に威厳にみちた、荘重な"声"が外から応えたと感じた。その声は"言葉"なのかもしれないが、僕には声だけがきこえて、"言葉"の発音ははっきりと聞き取れなかった。僕は、もしその"言葉"が神の声なら、その"言葉"を聞かせて下さるように願い、神にたえず祈っている。(略) サッポロ・ニュース 1、先月中頃、伊藤とロンとは一方は西海岸、他方は東海岸へ、"漁業博覧会"提出用報告書の準備として、漁師指導のため派遣された。ロンはやがて帰るだろう-たぶん-一両日中に。だがすぐ別の方面に出張することとなろう。(2-7略) 6、ズルッコ〔広井勇〕は一両日にここから、七、八里の所へ鉄道建設総監督として赴任予定で、秋まで帰らない。(7-10略) 11、YMCAの集りは、僕が帰ってから1回しか開かれていない。それも出席はよくなかった。青年会の別派(?)を伊藤とロンが作った。この二人が始めたんだが、たった二人だけだ。というのも他の会員はYMCAに2集会を開くのには不賛成だからだ。二人は二集会開催意見を提出し、始めたのだ。(略)
宮部(封書、英文)(「新渡戸稲造宛宮部金吾書簡(上)」)東京、明治十五年(1882)十月二十二日 わが親愛なる太田、 君のご存知和田が札幌へ発つ好機をえたので、永の沈黙を破って、しばらく以下の弱音をたてる。多くの光と、もっと多くの永引く響きが、のちに継続波として届くことだろう(多分)。今夜はたっぷり書いた。今回僕の出せるのが最後のが君への手紙だ。というのも、たった今、上野と浅草の鐘がおごそかに響いて太陽が僕と対蹠地の子午線上にあり、僕は寝床についた方がよいと知らせている。なにせ和田君が明朝とても早くやってきて、手紙や札幌へのあいさつを受け取るからだ。僕は心中で答えて、たとえ十二時、1時になっても封筒の裏に僕の名を書くまでは、指からこのペンを離さないぞと誓っている。 まず言うと、この手紙は君が最も尊重する、そして僕もそう思う思想は、ごくわずかしか含んでいない。僕の心臓は、今ゆっくりと働き始めた、僕の手足は冷え始めている。僕の小さな安物の脳はあまりうまく働こうとしないんだ。 おお、モンクよ、僕とともに喜んでくれたまえ。僕は東京にもっと滞在できるんだ。僕の心はしばし札幌の思いで充たされ、早くそこへ帰りたいという願いで一杯だけれど、僕の思いはそのとたんに、「札幌で僕は何をせねばならぬのか」という問いに向かう。札幌へ戻って何か役に立てるようになるには、僕の専門を少なくとももう二年、もっぱら研究する必要を感じるんだ。君の身体状況、霊的状況はどうかね?眼はまだ苦しいかい?今でもしばしば牛が象のように見えるかい?そうならぬよう、できる限り注意してくれたまえ。(略) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年03月02日 09時40分07秒
[広井勇&八田與一] カテゴリの最新記事
|