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 わが家で所蔵する慶安3年(1650)「源氏物語」とまったく同じ慶安3年「源氏物語」

の絵が、「ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)」の

「webサイト(UNESCO Global Heritage Pavilion)「THE TALE OF GENJI」

で公開されました。インターネットの画像で同じ慶安3年「源氏物語」の絵を見ることができます。

「源氏物語」は、平安時代に作られた国宝級の原本だけが、貴重なのだと思われがちです。

しかし、慶安3年「源氏物語」のように世界から認められた貴重な原本であることがわかります。


下の絵が、「源氏物語」「総角(あげまき)」の絵です。

総角81a額付絵巻500pix


「大君(おおいきみ)の顔を見入る薫の君」愛する大君(おおいきみ・英訳はOigimi)

のそばで悲しみにくれる薫の君を描いています。眠っているとしか思えない

大君(おおいきみ)のそばで、セミの抜け殻のようになって、このまま大君(おおいきみ)

を見守っていたいと思う。右下の女性は、大君(おおいきみ)の妹・中の君です。

 下の画像は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)」の

「webサイト(UNESCO Global Heritage Pavilion)」「THE TALE OF GENJI」

で公開している「総角(あげまき)」の画像です。

ホームページ用ユネスコ画像重要
画像のアドレスは、http://webworld.unesco.org/genji/en/part_3/47-184.shtmlです。

上のユネスコのホームページの画像は、 こちらをクリックしてぜひご覧ください。

 
 慶安3年「源氏物語」は、多くの絵が揃っている為に貴重な絵であると判断されたものです。

わが家の慶安3年「源氏物語」の原本は、貴重な文化遺産だとわかりまりました。
 
わが家の慶安3年「源氏物語」の画像を順次公開していきます。原本の一部は、額縁や

掛軸に表装して「蔵」に移し、また一部は展示のために海外への貸し出しをしております。

top

海外展示を終え、日本で鑑賞されている原本の写真です。右窓側柱の中央に 額縁付原本が見えます。

「源氏物語」の日記 [全281件]

2011年8月16日楽天プロフィール Add to Google XML

  「源氏物語」の海外展示(画像あり)


 わが家には、「三国志」の原本があります。

 海外展示のために貸し出しをしており、それが一部戻ってきました。

 屏風に貼って読んでいたものです。端に「杉田玄白」の落款があります。

 杉田玄白が読んで仙台藩の侍医であった大槻玄沢に譲ったものです。

 所蔵経緯は、「源氏物語」と同じです。「劉備玄徳」の名前が出ています。

 午後から海外の大学に展示のために貸し出す「源氏物語」の

翻訳の作業をしております。今日、翻訳をしていた原文は

「源氏物語」のなかの「篝火(かがりび)」の巻の箇所です。

 頭(とうの)中将と夕顔の姫君である玉鬘(たまかずら)は、

源氏の君に庇護(ひご)され、源氏の君の邸である六条院に住むことになります。

 花散里(はなちるさと)の居る御殿の西の対(たい)に住みます。

 ある秋の日、庭先で篝火(かがりび)が焚(た)かれ煙が空に立ち上っています。

篝火(かがりび)のもと、源氏の君は玉鬘(たまかずら)への

恋する思いを歌に託して打ち明けます。

「源氏物語」「篝火(かがりび)」の巻で、次のように記しています。

下の原文の写真6行目から7行12字目まで。

「かが里)火に たちそふ恋の けふり(煙)こそ 

世にはた(絶)へせぬ ほのほ(炎)なりけれ」

They burn, these flares and my heart,and send off smoke.

