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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
石川県加賀市9件
報徳記を読む 報徳は国を興し民を安んじる大業である 第3集二宮尊徳の会2016 二宮金次郎の対話と手紙 袋井市浅羽北公民館「先人のより良い生き方に学ぶ」講演会記録 第一 小田原編(少年・青年期)二宮尊徳の会2015 報徳記を読む 報徳は精神変革である 第2集二宮尊徳の会2014 報徳記を読む二宮尊徳の会2014 ボーイズ・ビー・アンビシャス 第5集 内村鑑三 神と共なる闘い二宮尊徳の会2014 ボーイズ・ビー・アンビシャス 札幌農学校教授・技師広井勇と技師青山士-紳士の工学の系譜- 第4集地福 進一二宮尊徳の会2014 ボーイズ・ビー・アンビシャス 第3集 新渡戸稲造の留学談・帰雁の蘆二宮尊徳の会2014 二宮尊徳と日本近代産業の先駆者鈴木藤三郎二宮尊徳の会2013 ボーイズ・ビー・アンビシャス 米欧留学篇二宮尊徳の会 加賀市は、石川県南西部に位置する市。福井県と接する。 加賀で観光、五輪合宿を 高雄、台北で関係者にPR 加賀市の宮元陸市長は台湾を訪問し、同市と観光交流協定を結んでいる高雄市の陳菊市長らと十一日に懇談、高雄市の観光関連業者らと開いた観光商談会にも出席した。 訪台中の宮元市長ら 加賀市によると、懇談で、陳市長は「高雄市は年中温暖な気候で、定年後のロングステイにも適している。多くの日本人に来てほしい。今後機会があれば、加賀市を訪れ、観光、教育交流などの面で交流を進めていきたい」と歓迎した。宮元市長は「加賀市の日本らしい魅力を台湾の皆さまに知ってもらいたい。両市の相互の往来を今後、ますます推進したい思いがあり、陳市長も加賀市を訪れてほしい」と話した。 商談会では宮元市長が温泉観光地である加賀市の魅力をアピール。参加した高雄市の四十社近くが宮元市長に同行した加賀市内の旅館、観光関連の十五事業者と個別に商談を行った。 これに先立ち、宮元市長は十日、台北市の中華オリンピック委員会も訪れ、二〇二〇年の東京五輪の事前合宿で「台湾チームをぜひ受け入れたい」と表明した。同委員会の沈依●(ちんいてい)秘書長は「提案に感謝する。加賀市にもすばらしい体育施設や環境があることが分かった。審査委員会へ積極的に推薦したい」と応じた。 (古田秀陽) 数千人救出 感謝の碑 石川・加賀 お町さん 敗戦の安東・サスペンスドキュメント 敗戦により、混乱に陥った旧満州の安東(現中国遼寧省丹東市)で、身をていして、ソ連兵などから日本人の女性や難民らを助け続けた石川県加賀市出身の女性がいた。本名は道官(どうかん)咲子。みんなからは「お町さん」と呼ばれていた。 「お町さんに救われた日本人は数千人とも言われています」。昨年八月、市内の小学校で開かれた平和集会で、三木公民館の竹本利夫館長(68)が児童に話した。懸命に邦人を助けるお町さんの話は「オスカー・シンドラーや杉原千畝を連想させた」という竹本館長の言葉が強く印象に残った。 安東で十一歳の時、終戦を迎えた作家長瀬正枝さんの著書「お町さん 敗戦の安東・サスペンスドキュメント」を開いた。お町さんは敗戦時、安東へ進駐したソ連兵が日本人女性や子どもを襲うことを防ぐため、窮余の策としてソ連兵向けの慰安所兼飲食店を開く。 店の収益で、戦火を逃れて来た日本人疎開者らに食料などを配り、中国共産党・八路軍に逮捕された日本人の救出活動にもひそかに関わる。一九四六年六月、同軍にスパイとして捕まり、九月ごろ銃殺されたとみられている。 「お町さんは恐ろしい風聞しかないソ連兵を歓迎し、接待した。そのおかげで安東では一般女性の被害が少ないと母たちはうわさしていた」と、長瀬さんは書いている。日本への帰国の見通しもつかない中、毅然(きぜん)として日本人を元気づけ、助け続けた女性。作品にはこの女性を歴史の中に埋もれさせたくないという思いがにじみ出ている。 福井県境に近い加賀市吉崎町の国道沿いに、ひっそりと「道官咲子碑」が立つ。安東で助けられ、生き残ったらお町さんの墓を建てると約束していた故近藤正旦(まさあき)氏が、吉崎御坊願慶寺(福井県あわら市吉崎)の和田轟一(ごういつ)元住職らの協力を得て五六年に建てた。「安東の母」と題した碑文に元住職は「お町さんこそ日本敗戦秘史を飾る女性としてその功績は永久にたたえられるべきだ」と記している。 ◇ 寺を訪ねた。元住職の孫、和田重厚(しげあつ)住職(62)は遺影を見せながら、お町さんを「誰もがすごい人だと言っていた。慕われ、信頼され、カリスマ的な人だったんだと思う」と話す。帰国者らで結成された「安東会」には当初、二千人ほど会員がいた。「会の目的の一つはゆかりの地にお町さんの碑を建てることだった。会の規模からも、二、三千人は安東でお町さんに助けられたのだろう」と、その実績に思いを巡らした。 九五年五月、同寺であった五十回忌の法要には近藤氏や長瀬さんら全国から関係者が出席、本堂はいっぱいになった。だが、多くの安東会員も長瀬さんも亡くなり、十年ほど前から寺を訪ねる人は急に減った。「今の日本があるのはお町さんのような人がいたからこそ。これだけのことをした女性がいたことを長く語り継がなければ」と、和田住職は強い思いを語った。 (古田秀陽) “わたしは、もう命を捨てる覚悟で、いつも白装束を身に着けていますよ”そう言って白の長じゅばんを見せてくれました。 お町さん 1986年の作品。旧満州の安東で敗戦を迎えた長瀬正枝さんが、混乱する現地で身をていして日本人を助け続けた通称「お町さん」の生涯を、関係者を10年以上取材して掘り起こし、描いた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年01月29日 16時06分44秒
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