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2017年01月27日
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カテゴリ:イマジン
新聞に吉永さゆりさんのインタヴュー特集が載っていた。

「私は将来、映画俳ゆうになりたいと思う。
(略)
映画でも、ラジオでも、じょうずだと言われるようになって、

映画に出るとしたら、

太陽族とか不良の映画には出たくない」

1957年、小学校の卒業記念文集に書いた吉永さんの文章である。

吉永さんは、東京渋谷区で3姉妹の次女として生まれた。

父親は東京大学法学部卒業、母親はピヤノ教師だった。

しかし、吉永さんが

「幼い頃、父が事業に失敗して一粒の米もない日もありました」というほどの生活になった。

小学校6年生のとき、連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』のオーデションを受けて1万人の中から女の子では藤田弓子さんと吉永さんの2人が選ばれた。

1957年の1月放送開始の『赤胴鈴之助』で、吉永さんは「さゆり」という役名で芸能界にデビューした。

「米びつが空っぽというわが家の状態はなくなり、おかずが少し増えたのは、育ち盛りの私にはたまらなく嬉しいことでした」と回想する。

中学に進んだ吉永さんはテレビ映画「まぼろし探偵」や、映画「朝を呼ぶ口笛」などに出演する。


高校進学と同時に「本人との意志とは全然関係がないところで」日活への入社が決まった。

「ちょこざいな 小僧め 名を 名を名乗れ!」
「赤胴鈴之助だ」  
剣をとっては 日本一に  
夢は大きな 少年剣士  
親はいないが 元気な笑顔  
弱い人には 味方する  
おう! がんばれ 頼むぞ  
ぼくらの仲間 赤胴鈴之助  

父の形見の 赤胴つけて  
かける気合も 真空斬りよ  
なんの負けるか 稲妻斬りに  
散らす火花の 一騎打ち  
おう! がんばれ すごいぞ  
ぼくらの仲間 赤胴鈴之助



藤田弓子さんの見た吉永さゆり

「もう50年も俳優業をやってるんですよ。おっそろしい!」といってアッケラカンと笑う。

 ラジオ時代をいれれば60年近い。デビューは小学校5年のときで、ラジオ東京(現TBS)の連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』にレギュラー出演した。一般から男の子1人、女の子1人を募集すると聞き、5円のはがきを買ってきて自分で応募した。

 「ラジオ局ってどういうとこか見てみたかったんですよ」

 「母が好奇心いっぱいな人だったので、いろんな物を見せてくれたんですね。母は芝で生まれて神田で育った江戸っ子で、歌舞伎や落語、映画ばかりでなく絵や野球が大好きだったんです」

 母親には内緒での応募だった。テストがあるといわれ出かけていって驚いた。当時、ラジオ東京のスタジオは有楽町の毎日新聞社の中にあった。審査は大きなホールで行われた。

 「日本中から子供たちが大勢来ている感じで、すごいなと。ほとんどの子供には両親や学校の教師がついてきてました」

 藤田さんは一次二次と受かり、最終審査になったとき、母親と一緒に来るようにいわれた。

 「そのとき、初めて母に打ち明けたんです。それまで黙ってたのは、どうせ落っこっちゃうだろうと思っていたので。でも、母に話すと、いいわよって二つ返事」

 父は早く亡くなり母と二人暮らしだった。通っていた赤羽小学校は自由主義的な雰囲気にあふれていて、手造りのミュージカルをやったりしていた。主役を張っていたこともあり、多少の自信があった。ところが、最終面接で母と一緒に応接室に入ったとたん、母と顔を見合わせて、帰ろうかと思ったという。

 「そこに1人の女の子がいたんですよ。その子がまるで絵から抜け出したような美少女なの。この人にはかなわない!

 名前は、吉永小百合といった。

 「今もキレイですけど、それはもうほんとにキレイで可愛くて。私なんか比較にならない。私と母はすぐ帰ろうとしたんです。そうしたら局の人に言われたんです、弓子ちゃん、これはラジオですよって」

 つまり顔がでない。だったら、がんばれる! 数多くの応募者から吉永と2人が晴れて合格。

 「1人は千葉周作道場の娘役で、さゆりちゃん。名前も同じですから最初から吉永小百合ちゃんに決まってるようなものですよ。私はしのぶちゃんという役を作ってもらって。しのぶちゃんは鈴之助君の幼なじみで、全編に出てくる役なんです」

 日曜をのぞく毎日、1回が15分ほどの連続ドラマで1年間続いた。ナレーションはその後、参院議員となる中学生の山東昭子さんが担当した。 

 高校のときは放送部に所属し、アナウンサーになろうと思ったが、赤胴鈴之助のドラマの面白さが忘れられず、高校卒業後、わざと難しい大学を受けて落ちた。

 「落ちてから母親に女優さんにならせてくださいというと、母はあっさり、『あ、そう。いつ言い出すかと思ってたわ』って」

 文学座付属研究所に入所し、やがて劇団員となった。舞台女優として歩みはじめたところ、劇団推薦で受けたNHKの連続テレビ小説『あしたこそ』でヒロインを仕留めた。NHKの連ドラがはじめてカラーで放送された記念すべき作品だった。

 「あれから、テレビドラマをはじめ映画に舞台に、何本出たか数えきれないほど。それぞれに思い出はありますけど、強いて印象深い作品をあげると、映画では『泥の河』(小栗康平監督)。テレビドラマでは『冬の運動会』(向田邦子作)ですね」
 (ペン・香取俊介 カメラ・栗橋隆悦)





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最終更新日  2017年01月27日 20時50分06秒
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