The smoke from my heart refuses to be dispersed.
          (英訳・サイデンスティッカー)


源氏の君の恋心篝火2b

現代語訳は次の通りです。

(源氏の君)「篝火(かがりび)のように一心に立ち上るあなたへの恋の思いは、

いつまでも絶えることのない炎と同じですよ」


源氏の君の恋心篝火2b拡大


源氏の君の恋の告白に対し、玉鬘(たまかずら)は自分の気持ちを歌で返します。

原文の写真10行目から末尾行まで。

「行(ゆく)方(へ)なき 空にけ(消)ちてよ かが里(篝)火の 

たよ里(り)にたぐふ けふり(煙)とならば」

If from your heart and the flares the smoke is the same,

Then one might expect it to find a place in the heavens.
(英訳・サイデンスティッカー)

現代語訳は次の通りです。

(玉鬘)「あなたの恋の炎は、行方も知らない空へと立ち上る篝火(かがりび)の

煙のようにやがては消えてしまうものなのでしょう」

 玉鬘(たまかずら)は、源氏の君の恋の告白を体(てい)よくあしらったのです。

 これを聞いた源氏の君は、「くはや」という言葉を残してその場を去ります。

「これは、これは」という意味です。

 源氏の君が、苦笑いしながら退散する様子を想像することができます。






最終更新日時 2011年8月16日 17時46分26秒
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2010年10月26日

  源氏の君の恋心

4年ぶりの「日記」更新となりました。

海外の多くの大学でテキストとして活用されておりますため

私のブログでありながら、教科書にも利用されているため、

なかば公的なものになってしまいました。

今後少しずつ更新をと思っております。


 
頭(とうの)中将と夕顔の姫君である玉鬘(たまかずら)は、

源氏の君に庇護(ひご)され、源氏の君の邸である六条院に

住むことになります。花散里(はなちるさと)の居る御殿の

西の対(たい)に住みます。ある秋の日、庭先で篝火(かがりび)が

焚(た)かれ煙が空に立ち上っています。

篝火(かがりび)のもと、源氏の君は玉鬘(たまかずら)への

恋する思いを歌に託して打ち明けます。

「源氏物語」「篝火(かがりび)」の巻で、次のように記しています。

下の原文の写真6行目から7行12字目まで。

「かが里)火に たちそふ恋の けふり(煙)こそ 

世にはた(絶)へせぬ ほのほ(炎)なりけれ」

They burn, these flares and my heart,and send off smoke.

The smoke from my heart refuses to be dispersed.
          (英訳・サイデンスティッカー)


源氏の君の恋心篝火2b

現代語訳は次の通りです。

(源氏の君)「篝火(かがりび)のように心に立ち上る

あなたへの恋の思いは、いつまでも絶えることのない炎と同じですよ」


源氏の君の恋心篝火2b拡大


源氏の君の恋の告白に対し、玉鬘(たまかずら)は

自分の気持ちを歌で返します。

原文の写真10行目から末尾行まで。

「行(ゆく)方(へ)なき 空にけ(消)ちてよ かが里(篝)火の 

たよ里(り)にたぐふ けふり(煙)とならば」

If from your heart and the flares the smoke is the same,

Then one might expect it to find a place in the heavens.
(英訳・サイデンスティッカー)

現代語訳は次の通りです。

(玉鬘)「あなたの恋の炎は、行方も知らない空へと立ち上る

篝火(かがりび)の煙のようにやがては消えてしまうものなのでしょう」

 玉鬘(たまかずら)は、源氏の君の恋の告白を

体(てい)よくあしらったのです。

 これを聞いた源氏の君は、「くはや」という

言葉を残してその場を去ります。

「これは、これは」という意味です。

 源氏の君が、苦笑いしながら退散す

る様子を想像することができます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

よく、海外では、額縁だけで展示されるのでしょうか

という質問をいただきます。

掛軸で展示される場合もあります。

わが家の掛軸をご紹介いたします。

徳川第11代将軍の姫君で、尾張名古屋の藩主の正室

となった「淑姫」が書いた自筆の書です。

正確には、古今集の講義録を「淑姫」が臨書したものです。

下の写真が海外展示中の掛軸と原本の拡大写真です。

「掛軸写真」

6月25日日記1

「原本の拡大写真」
6月25日2


(古筆原本の読み下し文)

<読み人知らず>



・・・よめりと見るべし

ちゞ(千々)の色にうつろふらめどしらなくに心し秋

のもみぢ(紅葉)ならねば(国家大観番号726)

 是(これ)は人の心はいろいろにうつりかはるらんなれど其(その)心は秋の紅葉の如く色に出て見えねばしられぬと云(いふ)也(なり)、小町が色見えでうつろふものはよの

中の人の心の花にぞ有(あり)けると云(いふ)歌の類(たぐひ)也(なり)

