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カテゴリ:尊徳先生の世界
な魂を磨き、心を高めるための尊い「修行」
・二宮尊徳の立居振る舞いは真の貴人のごとく威厳に満ちて、神色さえ漂っていた。 ・英米人のもっとも驚嘆せしは二宮尊徳先生という。 ・英人は世界の宝庫といわゆるインドを有するよりもシャークスピアを生じたるをもって光栄となす。わが日本は満州を獲るよりもロシアに勝つよりもこの二宮先生を有することを至大の光栄となす。 ・「報徳記」は真正の経済は道徳の基礎に立たなければならないことを先生の事業生涯をもって説明したものである。身をもってこの問題の解決をなした。先生は経済と道徳の間に橋をかけた。先生の一生は経済道徳問題の福音である。この意味で「報徳記」は「クラッシク(古典)」であり、経書である。 稲盛和夫「生き方」(23ページ) 日々の仕事を精魂込めて一生懸命に行っていくことがもっとも大切で、それこそが、魂を磨き、心を高めるための尊い「修行」となるのです。 たとえば、二宮尊徳は生まれも育ちも貧しく、学問のない一介の農民でありながら、鋤一本、鍬一本を手に、朝は暗いうちから夜は天に星をいただくまで田畑に出て、ひたすら誠実、懸命に農作業に努め、働き続けました。 そして、ただそれだけのことによって、疲弊した農村を、次々と豊かな村に変えていくという偉業を成し遂げました。 その業績によってやがて徳川幕府に登用され、並み居る諸侯に交じって殿中へ招かれるまでになりますが、そのときの立ち居振る舞いは一片の作法も習ったわけではないにもかかわらず、真の貴人のごとく威厳に満ちて、神色さえ漂っていたといいます。 つまり汗にめみれ、泥にまみれて働きつづけた「田畑での精進」が、自分も意識しないうちに、おのずと彼の内面を深く耕し、人を陶冶し、心を研磨して、魂を高い次元へと練り上げていったのです。 このように、一つのことに打ち込んできた人、一生懸命に働きつづけた人というのは、その日々の精進を通じて、おのずと魂が磨かれていき、厚みのある人格を形成していくものです。 ・・・人格の完成もまた仕事を通じてなされるものです。 いわば、哲学は懸命の汗から生じ、心は日々の労働の中で練磨されるのです。 自分がなすべき仕事に没頭し、工夫をこらし、努力を重ねていく。それは与えられた今日という一日、いまという一瞬を大切に生きることにつながります。 予が見たる二宮尊徳翁(「内村鑑三全集12」より) 予はかって「日本及び日本人」なる一書を英文にて著し、これを世に示したり、 録するところ、西郷隆盛、日蓮上人、上杉鷹山公等なりしが、これを読んで英米人のもっとも驚嘆せしは二宮尊徳先生という。彼らが異教国と称するこの国にかくのごとき高潔偉大の聖人あらんとは彼らの意外とせしところなりしと見ゆ。 もし欧米人が詳らかに先生の性行閲歴を知りえたらんには恐らく先生をもって世界における最高最大の人物に数えるならん。 英人は世界の宝庫といわゆるインドを有するよりもシャークスピア全集を有するを誇りとなす。 否、シャークスピア全集を有するは誇りにあらず、シャークシピア全集を有するは誇りにあらず、シャークスピアその人を生じたるをもって光栄となすという。 しからばわが日本は満州を獲るよりもロシアに勝つよりもこの二宮先生を有するというにおいて至大の光栄となすべきか。 予は汽車に乗りて国府津(こうず)松田間を過ぐるごとに先生を思うて止まざるなり。 予の理想に近き人を求むれば先生はすなわちそれなり。 近年、日本に産出せられたる書物の中にてもっとも大なる感化力あるものは二宮先生の報徳記にしくものなし。 予は予が小児(しょうに)らにまず読ましめたきものはすなわちこの書なり。 予が雑誌「聖書の研究」の読者に推薦して熟読を勧めおるものは実にこの書なり。 この書は聖書的の書籍にして現今博聞館より出版する幾百冊の書を読むもこの報徳記の百分の一の益をも感化をも受くること能(あた)わざるべし。 何ゆえにこの書がしかく偉大なる感化力を有するや。他なし。 これ真正の経済なるものは道徳の基礎に立たざるべからざることを先生の事業生涯をもって説明したるものなればなり。 すなわち身をもってこの問題の解決をなしたるなり。 先生は経済と道徳の間に橋をかけたり。 先生の一生は経済道徳問題の福音なり。 この意味において報徳記は一部の「クラッシク(古典)」なり、経書なり。 そもそも現今経済を論ずるものは大抵倫理道徳と関係もなきものと為すもののごとし。 倫理と経済と分離して秋亳(しゅうごう)の関係なきものなるや否やは至難の問題に属すといえども恐らく倫理道徳の要素なしに経済の成立すべきはずなからん。 アダムスミスの「富国論」は著名なり。 邦人皆これを読みて経済学上の大著となす。 しかれども彼れはこれをその倫理学の一篇として書きたるものなり。 彼れは両者密接の関係を認めたるなり。 しかるに現今英米の学者輩経済学をもって単に利欲の学問とせり。 ここにおいてか経済学は武士の子孫が学ぶべきものにあらずなどと思惟したる者ありき。 福沢氏のごときは道徳は畢竟経済なりと道破し現今の社会主義者は道徳は単に胃腑の問題なりなどというに至れり。 かくのごときは果たして真正の経済学なるべきか。 先生はしからず。 道徳は原因にして経済は結果なりと断じたり。 