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2016年05月24日
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【7】相馬侯日光祭田再復の方法に献金す
野州日光東照宮の祭田二万石は、高山や丘陵多く、平地は大変少ない地形である。土地はやせ地で、昔から水田がなかった。人民は雑穀を常食としていた。近年になって水田を開くようになっても、十分の一に至らなかった。遠い昔から、租税は大変軽いといっても、人民は貧苦を免れなかった。天明の大飢饉以後、多く戸数・人口を減じた。このために土地は荒れ果て、人民はいよいよ困窮した。幕府はこれを憂慮し先生に再復・安民の事業を命じた。時に嘉永五年二月である。先生はその時に病気だったが、病苦を忍んで登山し、あまねく八十村余りを歩いて回り、村民を教えさとし、農業に勧め導き、善人にほうびを与え、貧民を恵んで、再興の仕法を施した。人民は非常に感歎し、従来の弊害が大変あらたまった。荒地を開墾し、仕事に勤めるようにさせた。これより先、弘化元年、日光の村々を再復する方策を提言するよう幕府から命があった。先生は三か年、日夜心力を尽して衰廃を再興させる方策を筆記し数十巻を提出した。このために実業を広く施行するように命があるに至った。相馬侯は池田家老を呼び出されて言われた。「三郡の再興安民の事を二宮に任じた。この仁術によって国の弊害は非常に改まり再復の効果は既に顕らかである。これに過ぎる大きな喜びはない。今、幕府が先生に日光再復という大業を委任された。まだこの相馬の地の仕法はなかばに至っていないが、微力であっても、報恩の道を行わないわけにいかない。お前はこの報恩の道を考えてみてくれ。」池田家老は主君の命を受け、退いて諸役人とこの事を議論した。役人たちは言った。「国家の衰廃は極っていて、上下の艱難は既に六、七十年、天下は広いといっても他の諸侯を察しますに、我が相馬藩ほどはなはだしいようなところは見ません。このために詳しく艱難の事情を幕府に申し述べて歎願し、手重い公務を免じられて既に数十年になります。専ら三郡の再復の道に上下が力を尽してきましたが、まだ道の半分に至りません。領地の荒田はまだ復旧せず、借債は数十万両となお従来のようです。このような時に当ってどうして報恩をなすことができましょうか。もし仕法を多年行って旧復する時になったら報恩の道もまた尽すことができるでしょう。現在実行することはできません。」と。池田家老は言った。「そのとおりだ。各々が言われるとおりだ。しかし上下の道によって論ずるならば、どうしてこれが至当の論であろうか。天明以来六十年余、相馬藩が廃衰したのはわが国の過ちであって他のためではない。幕府はこれを憐れんで多年にわた4り手重の公務を免じてくださったことは、莫大な恩というべきだ。それなのに艱難であるからとの理由で、ながく報恩の道を思わないならば、どうしてこれが恩を受ける者の道であろうか。国が盛んであって民が富む時になってから報恩を実行することは、何の難しいことがあろうか。艱難辛苦の中にあって実行しがたい事に力を尽すものは、たとえその事は小さくても報恩の志は厚いというべきである。さらに先生が日光へ仕法を開業する初めに当って力を添える時は必ずその事業は成就しやすいことであろう。今、これができないとして後年を待つのは、たとえ後に幾倍の力を尽したとしても、民を安らかにする事業がきっと遅れてしまうに違いない。報恩の道は実にこの時を失ってはならない。必ず疑惑を生じてはならない。」郡の役人は言った。「理はそのとおりかもしれません。この時に当って恩を報ずること、家老はそもそもどのようにして実行なされようとするのでしょうか。」池田家老は言った。「私はいやしくもその道を得ないで、この言葉を発しようか。前年困窮が極った時に当って幕府に歎願し、金八千五百両を借金した。年々これを五百両ずつ償還している。今年五百両を納める時は元金は皆納となる。来年から引き続き五百両を報恩として、日光の地を再復し民を安らかにする仕法に献金するならば、十年で五千両となる。これは難しいといっても、前々から分度の中から納めて来たものだ。まだ皆納に至らないと見る時には納める道がないとはいえない。これによって艱難の中といえ、十年に五千両を献ずるならば、日光の困窮した民は恩恵に浴して復興事業が確立するであろう。」と言った。諸役人は皆これに賛同した。
 そこでこの事を殿に申し上げ、ついに幕府に請願し許可を得て、年々五百両を納めてこれを日光の村々を再復する資金として先生に下された。





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最終更新日  2016年05月24日 00時57分12秒



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