                                        小野小町

蜑(あま・海人)のすむ里(さと)乃(の)しるべにあらなくにうらみんとのみ人のいふらむ(国家大観番号727)

是(これ)は海士(あま)の住(すむ)里(さと)のしるべする物にこそいでその(其)浦見んとはいはめ、それにもあらぬ我をなどうらみんとは人の云(いふ)らんと也(なり)、

浦見んと云(いふ)てうらみんをそへたり、此(この)歌は人の我をうらみんと云(いふ)事をいひおこせしか、又は人づてに聞(きき)てよめる成(なる)べし

古筆の左上の脚注・六帖にわたづみはつらき心やふかゝらんあまてふ蜑(あま・海人)のうらみぬはなし

右の2首の和歌のうち、「小野小町」の国家大観番号727番の和歌の原文の現代語訳文は次の通りです。

「私は漁師の里の案内人ではありませんのよ。それなのに、どうして「浦見ん」とばかり言っているのでしょう」出典・日本古典文学全集「古今和歌集」

心変わりのためにうらまれたのでしょうか。相手を拒否しておいて、私は「うらまれることは何ひとつしておりませんのに」と言って軽くあしらった歌と解釈されております。




「下の写真は、拡大断層写真です」
6月25日3


海外展示では、茶室がもうけられ、その脇に「茶道具」のひとつとして展示されました。






最終更新日時 2010年10月26日 13時3分49秒
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2006年11月20日

  「紫式部日記」の安産祈願と「源氏物語」の出産祝い  (2)



このブログは、海外の多くの大学のテキストとして

利用されているため更新が遅れてしまいました。

世界中で利用されているのは感謝です。

ところで、わが家に「紫式部日記」の古筆が

あります。室町時代に書かれた古筆です。

そこには次のように記されております。

(原文)
・・・いかに見ぐるしかりけんと、のち(後)

にぞおかしき。御いたゝき(頂)の、御くし(髮)

おろし奉(たてまつ)り、御いむこと(戒言)、

うけ(受)させ奉(たてまつ)り給(たま)

ふほど(程)、くれまど(惑)ひたるこゝち

(心地)に、こはいかなること(事)と、

あさましうかな(悲)しきに、たいらかにせ

させ給(たまひ)て、

のち(後)のこと(事)またしき・・・・

(原文の現代語訳文)
《寛弘五年(1008)九月十二日明け方、

藤原道長の邸に宿下がりをしていた一条天皇

の中宮・彰子のお産が近づいた。

安産祈願の散米(さんまい)が雪のように

降りかかって着物がくしゃくしゃに

なり》・・・・どんなに見苦し

かったろうと、あとになって考えると

とてもおかしい。安産と魔除けのために

中宮さまのお頭(つむ)の髪を

ほんの少しお剃(そ)ぎ申し上げる間、

途方にくれた心地で、これはまたどうした

ことかと、茫然と悲しいおりしも、

やすらかにご出産あそばされて、後産・・・・・・

《のこともまだすまない間、

安産感謝の祈りがあたりに響いた。》

「紫式部日記」古筆の重要な箇所です。

一条天皇の中宮・彰子の出産の場面を

実際に見聞していた紫式部の経験は、

「源氏物語」を描く上で役にたったもの思います。

「紫式部日記」の中で、安産の祈祷のために

多くの僧がやってきます。12人もの僧が入れ

替わり安産の祈りを夜通し続けます。

そして、また出産祝いも華やかに行われます。

そこで、「源氏物語」の中の「出産祝い」

について紹介します。「葵(あおい)」の巻に、

夕霧の「出産祝い」のことが記されています。

「葵」の巻の原文(下の写真右から7行目ー

10行目)には、「ゐん(院)をはじめ奉

(たてまつ)りて、みこ(親王)たち、

かんだちめ(上達部)のこるなきうぶやしなひ

(産養)どものめづからにいかめ(厳)

