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ぶりかん後、友人M美のBirthday Party@広尾に向かう。
広尾って街の雰囲気が軽井沢に似てるよな、といつも思うんだけど、 まだ誰にも同意してもらったことがない。 ・・・誰か同じようにおもっているひとがいるといいな・・・ということで、一応書いておく(笑)。 到着してみると、想像しているよりも年上が多かった。 このあたりから嫌な予感はしてたんだ。 天現寺は2次会に。 Partyにきていた人の行きつけの店らしかったのだけど、 カクテル1杯1600円・・・って、あたりからなんか頭が痛くなってきた。 有名人が来るって・・・いわれてもねえ・・・。 隣はプロゴルファーたちのグループが座っていたらしい。 が、僕は、ぜんぜん知らんので、 ただのおっちゃんだとおもってました。 (僕の知ってる日本のプロゴルファーは ジャンボ尾崎と青木功、あとまるちゃんくらいなのである。) この店に連れてきてくれた彼もそうなんだけど、 30代半ばくらいの世代のなかには たまーにバブルの残滓を崇拝しているひとがいて、 いっしょにあそぶと時々たいへんおもしろい体験ができる。 実際、本当のバブル世代ではないせいもあって (だいたい、「やっとバブルな遊びができるぞ!」ってときにバブルがはじけた、 バブルをギリギリ堪能できなかったひとがおおいみたい) その虚無的な感じがますます増幅されている場合があるよね。 存在しなかった古きよき時代へのノスタルジー、ですか。 こういうとき、 うわ、まじかよ、本気かよ、とかおもっても、 その場では「へー、ボクたちコドモには縁遠い世界ですわ」 といっているとだいたい満足してくれる。 たくさんお金を使うこと自体を悪いとは思わないけど、 ボクがいつも違和感を感じるポイントは以下の3点に集約されるのだった。 1.その値段は「提供されたモノ・サービスへの対価」としてつりあっているかどうか、本当に考えてる?ということ 2.仮につりあっているとしても、本当にそんなモノ・サービス必要なの?過剰じゃない?ということ 3.上3点がクリアされたとしても、自分の収入・支出の全体から考えたとき、この支払いは大きすぎるんじゃ?ということ まあ、バブル自体が、この1.2.3.を無視した現象だったわけで・・・。 まあね。 僕はこうやって「ちょっとバブルに乗りそこなった世代」をコケにする傾向があるけどね。 バブルは遠い時代のように思っている世代は世代で逆にバブルの反動みたいなものうけているからね(だいたい中学生か高校生くらいだった)。そのせいでみょーに貧乏くさいところがあるからさ。 これはこれで、今の二十歳くらいの子たちからは「うわっ!しみったれ!びんぼーくさっ!」とか思われたりするんだろうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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