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2013年04月15日
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カテゴリ:遠州の報徳運動

○○センターから電話があって、会で発行している本を入手したいという電話がありましたので電話してくださいということだった。

「はい」と返事したものの、後回しにしていたら、またセンターから電話があった。

「相手の方が、これから出かけるから、すぐ連絡がほしいとのことなので電話していただけますか。」

そこで電話したところ、神奈川県秦野市の方で、秦野市立図書館で

小冊子「二宮尊徳と日本近代産業の先駆者鈴木藤三郎」という本があった。

5冊送ってほしいということだった。

秦野というと、今年10月「報徳サミット」が予定されており、テーマの一つは

安居院庄七である。秦野市の出身で、遠州地方に報徳を広めた。

実は、小冊子はもう残り少なくなっている。

「ボーイズ・ビー・アンビシャス」とともに、これまで鈴木藤三郎の収蔵されていない、空白県(県立図書館に寄贈しても所蔵していただいていない)の主要市立図書館に一緒に寄贈している。柿色とモス・グリーンの2冊は合性がよく、互いに引き立てあうようにも思われて、九州だと宮崎市、大分市、中国地方だと山口市、広島市など、まだ新渡戸稲造ゆかりの東京女子大とか上智大学とか2冊一緒に送っていたら、残り少なくなってしまった。

その方のお話を聴くと、秦野の農協の関係者らしく、秦野農協は以前から、安居院庄七を広く知らせるため本を刊行するなど努めている。

「遠州系の安居院の資料は、遠州以外ではあまり知られていません。

『福山瀧助先生伝』や『接穂の説』の報徳安楽談にちなんだ 歌や発句の読み合い などの資料は、秦野の人にとっては恐らく初めて見る資料ではないでしょうか。

その意味で、この小冊子が秦野市立図書館に収蔵されたのは意味のあることかもしれませんね」

ここは全面的に協力するしかあるまいと、残り少ない分から5冊送った。

「小冊子は2月3日(日)に日光市教育委員会主催の報徳のまちづくりセミナー用に事前に作成し、講演会の席上配布したもので、残部を公共図書館・大学図書館に寄贈し、現在17公共図書館、2大学図書館の蔵書となっています。本来この小冊子は販売することを目的としていませんが、送付させていただきます」

講演会で一緒に配布した「鈴木藤三郎翁の足跡を求めてin台湾」のパンフレットなどの資料も参考までにと同封した。

 

 

「安居院義道翁伝記」(「報徳」第23号21~23ページ)

翁通称庄七、(いみな)は義道、蘆翁又乾坤齊と号す。相模国(さがみのくに)大住(おおすみ)郡蓑毛村の人、寛政元已酉を以て其村に生る。先行秀峰大山の修験と為り、密正院と称す。翁は其第二子なり。(いで)て安居院氏を嗣ぐ。時に天保七丙申(ひのえさる)諸国飢饉民大に(くるし)む。小田原侯先師を野州に徴し、領邑を興復せしむ。足柄上郡曽比竹松の二村凶歉(きょうけん)〔歉は穀物の実らない意
農作物が著しく不作であること〕最も甚しく衰弊殆んど極まる。先師孜々(しし)之を治む時に翁其隣邑に在り子弟に授くるに法書を以てす。先師其能筆を聞き、挙げて書記役と為す。弟浅田勇次郎も亦随ふ。兄弟昼夜先師に親炙(しんしゃ)して会得頗る少からず。翁が一代の経営(つと)(ここ)に基づく。後其事終り兄弟(とも)に率て伊勢大廟に詣で三社大々万人講を大結し、講員募集の為、帰途遠江国浜松駅に(いた)り同国長上郡下石田村神谷久太郎の任侠を聞き托するに募集の事を以てす。(すなは)ち之を(とぶら)ふ。居ること数日、翁熟々(つらつら)久太郎を視るに名声邑閭(りょろ)〔村里〕に(あま)ねしと雖ども日々に非なり。一日久太郎に謂て之を説き、且家道を興すの方を以てす。久太郎拍手(てをうちて)妙と(さけ)び其法を受けんと謂ふ。此則ち翁が(さき)に会得したる難村興復法にして斯道駿遠に及ぶの濫觴(らんしょう)なりとす 。此より一村翕然(きゅうぜん)〔多くのものが一
つに集まり合うさま〕として之を仰ぎ財宝豊充四隣之を称す。続て同国佐野郡倉真村の人、岡田佐平治も亦之を聞き、翁を請て道を聞き、(むら)に一社を置く。此則ち遠州報徳社の鼻祖なり。此より後、弘化三丙午下石田村も亦一社を設け、之を奉ずる事益々厚く名声大に振ふ。故に翁を請ひ之を聞かんとする者、日々相踵(あひつ)ぐ。嘉永五壬子二月翁、周智郡森町山中豊作(新村理助)の家に在り(おこり)を患ひ留まる事七十有余日、此の間蓐中(じよくちゆう)に在り。(つぶ)さに同家の分度を定め、永安法を建て、兼て森町結社の事を(つかさ)どる。翁は(ここ)に至る迄、常に其弟と力を(あは)せ事に当る。(ここ)に於て独り自ら駿河に入り富士浅間神社に詣り大宮々司富士又三郎を訪ひ、又法を講ず。時に同大内村農荒木由蔵なる者あり。(かつ)て相州小田原某寺の住職たりし僧忠山の同村某寺に来るありて(つぶ)さに小田原藩報徳の事を伝聞し、頗る之を欽慕す。是に於て翁の斯道を講ずるを聞き峯陣屋に就き謁を翁に求むる数次、翁初めて之を許し其教を聴くことを得せしむ。由蔵歓喜()かず、(すなは)ち一社を邑に結ぶ。此れ駿河中報徳結社の創始なりとす。次で翁また転じて有渡郡に入り、石田村石垣家に寓し、地に一社を開く。(すなは)ち現今の駿河西報徳社是れなり。嘉永四辛亥年弟勇次郎病を得て伊勢に没す。翁痛悼(ついとう)禁ぜず。(すなは)ち書を永知楽に学び以て憂悶を遣る。一日神谷与平治を従へ之を長上郡安間新田に訪ひ其無尽蔵の三字を以て甲冑(かっちゅう)武夫の姿に擬したる異書を観る。出て与平治を顧みて曰く、知楽恐くは終なしと。後、果して自殺す。其見識往々此の如し。亦以て翁の尋常人に非らざるを想見するに足る。後文久三癸亥寝ん八月十三日浜松駅門人田中某に没す。享年七十有五、私に(おくりな)して弘道先生と云ふ。翁の為人(ひととなり)多伎(たぎ)凡そ法書より以て挿花囲碁の小伎に至るまで之を()くし、又奇癖あり。其斯道を講ずるに当ては、(すなは)ち擁する所の火炉の鉄箸を取り之を指視して以て陰陽消長の理を示す。蓋し鉄箸双々離れざるを以てなり。故に翁の遺影の存するもの往々之を図す。

〔墓碑銘略〕

 

 






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最終更新日  2013年04月15日 21時51分13秒
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