しきを夜ごとに見の志(し)る」

と記されています。現代訳は次の通りです。

「源氏の君と葵の上との間の御子

(のちの右大将夕霧)のご出産を祝い、

桐壺院(前・桐壺帝)を始めとして、

親王方・上達部(かんだちめ)が残らず

お越しになられ、多くの珍しくご立派な出産の

お祝いを夜ごとに見て大騒ぎをしている」

葵の上の出産


原文の「夜ごとに」は、複数の夜を表しています。

これは、生まれた子を祝い出産後三日、

五日、七日、九日目の祝宴が開かれていた

ことによるものです。また、この原文の中には、

一条御息所(みやすどころ)の

ねたみが記されています。

10行目以下の原文には、次の通り記されています。

「かの宮すどころ(御息所)は、かかる

御ありさまをき(聞)き給(たま)ひても、

ただならず」自分の愛する源氏の君の子を、

他の女性が選んだことをねたましく

思っている様子が短く描かれています。







最終更新日時 2006年11月21日 0時11分22秒
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2006年7月22日

  源氏の君の手紙(画像あり)



毎月23日は、「ふみの日」です。特に7月は、

「文月(ふづき)といい、この月には、記念切手

が発売されます。昨日(7月21日)「ふみの日」に

ちなむ「百人一首」の記念切手が発売されましたので

その切手をシートで買ってきました。50円切手と

80円切手の2シートがあります。最近は、メール

ばかりでしたので、久々に手書きの手紙を書いて

記念切手を貼り、投函をしたいと思います。

手紙といえば、源氏の君は頻繁に手紙を書いていました。

また、逆に多くの女性からも手紙をいただいています。

 愛する葵の上が亡くなったあと、

 源氏の君は葵の上をしのび供養の日々を送ります。

 しばらくすると、若い紫の上が恋しくなり、

 一人寝も寂しくなり、眠れない夜も多くなります。

 秋が深まったころの霧が立ち込めた朝、

 源氏の君は、高欄(こうらん)に寄り添い

 庭に咲く草花を眺めていました。

 そこへ六条御息所(みやすどころ)から

源氏の君へあて手紙が届けられます。

 この箇所は、「葵」の巻に記されています。

 下の原文の写真2行12字目から4行2字まで。

8月26日の日記葵31a額金


「君は、にしのつまのかうらん(高欄)に

  をしかか里(り)て、

   志も(霜)がれのせんざい

    み(見)給(たま)ふほどなりけり」

8月25日葵31a原文

 原文の現代語訳は次の通りです。

「源氏の君は、西の高欄に寄りかかって霜に枯れた

  庭の草花をご覧になっておられる」

 源氏の君が高欄(こうらん)に寄り添って

 庭の草花を眺める場面は、

 絵巻にも描かれておりますので、

 ユネスコの画像を下にご紹介します。

8月25日葵31aユネスコ

 高欄に寄り添って庭の草花を眺めているのが源氏の君。

 右側の童が六条御息所の手紙を持っております。

 手紙は菊の花に結ばれております。

 亡き葵の上をしのびつつ

 若い紫の上に思いをはせ、
 
 源氏の君を慕う六条御息所からは、
 
 手紙が寄せられる。源氏の君のまわりには、

 常に華やかな女性たちがいます。

額縁は、以前、海外展示の際に使用された額縁です。

貴重な慶安3年「源氏物語」の原本にふさわしい

という額縁をということで、

仲介した美術会社が提供した額縁です。

日本では見ることができません。





最終更新日時 2006年7月22日 15時53分17秒
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2006年6月26日

  花束の贈り物(画像あり)  (1)






