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2014年08月20日
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三 ビジョン編―報徳は精神変革の思想である―
1 桜町仕法と青木村仕法の年譜
年代順にこの時代の主な出来事を記す。年譜は『二宮金次郎の人生と思想』二宮康裕著略年譜、日記は全集第三巻準拠。( )内は全集の巻数‐頁を示す。
文政五年(1822)三月 一〇年間の桜町領の租税を一〇〇五俵余、金一二七両余の条件で領主の宇津釩之助から委任を受け、名主役格として家族共に赴任。
「一 去る午年より来る卯年まで十か年の間、御知行地御物成、米千五俵余、畑方金百二十七両三分余、荏、大豆石代金並びにその中間金十七両の外は、御任のため年限中上納に及ばず候。・・・・・・
一 かの地へ引越し、十か年の間は心組みの次第一々申し聞かすに及ばず候、かつ年限中小田原へ引越し申し付けまじく候」(10-810)
同年九月六日 桜町到着。 翌七日 廻村。
九月九日 三村の農民を集め出精人を入札で表彰※。
文政六年三月二八日 妻子を同伴し桜町に到着。
十二月一八日日記「年歳の豊凶は天に在りて人に在らず。土地の貧福は人に在りて天に在らず。およそ知行所の大小百姓ども、親に孝行は申すまでもなく、他人にも信を失わず、その業とする耕作に怠りなく、職にあらざる芸能は好むべからず。屋作衣服食物等分限に過べからず。これらの事ゆるがせにすれば、天の道理にそむいて身の困窮と成るべし。」(3-28)
文政七年(1824)二月 小児養育米を給付。
七月七日 長女ふみ誕生。
文政八年(1825)一二月 宇津氏仕法を賞す。
文政九年(1826)三月一五日 不二孝講話を聞く。
五月一日 金次郎、組頭格・桜町主席となる。
文政一〇年(1827)一二月一日 豊田正作赴任する。
※宇津木三郎氏は『二宮尊徳とその弟子たち』で桜町仕法の初期の妨害について、尊徳は村人に「生活スタイルの変革」を要求し、彼らはこの地の「生活習慣に従って日々の暮らし」(p.28)を続けようと反対したとされる。尊徳は「伝統主義」変革を要求する(『報徳産業革命の人』p.152)





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最終更新日  2014年08月20日 20時08分02秒



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