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平安時代、貴族の服の色は階級によって分かれていました。六位の色は、「浅葱(あさぎ)」で、葱(ねぎ)の葉の青白い色に似た青緑色でした。
三条殿で元服の式を終えた夕霧が祖母の大宮邸に挨拶に行きます。すると、着ていた服の色を見た大宮が不満に思います。原文には、次の通り記しています。 下の原文9行4字目から10行14字目まで。 「あさぎ(浅葱)にて殿上にかへり給(たまふ)を、大宮はあかずあさましきこととおぼ(思)したるぞ」 原文の現代語訳は次の通りです。 「孫の夕霧が、六位の浅葱(あさぎ)姿で殿上にお帰りになるのを見て、祖母の大宮はご不満で心外なことと思っておられる」 平安時代、皇族は元服後、四位に列せられるのがならわしでした。 源氏の君は親の七光りにさせないために息子の夕霧を六位にしました。 昨日(6月21日)の掲示板に「peko1214さん」から、「夕霧が雲井雁(くもいのかり)に逢いに行った時、着ていた服の色で侮辱されたような記憶がある。当時は服の色で明確に階級がわかったのでしょか?」という感想が記してありました。 平安時代の貴族の正装は、「束帯(そくたい)」で、それよりもくつろいだ場所で着るのが「直衣(のうし)」です。 天皇・上皇・皇太子・親王などの皇族のほか、天皇の「勅許(ちょっきょ)」を受けた者がこの「直衣(のうし)」を着ていました。原文でわかる通り、服の色で階級が区別されていました。なお、正装ではなく、くつろいだ場所で着る「直(ただ)の衣」なので「直衣(のうし)」と呼ばれていました。 夕霧が六位の服を着て雲井雁(くもいのかり)と出逢った時の服も「直衣(のうし)」です。「なおし」とも言います。 実際の「直衣」の写真は、インターネットで見ることができます。服の色分けによる階級の区別は、「少女」の巻の方がわかりやすいのでこちらの箇所の原文を公開しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
HPに書き込みしていただいてありがとうございました。<br>貴族の服の色というテーマ面白く拝見させていただきました。<br>私は大学で源氏物語のゼミをいくつかとっていたのですが、その時に<br>重ねの色目に付いて調べたことがありました。<br>玉鬘の巻で源氏が紫の上の前で、妻たちの正月の衣装を選ぶという場面がありますよね。<br>これについて、実際に織物を復元(?)した写真をみたのですが<br>どの重ねも色彩が素晴らしく美しく感動しました。<br>特に私は空蝉の青鈍色と薄黄の重ねが好きで、<br>出家した女性でもこんなに美しい色目の着物が着れるのかと驚きました。<br>源氏が明石の御方には白い袿に、濃い紫の着物を見立てたので<br>紫の上がひそかに嫉妬するのも印象的でした。<br>この時代は紫が特別に高貴な色だったんですよね。<br>身分もない明石が紫を選んでもらえるというのは<br>本当に気品があって高雅な女性であったことがうかがえますね。
(2003年06月23日 06時52分38秒)
源氏は変に位を授けるより自分で好きに勉強してえらくなるようにってわざと夕霧に低いくらいからスタートさせたんじゃなかったですか?<br>って漫画で読んだだけです。
(2003年06月23日 10時35分11秒)
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