このところ、海外展示のための貸し出し作業が続いております。

時差の関係で、深夜から早朝までの間、メール交換をしております。

このところ、1ケ月ほど更新をしておりませんでした。理由は、海外の

大学でテキストとして使用されているためアクセスの関係で、更新をして

おりませんでした。イギリスの大学の知り合いからメッセージと共に

朝顔の花を「花束」にした画像が届きました。わざわざ選んでくれたものです。

そして、「千年の時を超えて」とのメッセージが添えられておりました。

この花束の画像は、源氏物語」の中のある情景を想起させます。

長い間、「源氏物語」に親しんでいる方なら、ピンときます。

桐壺帝の弟・式部卿の姫君である朝顔の君に摘んだばかりの新鮮な花束に

添えて手紙を書き送ります。「朝顔」の巻に描かれています。

手紙には、次のように記されています。

「み(見)しお里(り)のつゆわすられぬあさがほ(朝顔)の

はな(花)のさかりは過(すぎ)や志(し)ぬらん」

下の原文の写真右から8行目から9行目に記されています。

現代訳にすると、

「昔、見たあなた(朝顔の君)のその美しい姿を、

私はいつまでも忘れることができません」


源氏の君のラブレター


上の原文の写真、3行目下段から次のように書いてあります。

「あさがほ(朝顔)のこれかれにはひまつはれて、あるかな記(き)に

さ(咲)きて、匂(にほ)ひもことにかはれるを、

を(折)らせ給(たまひ)て奉(たてまつ)れ給(たまふ)」

現代訳に要約しますと、

「色とりどりの朝顔の花の中から、一番良いのを選び、

召使に折らせて朝顔の君の元に差し上げられた」

という内容になります。

朝顔の花と共に、源氏の君の思いがつづられた手紙が

朝顔の君に届けられた場面の原文です。




最終更新日時 2006年6月26日 16時9分46秒
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2006年5月27日

  「篝火(かがりび)」の煙(画像あり)




ひさびさに「篝火(かがりび)」をたきました。

そして、「篝火(かげりび)」の煙にむせました。

昔、かまどでご飯を炊いていたころ、「火吹き竹」と

呼ばれる竹筒で空気を送ると「かまど」の灰と一緒に

煙が顔にかかりむせんだことをふと思い出しました。

「篝火(かがりび)」から立ち上る「煙」をしばし

ながめていました。「源氏物語」の中にも、このような

光景を描いた箇所があります。よく知られている

「源氏物語」のなかの「篝火(かがりび)」の巻の箇所です。

 頭(とうの)中将と夕顔の姫君である玉鬘(たまかずら)は、

源氏の君に庇護(ひご)され、源氏の君の邸である

六条院に住むことになります。花散里(はなちるさと)の

居る御殿の西の対(たい)に住みます。ある秋の日、

庭先で篝火(かがりび)が焚(た)かれ煙が

空に立ち上っています。篝火(かがりび)のもと、

源氏の君は玉鬘(たまかずら)への恋する思いを

歌に託して打ち明けます。「源氏物語」

「篝火(かがりび)」の巻で、次のように記しています。

下の原文の写真6行目から7行12字目まで。

「かが里)火に たちそふ恋の けふり(煙)こそ 

世にはた(絶)へせぬ ほのほ(炎)なりけれ」

They burn, these flares and my heart,and send off smoke.

The smoke from my heart refuses to be dispersed.
          (英訳・サイデンスティッカー)


源氏の君の恋心篝火2b

現代語訳は次の通りです。

(源氏の君)「篝火(かがりび)のように一心に

立ち上るあなたへの恋の思いは、

いつまでも絶えることのない炎と同じですよ」


源氏の君の恋心篝火2b拡大


源氏の君の恋の告白に対し、玉鬘(たまかずら)は

自分の気持ちを歌で返します。

原文の写真10行目から末尾行まで。

「行(ゆく)方(へ)なき 

空にけ(消)ちてよ かが里(篝)火の 

たよ里(り)にたぐふ けふり(煙)とならば」

If from your heart and the flares the smoke is the same,

Then one might expect it to find a place in the heavens.
(英訳・サイデンスティッカー)

現代語訳は次の通りです。

(玉鬘)「あなたの恋の炎は、行方も知らない

空へと立ち上る篝火(かがりび)の

煙のようにやがては消えてしまうものなのでしょう」

 玉鬘(たまかずら)は、源氏の君の恋の告白

を体(てい)よくあしらったのです。

 これを聞いた源氏の君は、「くはや」という

言葉を残してその場を去ります。

「これは、これは」という意味です。

 源氏の君が、苦笑いしながら退散する様子を

想像することができます。






最終更新日時 2006年5月27日 9時13分43秒
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2006年5月25日

  女三の宮(朱雀帝の姫宮)のネコを寵愛する柏木(画像あり)



