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2014年10月12日
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人事労務用語辞典の解説


カイゼン

いわゆる「改善」のこと。カイゼンと表記すると、おもに製造業の生産現場で行われている作業の見直し活動のことを指します。作業効率の向上や安全性の確保などに関して、経営陣から指示されるのではなく、現場の作業者が中心となって知恵を出し合い、ボトムアップで問題解決をはかっていく点に特徴があります。この概念は海外にも「kaizen」という名前で広く普及し、とくにトヨタ自動車のカイゼンは有名。トヨタ生産方式の強みの一つとして高く評価されています。
(2009/10/26掲載)


いもこじ



「成田開眼につづくニ宮哲学の成立」加藤仁平より

報徳における指導教化法ならびに学習法としての『芋こじ』について

ーある人の質問に答えてー

質問 

芋こじの概念、どういうことか、説明ねがいます。

答え

芋こじというのは、
第一は、桶の中に里芋と水とを入れて、長い板でこじる方法です。
この時の芋は少量で桶も小さく、こじる人は地上に立っております。
第二は、ニ本の棒を交叉させた形の芋こじ棒を用います。
芋が少なく桶の小さい場合は、地上で、芋が多く、桶の大きい場合は、桶の植えに乗ってこじたものです。
・・・
芋こじ棒で具合よくこじると、芋と芋とぶつかって、どの芋も傷つかずに、きれいになります。
もしとび出る芋があれば拾って入れてやります。
これが集団的な懇談や討論による研さんの原理を示すものとして、今日でも報徳教育で重視されているわけです。

質問

出典について教えてください。

答え

1 今までのところ『ニ宮尊徳全集』巻の1~35巻をはじめ、先生自身の文章からは発見されていません。

2 福住正兄の『ニ宮翁夜話』や斉藤高行の『ニ宮先生語録』にもなくまた豊田正作の『報徳教林』や川崎屋孫右衛門の『報徳見聞記』の先生の言葉にも見えません。

3 高弟の著したものでは、福住の著書である『富国捷径』初編第三会議弁(明治6年刊)に次のように見えるのが、最初です。あるいはこれが唯一かもしれません。

 社中折々集会して。身の修め方世間の附合。家業の得失。農業の仕方。商法の掛引。又心配筋の事。自分に決し難き事など。皆打明けて相談して。夫よりは此の方がよい。是よりはあの方が宜しい。又是より此の方が徳だ。夫より此の方が便利だと。相互に相談するのでござる。又教導職に説教を頼み。又学者に正講をも頼み。聴聞して益善心を。固くするが宜いでござる。此集会を為す事を。ニ宮先生は。芋こじと常に申されたでござる。是は集会に度々出るは。芋こぢをする様なもので相互にすれ合て。汚れが落て。清浄になると云。譬でござる。(全集36巻503~4頁、カタカタをひらがなで表記した。)

ここに「此集会を為す事をニ宮先生は。芋こじと常に申されたでござる」とあるから、ニ宮先生の用語であったことは間違いありません。

質問 誰がはじめたのですか。

答え 日露戦争の頃から、報徳運動の先頭に立った内務省嘱託、留岡幸助氏の『ニ宮翁逸話』は明治41年8月発行されたものですが、そのなかに

翁と芋『コジ』会

芋コジ会というとなんだか変な名であるようだが、一名芋洗会というのである。
芋洗会というのはどういうことをするのかというに、
青年が互いに相集まって互いに錬磨しかつ懺悔しあうのである。
つまり何もかも洗うという意味であろう。
この会を監督する者は報徳者の世話人達であったが、
思うに青年夜学会に道徳修養団を加えたような会であって、
これは二宮翁の創設にかかるものだと今に言い伝えられている。

福住の記録に比べると不徹底なものですが、留岡氏の講演や著書は、当時、相当の影響力がありましたからこの頃から「芋こじ」の名が広まっていったことが想像されます。
留岡氏のことばの中に
「二宮翁の創設にかかるものだと今に言い伝えられている」とありますが、ニ宮先生の創設といいうるか否かは、明確ではありませんん。というのは石門心学の仲間でも使っていたかと思われるからです。
 先年、故石川謙博士と話し合った時、江戸時代の石門心学の本に、桶の上にのって、里芋をこじている絵が掲載されたのを見せてもらったことがあります。・・・
心学連中が「芋こじの方法」を教化の上で考えていたことはわかります。






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最終更新日  2014年10月12日 20時46分55秒



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