おととい、3年間放置していたフィルムを現像に出した。
そして今日とりに行った。ここに写真が並んでいることから何も言う必要ないと思うが、全く問題なく現像されていた。これで日記が終わるのも味気ないので、これらの写真を撮っていたパリのことなど書いておくことにする。
この写真はモンマルトルの丘から撮ったパリ市内。向こうにエッフェル塔が見える。(・・・木がじゃま!)
ここには自分の絵を売ったり、観光客相手に似顔絵を描いたりする画家が多い。
絵の勉強に来ている留学生もここで修行(?)したりするそうである。
土産物屋には「ショパンの手」の石膏像が売ってたりする。
これはパリ・コンセルヴァトワール。
僕が用があったのはここではなく、隣接している楽器博物館だった。
実はこの1月前にシュトゥットガルトの楽器博物館に行ったのだが、そこではドイツものが中心で、「なるほど、ピアノの発展にはドイツが重要な役割を果たしたんだ」と思っていたところである。
しかし、ここではフランスものが中心で、「なるほど、ピアノの発展にはフランスが重要な役割を果たしたんだ」とうっかり思ってしまう。
実際はピアノの実用化にはドイツが、ピアノの発展にはフランスが重要な役割を果たしたというのが本当のところである。特にエラールは現在のグランドピアノのアクションの礎石を作る偉業を行っている。
フランスにはエラールの他、プレイエル、ガボーなどの優秀なメーカーがあったが、20世紀中頃にほとんどがドイツに移ってしまった。しかし、フランスに残った技術者が独立して「アトリエ」を持ち、フランスのピアノ技術の伝統を保っている。
左の写真はピアノではないが、パリ中心部から少し外れたところにあった古楽器のアトリエである。残念なことに思ったほどこの内部をシャッターにおさめていなかった。デジカメなら相当撮りまくっていただろうに・・・。
ここには色々な民族楽器や古楽器がところ狭し(本当に)と置かれてあった。
個人的に目についたのが右写真のモノコードの一種である。
店員によれば、これは調律のための道具ということである。縮小された写真なのでよく見えないが、ネックの部分には音程をあらわす文字と目盛が刻まれている。その目盛のところに真鍮製の移動駒を動かすと、その音程が出るようになっている。現在の電子式チューナーの前身のようなものだろう。
この他にもピアノ工房もいくつか訪れていたのだが、残念ながら写真に撮っていなかった。何となく「パリ=ファッション、グルメ」「ドイツ=伝統、職人」のイメージがあるような気がするが、この時みた印象ではパリの職人気質というのはドイツのそれより古くさく、頑固に思えた。
なお、パリのピアノ職人に興味を持った方がおられたら、「パリ左岸のピアノ工房」(新潮社 T.E. カーハート著)という本がおすすめである。
この本はパリのあるピアノ工房に興味を持った著者が、ある日ふとそこに足を踏み入れて、幾度も通ううちに「生涯の伴侶」となるピアノに出会う・・・というロマンチックな話である(一応“ノン”フィクションらしい・・・)
何だか終わり方がわからなくなってきたので、今日はこの辺で・・・