近くのペットショップの前を通ると、アメリカショ

ートヘアの可愛らしいネコがケージの中で眠ってお

りました。「源氏物語」の若菜・下の巻に女三の宮の

愛するネコについての記載があります。ある日、庭

を歩いていた柏木がふとしたことから美しい女三の

宮を垣間見ます。それがきっかけで女三の宮を愛し

た柏木との間に出来た子が、薫の君です。女三の宮

は朱雀帝の姫宮で、源氏の君の正室です。薫の君は

いわゆる不倫の子です。柏木が初めて女三の宮を見

初めるきっかけとなったのが、女三の宮のネコです。

女三の宮の元からネコが走り出す。その時、ネコに

ついていた紐が御簾(みす)にひっかかったために

御簾が開かれ、ネコを追っていた女三の宮を垣間見

た柏木の心臓が高鳴り、女三の宮を愛するきっかけ

となったのです。源氏の君は、女三の宮からネコを

借りて自分で大事にしております。しらばくしてか

ら東宮(皇太子)の方からネコを返すようにいわれ

るのですが、柏木はこれを無視して返しません。

今日は、その箇所の原文をご紹介いたします。


原本額

 今日は、少し趣向をかえます。現代語訳文は、

「与謝野晶子・訳」をそのままご紹介いたします。

原本は、海外展示を終えた原本です。左下の落款は、

「玄白」と記されております。「玄白」は杉田玄白の

ことです。この箇所の本文を杉田玄白が読んでいた

ことがわかります。原本の裏面には、2種類の糊の

痕跡があり、以前「屏風」や「掛軸」として鑑賞

の用に供されていたことがわかります。


5月21日原本

(1)「原文の読み下し文」

・・・・とて鳴く音なるらむこれも昔の契りにや」

と、顔を見つつのたまへば、いよいよらうたげに鳴

くを、懐に入れて眺めゐたまへり。御達などは、「あ

やしく、にはかなる猫のときめくかな。かやうなる

もの見入れたまはぬ御心に」と、とがめけり。宮よ

り召すにも参らせず、取りこめて、これを語らひた

まふ。左大将殿の北の方は、大殿の君たちよりも、

右大将の君をば、なほ昔のままに、疎からず思ひき

こえたまへり。心ばへのかどかどしく、気近くおは

する君にて、対面したまふ時々も、こまやかに隔て

たるけしきなくもてなしたまへれば、大将も、淑景

舎(しげいさ・明石の女御)などの、・・・・・


5月21日断層

(2)原文の現代語訳文

≪汝よ≫・・・何とて鳴く音なるらん」これも前生

の約束なんだろうか。顔を見ながらこう言うと、い

よいよ猫は愛らしく鳴くのを懐中に入れて衛門督

(柏木)は物思いをしていた。女房などは、「おかし

いことですね。にわかに猫を御寵愛されるではあり

ませんか。ああしたものには無関心だった方がね」

と不審がってささやくのであった。東宮(皇太子)

からお取りもどしの仰せがあって、衛門督はお返し

をしないのである。お預かりのものを取り込んで自

身の友にしていた。左大将(髭黒)夫人の「玉鬘の

尚侍(ないし)」は真実の兄弟に対するよりも右大将

(夕霧)に多く兄弟の愛を持っていた。才気のある

はなやかな性質の人で、源大将の訪問を受ける時に

も睦まじいふうに取り扱って、昔のとおりに親しく

語ってくれるため、大将も淑景舎(明石の女御)の

方が・・≪羞恥を少なくし打ち解けようとなさる≫

(訳・与謝野晶子)






最終更新日時 2006年5月25日 22時3分8秒
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2006年4月29日

  扇の舞と「源氏物語」(画像あり)




