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2015年10月06日
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カテゴリ:鈴木藤三郎

八月十一日 晴

午前八時三十分ローレンチヱン氏へ(いき)(これ)よりワグネル工場へ行、精粉器械の約定す。(これ)より(また)ローレンチヱン氏の()めに中飯(ちゅうはん)馳走(ちそう)あり。(これ)より鉄道会社代理店へ(いき)、大陸鉄道の発車時刻及び()()(すべ)ての手続等を問ふ。午後三時帰宿す。(この)とき、(また)鈴木(すずき)(ひょう)太郎(たろう)氏来訪、談話数時間して帰る。

(この)(よる)書状(したため)、本国に発す。

 

1 「黎明日本の一開拓者」一四四頁に、藤三郎が精粉機械一式を注文した事情について次のとおり記述する。

「これは、日本精製糖株式会社の創設者の一人であり、また同年創立された日本製粉会社の重役である村上太三郎氏から、出発に際して同社の機械買入を依頼されていたのである。」

「製粉・製油業の近代化」(笹間愛史)に次の記述がある。

「明治二十九年に東京製粉合名会社は日本製粉株式会社(資本金三十万円)に改組され、ロール式製粉の導入を行うことになった。・・・ロール製粉機の購入は、ちょうど精糖業拡張のためにアメリカに出かける鈴木藤三郎(日本糖業の発展に貢献する一方、各種の発明・事業を行った産業史上の一等星)に依頼された。鈴木は東京の茂須礼(モスレ)商会の紹介で、サンフランシスコのワグネル製造所に二百バーレルの製粉設備を注文した。その点については、「このワグネル製造所というのは製粉機械の専業メーカーではなく、各種の産業機械の部品のメーカーであった。だから同製造所に注文したことは、あまり適当ではなかったわけだが、ともかく、かれは製粉機械と付属品および必要な汽罐機械までそろえたワンセットを一万二千三百七十ドルで購入する交渉をととのえ、正式の契約事務は茂須礼商会を通じて行なう約束をした」といわれている。」(『日本製粉株式会社七十年史』日本製粉社史委員会七七頁)
 購入された製粉機械類の一式は、ロール製粉機四台、リール型篩(ふるい)四組精選機二台、整粒機一台、粉詰機一台およびエレベーター類であった。それらについて「ロール製粉機はワグネル製であったが、その他の機械はいずれもメーカーが違い、必ずしも仕様書のとおりに組立てることができなかった……部品の破損も少なくなかった」と書かれているところを見ると、この種の取引はまだ問題が多かったといえよう。工場建設や機械の据付けはアメリカから送られて来た製粉工場の写真や見取図を参考にして行い、「いっさい外人技師の手を借りずに機械にそえられた仕様書と札幌製粉所を見学した知識にしたがって据付けられ、運転が試みられた。






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最終更新日  2015年10月06日 22時23分07秒



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