至誠勤勉正直(せいちょく)にして初めて経済の成立するものなりとせり。 かくのごとき高尚なる経済論はたとえ英のオックスフォード大学に行くも決して聴くことを得ず。 勤倹貯蓄のみが先生の報徳なりとなすものあらば先生を誣(し)ゆるもまた甚だしからずや。もしかくのごとき人あらば予は先生に代わりていわん。 諸君は誤れり。 諸君まず善人となるべし、至誠の人となるべし。 予の根本とするところは道徳なるがゆえに諸君もまずこれを心がけざるべからずと。 ゆえに先生の報徳説盛んに行わるるところには必ずまず道徳的大変化大復興起こらざるべからず。 もししからずしてただ勤倹貯蓄経済上の変化のみならばいささかこれをあやしまざるを得ず。 先生が事業の為すところには往々反対に出でたり。 そはその地の料理店貸し座敷、あるいは一部の偽善者輩なりしがこれをもって見るも先生の事業方針の正に道徳上の改革より初まれるを想見すべきなり。 かって大磯の川崎屋孫右衛門なるもの先生につきて廃家再復の途(みち)を聞かんと欲せし時、先生浴室より飛び出し、夜中二里余を隔てたるところに逃げ行けり。 何ゆえぞやといえば、彼のごとき難物は容易に道に入(い)るべき人間にあらず、仕法を教えるも益なしと考えたればなりという。 家政困難を救うは、先生の喜ぶところなりといえども、その人物を改善せしむるを先となしたることこれをもって明らかなり。 先生の自信の強きことはまたこれによりて知らるべし。 今日のキリスト教の伝道者などが説教聴聞に来るものあらばよくこそ来たれりとて礼を述ぶるがごとく卑屈ならず。 教えを乞うものあるもまず自ら教えを受くるに足る者となりて来たるにあらざれば決してこれを授けずしてしりぞくるがごとき自信力は先生の有せしところにしてかくのごとき確信こそ吾人(ごじん)の得んと欲するところなり。 しかしてその与える再興の法は何ぞや。 いわば汝は非を飾り他(ひと)を苦しめんとす。 誠に悪人なり。 速やかに善に帰し家産を尽くして人命を救助し一人も助命の多きを多きを願うべし。 これ汝の家の再興の法なりと教訓せしがごとき実に高尚なる工夫なり。 先生が破産家の整理法は実にかくのごとし。 今日の社会決してこれを見いだすこと能わざるなり。 予かって某地の人某の2万円ばかりのために整理の相談を受けしことありたり。 予は翁の教えをもってこれに勧めたり。 すなわち財産を隠蔽するなかれ、至誠をもって各債主に事情を告白せよ。 無一物貧措大となるも恐れるなかれ。 有るを有るとし無きを無しとして一毫の私心を挟まず返却の途(と)を講ぜよといいしに後某来り謝して債主等の好意能く予の至誠他意なきを憐れみ満足なる整理を遂げたりとのことをもってせり。 また先生の印旛沼堀割見分の命を受けその復命をなしたるごとき実に現時の人々(ひと)に見ること能わざるところなり。 先生つぶさに種々の調査を遂げ確かに印旛沼掘割より生ずる大益を認めたれども、その地方人民の道徳腐敗のゆえをもって直ちにこれに着手するもその功なきを認めまず儒者を遣わしてその民を教導ししかる後に事業の挙がるべきをもってしたり。 先生はこの沼の開墾事業をもって道徳問題となしたり。 今日の教師らにこの見識ありや。 測量や水利やただこれをもって土木事業は成就すべしと思うは非なり。 先生は150年以前すでに日本ありて以来の卓抜の識高潔の徳をもってかくのごとき復命をなしたり。今日の経済学者はまずソロバンを手にす。 先生はまず至誠の有無を質す。 吾人先生に学ぶところなきか。 今や不景気の声高し。 この救済策をもって先生に問わば先生必ず云わん。 人民腐敗せり、まずこれを救わざるばからず。 不景気の救済は不道徳の救済ならざるべからずと。 今どきの人ややもすれば挽回策をもって農工銀行や商業銀行の設立によるとなす。 しかれども人心腐敗すればかくのごときものはかえってこれ不景気の前駆となり破産の機関となり了せん。 予聞けるに越後の人にして所有地を抵当になし農工銀行より金(かね)を引き出し放蕩して遂に破産せるものありき。 畢竟経済の本は金にあらずして人の心にあるなり。 この点において先生の経済論は実に敬服のほかなきなり。 今の経済学者はただこれをもって金銭利欲の問題となして人の意志に関する無形の倫理道徳の問題なるを知らず。真に憐れむべきにあらずや。 予は農学士なり。 今やキリスト教の伝道者となりて東奔西走すれば友人輩あるいはあやしみあるいは笑えり。 しかれども予思えらく、牛の改良や種子の改良はその事はなはだ容易なり。 ただ人心を改良し罪あるものを悔い改めしめ悲しめる者に慰謝を与えることこれもっとも難きことにしてまた甚だ尊貴なることなりと。 かくのごとき事業こそ万事の根本となるにあらずや。 これ予の喜んでとるところの事業たるなり。 予の伝える福音を信じて破産をなしもしくは放蕩するがごとき人はいまだかって一人もこれあらざるなり。 すべての財産は天のたまものなり。 至誠勤勉の結果なりとは二宮先生の教訓なり。 キリスト教においてもまたしかり。 人往々キリスト教の信仰のごとき絶えて経済などには関係もなきもののごとく思惟するは甚だいわれなきことなり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年11月22日 01時59分02秒
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