海外に多くの文化財を貸し出ししております。主に大学等で

展示されております。海外の美術商が仲介に入ることもあります。

かなり長い間の関係であるため、マイクロフィルムの番号だけ

指定されてその原本だけを直接お送りすることもあります。

海外展示の作品は、展示の前に和紙の組成状況・年代測定など

顕微鏡や断層写真などを科学的な技術を駆使して鑑定されます。

鑑別・鑑定を経たのちに展示されます。以前、展示をされ

日本に戻った後、再展示のために発送する場合もあります。

マイクロフィルムの番号だけを指定してきて発送をするというのは

以前、海外展示をしたために「再鑑定」を必要としないものです。

ただ、ときおり、予想もなかったことに遭遇することもあります。

「日本外史」の自筆を所蔵しており、全文が「漢文」であるため

一見しただけで中身がわからないものがあります。

というより、一瞥しただけで、つまり流し読みをしてその内容を

理解しているつもりの場合もあります。

5年ほど前から海外展示されている漢文の古筆があり、

漢文の読み下し文を作成して、「これは織田信長と本願寺の

僧の争いをした件について記している」と判断いたしました。

「光佐」と「光寿」という僧の名前が見えました。

信長と対峙していた、高僧とはわかっておりました。

それが、最近になって、「光佐」と「光寿」は親子で、

東本願寺と西本願寺がトップであることがわかりました。

「石山戦争」のことを、最近、ある住職の方から教えられました。

漢文を正確に訳し、解読文まで作っていたのに、その詳細な

内容と時代背景について十分調べてはおりませんでした。

さて、海外展示の要望が増えており、「蔵」の中でも生活が多く

なっております。先日、久々に「扇の舞」を鑑賞しました。

「扇の舞」といえば、毎年、1月初めの名古屋の熱田神宮や

大阪の住吉大社で「踏歌(とうか)神事」という行事があります。

 舞人や笛役など10人ほどの人が「扇の舞」の披露から

「祝詞(のりと)の奏上を行います。この時に演奏される

鼓(つつみ)の音色から、その年の豊作を占うものです。

 この行事は、平安時代から行われ、「源氏物語」の

「真木柱(まきばしら)」の巻にも記されています。

下の原文の写真1行17字目から3行19字目まで。

祝いの舞歌7月1日真木柱27a

「御前、中宮の御かた(方)、朱雀院とに参りて、夜いたう

更(ふけ)にければ、六条院には、このたびは

所(ところ)せしとはぶき給(たま)ふ」

祝いの舞歌7月1日真木柱27a拡大1

原文の現代語解読文は次の通りです。

「踏歌(とうか)の一行は、冷泉帝の御前、秋好中宮の御前、

そして朱雀院(前・朱雀帝)の御所にそれぞれ参ったので、

夜が更けてしまったこともあり、

源氏の君の居る六条院に行くのを省くことにした」

写真の原文をより見やすいようにするために原文の箇所

3行文をさらに拡大しました。それが、下の写真です。

祝いの舞歌7月1日真木柱27a拡大2

 

「源氏物語」の中の「朱雀院(前・朱雀帝)」を記した

原文を公開しました。

今まで、原則として「源氏物語」以外のものは紹介しておりません

でしたが、たまに海外展示の古筆などについても

画像入りでご紹介をしたいと思います。





最終更新日時 2006年4月29日 17時3分29秒
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2006年4月3日

  男の美しさと冷泉帝(画像あり)



「源氏物語」の中の男の美しさといえば、源氏の君と薫の君。

そして、冷泉帝があげられます。2000円札の肖像画として

源氏の君と共に描かれているのが冷泉帝です。

源氏の君と冷泉帝の「親子対面」の

場面の絵として広く知られておりす。

冷泉院は、在任中「冷泉帝」といいました。

帝が都を離れることを巡幸といいます。

日本の終戦後、昭和天皇が日本の各地を

巡幸されたことはよく知られております。

平安時代、「行幸」(または、御幸)と言いました。

日本の歴史には、天皇の行幸が幅広く記録されております。

京都の西郊外、右京区に大原野があります。

この地は、昔から天皇の「行幸」の地として知られております。

延長6年(928)12月5日、

後醍醐天皇が「大原野」に行幸された記録が残っております。

また「大鏡(おおかがみ)」には、

「この日、雪があった」と記されています。

「源氏物語」には、冷泉帝の「大原野行幸」

につい記しております。

「行幸(みゆき)」の巻の原文に、「そのしはす(12月)、

大原野行幸にて」「雪ただいささかうち散りて」

と記されています。このことから、紫式部は、

後醍醐天皇の「大原野行幸」を知識として

知っていた上で書いていることがわかります。

(「行幸」は「御幸」とも書く」)

 冷泉帝は、桐壺帝の女御で先帝の四の宮

藤壺を母として生まれました。本当の父は、源氏の君です。

冷泉帝は、大原野行幸に源氏の君を誘いますが

源氏の君は断ります。自分が本当の父であるとは

言い出しにくい遠慮があったからです。

 冷泉帝のその表情や顔の美しさについて、

「源氏物語」「行幸」の巻では次のように記しています。

 下の原文の写真9行4字目から10行末尾まで。

「みかど(帝)のあか(赤)色の御ぞ(ころも)

奉(たてまつ)りて、うるはしううごきな記(き)

御かたはらめに、なずらひ聞(きこ)ゆべき人なし」

冷泉帝の御幸2a


現代語訳は次の通りです。

「冷泉帝は、赤色の衣(ころも)をお召しになり、

端整で麗(うるわ)しいご様子で、

凛々(りり)しいそのお姿は、世に並ぶ者がないほどです」

冷泉帝の御幸2a拡大

平安時代、晴れがましい儀式のおりの、

天皇は赤色の衣(ころも)をお召しになられます。

 原文の7行3字目から10字目まで、

「にし(西)のたい(対)のひめ君」

と記されております。「西の対の姫君」とは、

夕顔を母とする玉鬘(かずら)の姫君です。

 玉鬘の姫君の視線から冷泉帝のお姿が描かれております。






最終更新日時 2006年4月3日 16時44分21秒
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2006年3月12日

  「源氏物語」の中の香りと匂い(画像あり)  (1)



 地下鉄のエスカレーターを上っているとき、

ふと、かぐわしい香りが漂ってきました。香りの

漂う方を振り向くと、下りのエスカレーターの女性だと

気づきました。見えたのは後(うしろ)姿だけです。

「源氏物語」には、「香り」や「匂い」のことが

たくさんでてきます。源氏の君は、優雅な香りを

漂(ただよ)わせていました。それは、遠く離れた

所からも源氏の君とわかる香りでした。源氏の君の

子息・薫の君も「薫中将」と呼ばれる通り、

いつもほのかな香りを漂(ただよ)わせていました。

 でも、二人の香りの中身は違います。

 源氏の君の香りは、多くの唐櫃(からひつ)

の中に収められている花や香木などの木々の

香りが衣(ころも)に移った人工的なものでした。

 今で言えば、香りの「移り香」のようなものです。
 
しかし、薫の君の「香り」は、

身体(からだ)から発する「人香(ひとが)」と

呼ばれる「芳香(ほうこう)」でした。

 薫の君の身体から発する「芳香」は、

「百歩離れた場所からもわかるようだ」と

「匂宮(におうのみや)」の巻に記されています。

 下の原文の写真1行15字目から2行9字目まで。

源氏の君と匂宮の香り・匂宮8a

「まことに、百ぶ(歩)のほか(外)も、

かほ(香)里(り)ぬべき心ちしける」

 原文の現代語訳は次の通りです。

「薫の君の人香(ひとが)の芳香(ほうこう)は、

ほんとうに百歩離れた所まで香るように感じられる」

 薫の君の身体から発する芳香(ほうこう)は、

薫の君がどこにいてもわかるほどなので、

あえて草花のような「香物」を使用してはいません。

つまり、薫の君にとって、香水などは

不要ということです。下の原文の写真4行6字目

から6行末尾までにおいて、

そのことが記されております。

「ひと(人)にまさらんとつくろひ

用意すべかめるを、かくかたはなるまでうち

忍び立(たち)よ(寄)らんも、

 物のくま(隈)も志(し)るき

 ほのめきかくれあるましきに」


源氏の君と匂宮の香り・匂宮8a拡大

 原文の現代語訳は次の通りです。

「薫の君は、人香(ひとが)の芳香を漂わせているので、

 忍んで歩いてもどこにも隠れようがない。

 そのことをわずらわしいと思っているから、

 あえて香(こう)をたきしめることもない」

備考:唐櫃(からひつ)は、衣(ころも)

入れる大きな衣装箱のことです。





最終更新日時 2006年3月12日 16時43分57秒
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